第26話 前触れ

「ふんふん~」


 桜鳴おうめいは上機嫌に軽く飛び跳ねながら、後宮の庭へと向かう。手には、蒼峻そうしゅんからおすそ分けしてもらったお菓子を持って。



 漣夜れんや凌霄りょうしょうは、奏祓師が必要ない用事で外に出ているので、桜鳴は休日になった。ちょうど、春燕しゅんえんも仕事が休みらしく、珍しく休みが重なったのでお茶会をしようということになった。

 桜鳴の部屋でもよかったが、天気がいいなら外の方がいいだろうと、後宮の庭を開催場所にした。



 見事に晴れ、少し汗ばむくらいの陽気だった。約束の時間より少し前に、部屋から出発し、時間ぴったりに到着すると、春燕はもうそこにいた。


「春燕ー!」

「あ、桜鳴! こっち、いい感じに花見できるから、いいよー!」


 春燕は腕を伸ばして、桜鳴を呼び寄せる。庭内に数か所石の椅子があり、春燕はそこに座っていた。卓はないが、高貴な御方とする正式なお茶会ではないため、この程度で何の問題もない。

 桜鳴は早足で駆け寄り、春燕の隣に腰かける。


「お茶、今、淹れるね」

「ありがとう! 春燕の淹れるお茶、おいしいんだよね」

「そう? 他の人とやり方変わらないんだけど……」

「なんだろう……気持ち?」


 二人は顔を見合わせて、けらけらと笑う。

 ひとしきり笑った後、春燕は桜鳴が持っていた袋を指さした。


「それ、なに?」

「ああ! これね! 蒼峻様とお茶会した時に、お裾分けしてもらったお菓子なんだけど……」


 桜鳴は袋から箱を取り出し、石の椅子の上に置いた。

 精緻な細工が施された箱の蓋を開けると、中には白や桃、黄など、様々な色の小さな粒が入っていた。

 春燕は一粒を手に取り、太陽に透かすように空に掲げて、それをまじまじと見る。


「……なにこれ?」

「西方のお菓子で、砂糖を固めたものなんだって。口の中で溶けると、優しい甘さが広がって、おいしいんだよね」


 桜鳴は、頬を両手で押さえながら、先日に感じた甘さを思い出していた。その様子を隣で見ていた春燕はごくりと喉を鳴らし、一粒口に放り込んだ。


「! か、かはい!」

「そうそう! 固いのを、ごりっと、いっちゃって!」

「……っ! あまぁ~!」


 桜鳴の言った通りの優しい甘さに、春燕は表情をとろけさせた。喜んでもらえてよかったというように、桜鳴は何度も首を上下に振っていた。



 2杯目のお茶を淹れながら、春燕は何かを思い出したように「あ」と呟いた。


「ん?」

「そういえば、今度慰労会があるんだって」

「……慰労会?」

「そう! 私もお姉さま方から聞いたんだけど、陛下が、ここで働いてる人によく頑張ってますね、って労って、いろいろ催し物をしてくださるらしいの」

「へー! 楽しそう!」


 桜鳴が思い浮かぶ催し物といったら、小さい頃に見たあの祭りだった。あんなふうに美味しい食べ物と、美しい舞と、素晴らしい影鳳えいほうの笛があれば、多くの人の息抜きになるだろう。


「午前は、有名な遊郭から娼妓を呼んで舞を披露するんだって」

「舞……笛もあったらいいなぁ」

「桜鳴も吹くかな?」

「いやいや、わたしが吹くより影鳳様が吹いた方が断然いいよ!」

「出た! 桜鳴の影鳳様信仰!」


 桜鳴はきらきらと目を輝かせて影鳳の話をしているのに対し、春燕は何度も聞かされているからか、やれやれといった表情をしていた。


 語りが途切れたところで、慰労会の話を続けた。


「……それで、昼休憩した後、陛下や皇子様方も参加されて蹴鞠しゅうきくが行われるの」

「え、漣夜も参加するんだ」

「もちろん! 漣夜様と蒼峻様は特にお上手よ」


 ふふん、と春燕は得意気に言った。自分が仕えている主が、頂点を争うような実力だと嬉しいのだろう。桜鳴にはまったく分からなかったが。


「当日は、私が桜鳴のこと、綺麗に着飾っちゃうからね!」

「綺麗にって……化粧も?」

「当たり前でしょ! なんてったって」


 春燕は一度言葉を止める。なんだ、と桜鳴は彼女の言葉を待つ。


「武官様方も、慰労会に参加するからよ!」

「……そうなんだ」

「そうよ! 皇宮でしか働いてない武官様と会えるのなんて、後宮勤めの私たちにとってはこういう時くらいなんだから、かわいい~って思ってもらわなきゃ!」

「えー……じゃあ、わたし必要ないや」


 桜鳴は高揚した気分が下がっていく感覚がした。


 後宮のみで働いているわけではないから、その武官様とやらにはいつでも会おうと思ったら会えるのだ。だから、自分が綺麗に着飾る必要はない。ましてや苦手な化粧など。


 それに、そもそも、異性に好いてもらおうとも思わない。

 だが、春燕は違った。普通の同年代は色恋に興味津々のお年頃だ。


「必要あるよぉ! 運命があるかもしれないし!」

「興味ないなぁ……わたしの運命は、笛だし!」

「あー……桜鳴には漣夜様がいたかぁ……」


 うんうんと頷きながら何かを納得した様子の春燕に、多少の疑念は抱いたが、まあいいかと隅においやった。


「そういえば、最近漣夜様どう? この間、倒れられたって聞いたけど……」

「翌朝には元気いっぱいだったよ……わたしへの悪態も絶好調なくらい!」


 へへ、と笑って答えるが、脳裏に過ったのは、人を馬鹿にしたような笑みを浮かべる漣夜だった。苛立ちがぽつりと湧いたが、それも隅に置いておいた。今は春燕とのお茶会を楽しみたいから。


「ほんと、桜鳴の話新鮮だよ~。あの漣夜様が、そんなふうなんて! 桜鳴にだけだよ」

「そうだね……わたしにだけ猿とか馬鹿とか言うんだよ……あの男、どうかしてるよ……」


 はあ、と大きく溜め息を吐く。

 どうしてああも罵りが次々に生まれてくるのだろうか。それほどまでに、何かしてしまっただろうか。少し考えて、してしまっているのもあるなと思ったから、考えるの止めた。


 それにしたって、言い過ぎである。凌霄も苦言を呈すくらいだ。

 桜鳴の不快そうな表情とは反対に、春燕は手で口元を押さえて何かをこらえきれないといった感じだった。


「でも、それって……特別、ってことだよね……きゃー!」


 興奮したように両足をばたつかせて顔を覆う。


「特別……といえば、まあ、たしかに……?」

「桜鳴はどう思ってるの? 漣夜様のこと」

「はあ? どうも何も、あんな性悪、仕事じゃなかったら傍にいたくないよ……」

「他は?」


 他、と考えを巡らせる。

 思い返せば、出会った時から、人のことを雑に扱うような男だった。ちんちくりんと呼んだり、放り投げたり。


(……ああ、階段から落ちた時は助けてくれたか……)


 でも、あれは、奏祓師だから助けただけだろう。漣夜の奏祓師は桜鳴しかいない。己の利益のために動いたことに、それ以上もそれ以下のも感情はない。


「桜鳴?」

「え、あ、うーん……意外と真面目、くらいかなぁ……」

「意外、かなぁ?」

「性格終わってるから、勤務態度も不真面目かと思ってたけど、結構真摯に取り組むなぁって」


 春燕は思い当たる節がないのか首を傾げていた。

 そもそも罵るのは、桜鳴と凌霄の前だけだから、その想像もつかないうえに、不真面目というのも結びつかないのだろう。

 こんな『特別』願い下げである。




 それからしばらく春燕と会話を楽しんだ後、彼女たち女官の寝所の前でお別れをして、部屋の方へと向かって歩いていた。


「慰労会、かぁ……」


 桜鳴はぽつりと呟く。

 憧れの影鳳の演奏が聞けるならいいが、そうでないなら、ただただ気力を使うだけの催し物になる。また漣夜に粗相をするなと強い口調で念押しされるだろう。


(はぁ……いやだいやだ……考えるのはもうやめよう……)


 桜鳴は今日の夜ごはんは何かなと気分が良くなることを考えながら、自分の部屋へと帰った。



 その嫌な未来は見事的中し、鬱々とした感情で慰労会当日を迎えた。

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