第29話 明月
「……」
呼吸が荒く、びっしょりと汗もかいている。あれだけ身体が熱かったから、発熱しているのだろう。
昨日までは体調が悪い素振りは微塵もなかった。午前も、壇上にあがる時にちらりと見えただけだが、特に変わった様子もなかった。
(やっぱり、ない……)
漣夜の周りを何度も確認するが、悪鬼が憑いているようにも見えない。
この数時間でここまで劇的に変化するものなのだろうか。何か大病を患っているわけでもない。
考えを巡らせていたら、凌霄が医者をつれて戻ってきた。
「先生、こちらです!」
「はいはい、どれどれ――」
ずり落ちた眼鏡を元の位置に戻しながら、医者は漣夜の容体を確認していく。
「ふむふむ、……毒、ですなぁ」
「毒!?」
二人の驚いた大きな声が合わさる。医者は「ええ」と話を続けた。
「おそらく、ですがね。盛られたとすれば……昼餉でしょうなぁ」
「昼餉、ということは、他の御方も……」
「いや、そういう報告は受けておりませんなぁ」
考え込むしぐさをする凌霄の横で、桜鳴は身体を震わせながら、口を開いた。
「……漣夜、死んじゃうの……?」
「完全に毒が抜けきるまでは、死ぬほど辛いだろうが、命の危険はないでしょう。少量しか摂取されなかったようで……幸いですなぁ」
「よ、よかったぁ……」
医者の言葉を聞いた桜鳴は、力が抜けたように床にへたり込んだ。
目の前で人が死にゆくところなんて見たくない。たとえ、こんな口を開けば暴言を吐く性悪男だとしても、だ。
医者は今後の治療について説明した後、必要な薬を医務室へと取りに帰った。
漣夜の意識が戻るまでは、熱を下げるのを優先させ、意識が戻り次第、対症療法をしつつ毒を排出させる。
完全に毒が抜けるには10日程度かかる可能性もあるらしく、それまでは、絶対安静だそうだ。
さまざまな薬を持って戻ってきた医者は、それらを卓の上に広げ、せっせと治療の準備を進めていた。
桜鳴は、その様子をただ見ていることしかできなかった。
◇◇◇
慰労会の翌日の昼過ぎ。凌霄が早足で部屋にやってきたかと思ったら、漣夜の意識が戻ったことを知らせに来てくれた。
思っていたよりも早く目覚めてよかった。凌霄のあとに続いて、漣夜の部屋へと駆け足で向かった。
部屋には、昨日の医者ともう一人男性がいた。医者に何かを手渡していたから、おそらく医者の助手か何かだろう。
その奥には、ぼんやりと虚ろな目で天井を見る漣夜が寝台に横になったままだった。
(当たり前か……昨日の今日だもんね……)
完治まで10日ほどかかると聞いたばかりなのに、心のどこかではもう治っているのではないかと、少し思っていた。悪鬼に憑かれても、翌日にはぴんぴんとしていたから。
漣夜もただの人間だと、簡単に死んでしまうのだと、今さらながら痛感した。
「医官殿、いかがですか」
「ああ、凌霄様戻られましたか。熱は依然高いですが、意思疎通もできますし、あとは、毒がどれくらい早く抜けるかですなぁ」
「そうですか……」
漣夜はゆっくりとした動きで、寝台の横で会話する凌霄と医者の方へと顔を向ける。
二人の隙間から桜鳴の姿を捉えると、目を見張った後、まだ辛いはずの身体をぎこちなく起こし始めた。
「漣夜皇子? まだ、起きられない方が……」
「、……」
倒れそうになりながら、なんとか堪え、桜鳴のところまで身体を引きずっていく。
突然の出来事に戸惑っていたら、漣夜に腕を掴まれた。掴んでいるというよりも、添えていると言ってもいいほど、弱弱しい力だった。
「な、なに……?」
「……け」
「え?」
「でて、いけ……」
「……は? っ! ちょっ、なに!」
腕をぐいぐいと押し部屋の外へと追い出そうとする漣夜に抵抗しようと見上げると、苦し気な表情の中に、少しの恐れが見えた気がした。
理由も分からないままに部屋から追い出され、桜鳴は呆然と扉を見つめるしかなかった。
それから、完治するまで凌霄と医者以外面会謝絶となった。
◇◇◇
「……あー! もう!」
追い出されてから5日が過ぎた夜中前。
桜鳴は寝台に寝転がったが、胸につかえるもやもやが爆発してしまい、寝付くことができなかった。
それもこれも、全部漣夜のせいだ。
どうして奏祓師なのに傍で心配することも許されないのか。
「そりゃ、今回はわたしにどうこうできることじゃないし? ……分かってるけど、分かってるけどさ!」
行き場のないやるせなさに布団を両手でばんばんと叩くが、何もすっきりしなかった。
凌霄から毎日経過報告は聞いているが、余計にもやもやが増えるだけだった。
今日は熱が下がりきったことを教えてくれた。
「……熱ないなら、会っても、よくない……?」
身体も最初に比べれば辛くないだろうし、と言い訳を自分に言い聞かせるように呟いて、寝台から下りる。
笛を手に持って、できる限り音を立てないように扉を開ける。
夜の見張り番が宮の外にちらほらいたが、彼らの目を盗んですり足ですばやく移動する。
(なんか、笛見つけた日思い出すなぁ……)
漣夜の部屋の前にも見張りがいたから、扉とは反対方向に回る。そこにはちょうど窓がある。観音開きで鍵はあるが、ちょっとしたコツで簡単に開く。
(……開いた!)
カタッと小さな音だけを立て、窓は開いていく。
そこによじ登って、部屋の中へと侵入する。窓から降りる時も、音が最小限になるように気を付けて。
(よ、っと……寝てる……)
開けっ放しの窓から差し込む月光が、寝台の大きな塊を照らす。
寝台に歩いていき、漣夜のすぐ横に立つ。もう熱は引いたと聞いていたが、まだ多少の発汗はあるようで、額に前髪が張り付いていた。
その前髪を横に払うと、ゆっくりと漣夜の瞼が開いた。
まさか起きるとは思っておらず、肩がびくりと跳ねる。
「……何、してる」
「え、あ、えっと……」
「夜這いにでも来たか」
「よばっ!? ――!」
漣夜の思わぬ言葉に大声が出かけたが、急いで口を噤んだからか、部屋の前の見張りには聞かれていなかったようだ。
「ちがっ! 心配で……!」
「心配? ……お前が?」
「そりゃそうでしょ! あんな追い出され方したし……」
漣夜は身体を起こして、寝台の縁に腰かける。
顔色はだいぶよくなったが、少し痩せているような気がした。吐き気があると凌霄が言っていたから、それほど食べられていないのだろう。
「……は、猿か」
開いていた窓を見て侵入経路を想像したのだろうか、漣夜は喉をくっくっと鳴らしながら言った。
早く完治するといいな。そう思っていたのに、漣夜の一言でその願いはがらがらと崩れ落ちた。
「猿じゃない!」
「ふ、お前は、やることすべてが同じ人間とは思えんな」
「皇族と庶民じゃ、別と言えば別でしょ」
「皇族、か……」
窓から覗く月を見つめながら、ぽつりと呟いた。
「? うん、だって皇子だから」
「お前にとって、俺は『皇子』か?」
「……何が言いたいのか分かんないけど、肩書って意味ならそうだよ」
桜鳴の言葉を聞いた漣夜は一拍置いた後、「そうか」と小さく答えた。
「漣夜が、って意味なら、うーん……皇子っぽくないよね、口悪いし!」
「……」
「外面いい時は皇子やってるなぁって思うけど、凌霄さんとわたしの前だと、その辺にいるガラの悪いただの人って感じ!」
思ったことをそのまま口にした後に、やってしまった、と桜鳴は思った。聞かれたから言った、という言い訳も通用しないだろう。
何も言わない漣夜の顔をおそるおそる見遣る。
月の光が緋色の瞳に反射して、きらきらと綺麗に輝いていた。
「……、お前は、本当に躾がなってないな。仮にも主人に何言ってるんだか」
「だって……そもそも、主人ってのも外向けのものだと思ってるし……」
「なら、俺はお前にとって何だ」
「ええ? うーん……」
頭を悩ませて考える桜鳴を言葉を待つように漣夜はじっと見つめる。
「強いて言うなら、仲間? あ、守護者とか? 奏祓師だし!」
「……は、短絡的だな」
「悪かったわね! じゃあ、漣夜はどう思ってるのよ!」
「俺、は――」
漣夜は返答に困ったように視線を伏せる。ちょうど桜鳴の持っていた笛が視界に入った。
「……笛」
「え?」
「笛、持ってきていたのか」
「……ああ、うん。いつも一緒だし」
「なら、何か一曲吹け」
命令口調のそれに一瞬かちんときたが、笛が吹けるならば話は別だ。
桜鳴はすぐに笛を構える。
今日は月が真ん丸でよく光っているから、それに合うような、しっとりとした曲。忘れかけてた『早く治りますように』の気持ちも込めて。
途中漣夜が何か言ったような気がしたが、笛の音に浸っていたから、聞き取れなかった。
その後、すぐに部屋の前にいた見張りが中に入ってきて、侵入者がいたことに驚いていたのは言うまでもない。
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