第13話 行方不明事件 弐
「ここか……」
館のように大きな家を、少し離れたところから見上げる。
調査していた役人によると、住民がいないはずのこの家から人が出てくるのを目撃したそうだ。やつれた若い男性、それに、若い女性も。その女性も痩せていて、虚ろな目をしていたという。
確定ではないが、行方不明になっている人々の可能性が高い。役人に素性を確かめさせてもいいが、悪鬼が原因と思われる以上、無闇に接触させるべきではないと判断し、館には三人で行くこととなった。
「なんか、さ……」
今一度館の外観を見回す。いつから空き家だったのかは知らないが、人の手が入っていなかったからなのか、妙に纏う空気が淀んでいた。
(……ううん、これが、前に
皇宮に侵入した日、笛を吹いたことで
「
「どのくらいって……うーん……黒色が全体を覆うようにあって、あと、二階の右側が特に濃いです。あの部屋が一番嫌な感じ」
言いながら指し示すと、凌霄は驚いたような顔をした。的外れなことを言ってしまっただろうか。その心配こそが的外れだった。
「そこまで……さすが、『奏祓師』ですね」
「そ、そうですか? ……えへへ」
「凌霄、あまりこいつを褒めるな。調子にのってやらかす」
「やらかさないし! 調子にものってない!」
反論すると、うるさいとでも言いたげに両耳を塞いで、舌をべっと出して人を小馬鹿にしたような顔をした。
こんな時でも、貶すことを忘れないその性悪魂を褒め称えてやりたいくらいだ。
くだらない言い争いをする二人を凌霄が宥めていたら、館から一人の女性が出てきた。きょろきょろと辺りを見回し、館の方を確認するように何度も後ろを振り返っていた。
三人は黙って顔を合わせ、女性の元へと向かった。
「――すみません」
「っ! ごめんなさいごめんなさい! 逃げてないです! 少し外に――」
「大丈夫ですから、落ち着いてください」
混乱した女性を半ば強引に木の陰に隠れる位置まで連れて行く。
潤んだ瞳を右に左に泳がせて息を荒くする彼女の背中を優しく撫でる。手のひらに骨の感触がごりごりとあたる。おそらく栄養が十分に与えられていなかったのだろう。
(これも、悪鬼の仕業……?)
だが、彼女からは館の周りにあるような黒い靄は見えなかった。中で、何が起こっているのか。
三人が助けに来たのだと理解できた女性は、何があったのか、事の次第を説明し始めた。
ある日、外に買い物に出たところまでは覚えているが、その後の記憶がなく、気が付いたらこの館にいたという。
そこには、若い男性一人と数人の自分と同じくらいの齢の女性、それに幼い子どもが何人かいた。当然、自宅に戻ろうとするが、若い男性に触れられただけで何故か気を失ってしまう。
何度も試みたが、同じように気絶し、館から出ることができなくなってしまった。
食事は摂っているのに徐々に痩せていき、自宅に戻るという気力も奪われていき、最後の力をふり絞って出てきたのが今。
「それに、中にはまだ、私の子どもがいるんですっあの子も、痩せ細ってしまって……!」
「すぐに助けに行くので、貴女も早急に医者に診てもらってください。凌霄」
「かしこまりました。少し離れたところで待機している役人に引き渡してきます」
「ああ、頼んだ。――行くぞ」
「え、う、うん!」
肩を叩かれた桜鳴は、漣夜と並んで館の入口へと向かった。
「……ここで笛吹けばいいの?」
「いや、今の女を見る限り、おそらく女子どもは悪鬼に憑かれてない。祓う必要がないし、健康状態の方が気掛かりだ。先に女と子どもを脱出させる」
「どうやって?」
「俺が気を引いてる間に、お前が連れ出せ。後から凌霄も来るから、お前は子どもを優先しろ」
無茶な作戦だ。笛を吹いてしまえば、それで終わる話ではないのか。
だけど、漣夜の言う通り、中に残っている人も先ほどの女性のように枝のように痩せてしまっていると予想できる。彼女たちを連れ出し、一刻も早く治療をすることが最優先だ。
桜鳴はこくりと頷き、扉から見えない位置に隠れる。漣夜が扉を叩き、若い男性――
(っ! ここ、なんか、ぞわぞわする……)
言葉にするには難しい感覚が全身を駆ける。背筋がひやりとし、頭が重くなる。早く助けて、ここから出ないと。木乃伊取りが木乃伊になる前に。
部屋を片っ端から開けていき、囚われている人を探し回る。
「! いた!」
「っ! な、なに……!」
勢いよく開いた扉の向こうに、行方不明になっていたであろう女性たちが同じ寝具の上で横になっていた。予想通り、どの人も痩せ細っていたが、誰も死んではいないようでほっと胸を撫でおろす。
まだだ。部屋を見回すが、そこに子どもは一人もいなかった。
「助けに来ました! 子どもは!?」
「分かりません……あの人と一緒にいる時しか、会えてなくて……」
「他の部屋、か……。すぐに、助けが来るので少しだけ待っていてください!」
虚ろな目で不安そうに見つめる彼女たちに後ろ髪を引かれながら、別の部屋へと向かう。
順番に見ていくが、どこにもおらず、とうとう最後の部屋になった。
「……ここ、一番嫌なところだ」
外から見た時に特に黒が濃かった二階の右奥の部屋。その時よりは、少し薄くなっているような気がしなくもない。
意を決して扉を開けると、探し求めていた子どもたちはそこにいた。
「よかった! いた! みんな、大丈夫?」
「おねえさん、だれえ?」
「んー? みんなと遊びに来たよ! お外行こうか」
「おそと! うん!」
幸いなことに、子どもたちも通常よりも痩せているが、誰一人も命を落としていなかった。
全員自力で歩けるようだったので、手を引くかたちで館の外へと連れ出していくと、凌霄が先ほどの女性たちを脱出させていたところだった。彼女たちの虚ろな目が子どもたちを捉えると、少し煌めきを取り戻した。
事情を聞いて館の近くまで来ていた役人たちに行方不明者を引き渡していると、不審に思ったのか梁青麟が走ってきていた。その後ろを追うように漣夜も戻ってくる。
急いで女性と子どもを乗せた馬車は、なんとかその場を離れることができた。
「なんてことしてくれるんだ! 僕の妻と子どもをどこにやるつもりだ!!」
梁青麟の怒声が響く。
彼の妻と子どもはもうこの世にはいないはずだ。あまりの出来事に錯乱してしまったのだろうか。
桜鳴の疑問は漣夜の一言で解かれた。
「悪鬼のせいで、若い女性と子どもを自らの妻子だと認識しているだけですよ。青麟さん」
「意味が分からないことを言うな! せっかく! せっかく、やっと幸せになれたのに!」
「紛い物です。悪鬼が見せた悪い夢だ。それよりも、早く祓わないと貴方の命も――」
「うるさいうるさい! 僕は、幸せなんだ!」
梁青麟は両手で頭をかきむしり、苛立ちをあらわにしていた。
悪鬼というのは、ただとり憑いて命を奪っていくものだと思っていた。こんな、幻覚とも呼べるようなことまでしてくるのか。なんて惨い仕打ちだ。
だが、彼にとっては、その惨いはずの仕打ちも、最上の夢だった。幸せの絶頂から不幸のどん底に突き落とされ、何かに縋っていないと自ら命を捨ててしまいそうになる。
自分が弱っていくのも構わないほど、その幸せな嘘に支えられていたのだろう。
(ひどい……早く祓わないと)
肩から斜めに下げた袋から笛を取り出そうと手をかけたところで、目の端で何かがキラリと光った。
何だろう。そう考える暇もなく、梁青麟が漣夜に向かって飛び掛かる。
刃物を携えて。
「っ! あぶな――いっ!」
「……は?」
咄嗟に漣夜の前へと伸ばした右腕を刃物が掠めた。
すぱっと切れた服に血がどんどんと滲んでいく。鼓動と同じ律動でじんじんと痛む右腕を左手で押さえる。
目の前で起こった出来事に呆気にとられているようだった漣夜の顔が、徐々に怒りをはらんでいく。
「何……やってんだ、馬鹿!」
「なっ! 助けたのに馬鹿はないじゃん!」
「桜鳴様! 暴れられると余計に出血が……」
思ったよりも傷が深かったようで、押さえている左手にも血が流れてくる。怪我には慣れているが、ここまでのは珍しい。というか、初めてかもしれない。
漣夜のせいで頭に上った血の気が引いていくのを感じた。
横で何かを破く音が聞こえ、意識がはっきりと戻された。押さえていた左手を無理やり剥がされ、傷口に何かを巻かれる。
「な、なに……っ! いったぁ!」
漣夜は自らの服の裾を破り、それを腕にきつく巻いて応急の止血をした。
突然の痛みに桜鳴は顔を
「馬鹿は馬鹿だ。祓えるのはお前しかいないんだぞ。分かっているのか」
「っべつに、これくらい大丈夫! 吹け……っ」
左手で袋から笛を取り出し、吹く構えをしようと右腕を動かすと、鋭い痛みが走った。表情にもそれが出ていたようで、頭上から呆れたような溜め息が聞こえた。
「はあ……なんで庇ったんだ、お前は」
「なんでって……そりゃ、目の前で傷付けられそうな人がいたら、動いちゃうでしょ」
「反射神経野生動物かよ。それで吹けなくなってたら意味ないだろうが」
ごもっともなことを言われ閉口してしまうが、動いてしまったものはもうしかたがない。
漣夜は考えるようなしぐさをしながら、「出直すか……? いや梁青麟に猶予はないか……」とぶつぶつ呟いていた。
右手を閉じたり開いたりしてみる。問題なく動きはするが、腕は強く痛む。
(でも、それだけだ!)
笛を持つ左手に力を込める。一歩前に出て、くるりと振り返って後ろにいる漣夜に笛を差し向ける。
「おい――」
「吹けるから、そこで聞いといてよ!」
梁青麟の方へと向き直る。桜鳴に当たると思っていなかったのか、持っていた刃物を地面に落として狼狽えているようだった。
笛を構える。少し動かしただけでもひどく痛む。唇を笛につけて、息を肺いっぱいに吸い込む。
(……わたしより、きっと青麟さんの方が苦しいよね……)
妻子を一度に失ったその悲しみのすべてを理解することはできない。
でも、きっと、今こうやって弱っていく梁青麟を空から見てる彼女たちが辛いだろうことは分かる。
本当は一緒に幸せになりたかった。だけど、それは叶わなくなってしまった。そうだとしても、相手が幸せに生きていくことを願っているだろう。
失った心の傷が癒えるのはきっとずっと先の未来、もしかしたらそんな日が来ないかもしれない。今は、少しだけでも彼の悲しみが軽くなるように、見守っている妻子が安らかに眠れるように。
――遥か天まで響き渡れ。
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