第30話 半透明
体調も快復し、いつも通りの日常が戻ってきてから数日が経過した。
部屋の前にいた従臣の
それに従い入室すると、皇帝陛下はゆったりとした衣服へと着替えていて、くつろいでいた。
「お休みのところ、申し訳ございません」
「よい。私が呼びつけたのだから」
顔を上げよ、という皇帝陛下の言葉に、ゆっくりと頭を上げ、前を見据える。
威厳があるが、親しみやすさもあり民のことを一番に考える名君。だが、心の奥では何を考えているのかを見せない。皇帝にふさわしい御方。こうなりたいものだ、と漣夜は改めて思った。
「漣夜」
「、はい」
「体調を崩したと聞いたが、その後どうだ」
「もう万全でございます。御心配り、感謝いたします」
毒を盛られたことは、できる限り知られないように医者には口止めをしていた。わざわざ盛った相手に弱ってますと知らせることもない。
とはいえ、10日ほども部屋に籠りきりだったから、何かあったのではないかと、噂は立っていたのだろう。
それが皇帝陛下の耳に入り、今日こうやって呼び寄せたのだろうか。
「それならば、今宵あたり、伽をせよ」
「……伽、にございますか」
突然の命令に、皇帝陛下の言葉を
ここ何か月かは、夜伽を一度もしていなかった。忙しいというのを建前にすべて後回しにしていた。
元々、そういったことが苦手で、よくてひと月に一度、普段は数か月に一度しかしていなかった。
皇族には世継ぎを残す役目があることは理解している。
だが、寝台の上で女性と共にいると、どうしてもあの時のことが脳裏を過った。使い物にならなくなることも多々あった。
女性をも可哀相な気持ちにさせるくらいなら、避けた方がいいと考え、徐々に回数が減っていった。
「また今回のようなことがあり、命でも落としたら、そなたの子孫が残せなくなる。他にも皇子はいるが、子は多くいるに越したことはない。分かるな?」
「……はい」
「ならよい。適当に見繕わせ、今宵、そなたの部屋に行かせる。もう下がってよい」
「承知、しました」
皇帝陛下の命は絶対だ。
漣夜はただ引き下がることしかできなかった。
◇◇◇
「んー!」
ここしばらくは、漣夜の毒騒ぎのこともあり出来ていなかった。衣服を通り抜ける夜風が心地よくて、久しぶりのその感覚に身を委ねていた。
(今日は、どの辺に行こうかなぁ……ん?)
行き先を考えながら、とことこと歩いていると、あまりこの宮では見かけない人影が見えた。
女性が、数人の男性に抱えられながら、漣夜の部屋の方へと向かっていった。女性の衣は簡素なものだったが、頭にいくらかの飾りがついていたから、おそらく后妃だろう。
(知り合い? ……そんなわけないか)
あの言い寄っていた后妃に能面のような表情をしていた漣夜を思い出し、くすりと笑う。
それなら、誰が何の用で漣夜の部屋に行ったのだろうか。
先ほどの男性たちが桜鳴の横を通り、宮の外に行き、そこで待機しているようだった。
彼らの背中だけが見えた。こちらを向いている者はいなかった。
(……行くしかないよね!)
好奇心は止められない。奏祓師になってから、より顕著になっているような気がする。
桜鳴は散歩をしていたことも忘れて、うきうきと漣夜の部屋の裏側へ歩いていった。用事がすぐに終わるかもしれないから、早歩きで。
観音開きの窓をちょちょいと動かし鍵を開ける。つい先日潜入したばかりの、入り口とは真逆にある窓を覗き込めるくらいまでに開く。気付かれないようにゆっくりと。
中には、やはり先ほどの女性と漣夜が向かい合って円卓に座っていた。
(何、話してるんだろ……)
耳を澄ますが、会話が聞こえてこなかった。小声というよりかは、何も言葉を交わしていない様子だった。
なら何のために。桜鳴の疑問は深まっていった。
が、すぐに、解決されることとなる。
(あ、立った。どこ行――寝台……? っ!)
二人が椅子から立ち上がったと思ったら、女性が漣夜の寝台に寝そべり、続くように漣夜も女性に覆い被さるように寝台へと上がった。
色恋に興味がない桜鳴でも、ここまでくればこの後のことを察することができた。
見てはいけないものだ、と思い、退散することにした。ゆっくりと窓を閉じたつもりだった。
(、あっ!)
風が少し強く吹き、ぎぃと窓が音を立てた。完全に閉じる寸前に、中にいた漣夜が窓の方を振り返ったのが見えた気がした。
桜鳴は足音も気にせず、大慌てでその場から逃げていった。姿は見られていないだろう。
「は、はぁ……あっぶなぁ……」
桜鳴は息を切らしながら、なんとか見つかることなく自分の部屋に到着した。
まさか、女性に一切興味がなさそうなあの漣夜が、そういうことをしているとは思ってもいなかった。この目で見たというのに、まだ信じられない。
それに。
(なんか、なんだろ……意外、滑稽、……嫌……?)
桜鳴は、胸につかえる名前のつかない感情に、首をひねった。
◇◇◇
一晩寝ても、桜鳴の胸の中はもやもやしたままだった。これは何だろう。
そう下を向いて考えながら執務室に入ったら、部屋の入り口で人にぶつかった。
緋色の吊り上がった目が、じろりと睨む。
「前を見ろ、馬鹿」
「ば……か、じゃない、し……」
昨日のことが脳裏を過り、しどろもどろになる。
色事に興味はないが、その内容までを知らないわけではない。覗いていたこともあり、気まずくなり、視線を右往左往させる。
「いつもみたいな威勢がないな。後ろめたいことでもあるのか」
「べっ! 別に、ないですよ! ない! 絶対ない!」
「……あるって言っているようなもんだぞ、それ」
「そ、そんなこと、ない、……」
尻すぼみに言う桜鳴に、漣夜はいやらしい笑みを浮かべる。
「あそこの窓。宮に入れて、かつ、俺も知らないような、裏からの鍵の開け方を知ってるのは、お前くらいだ」
「! 最初から、気付いてたのに、泳がせてたってこと!?」
「いい反応するからな」
くっくっと喉を鳴らして笑う漣夜の腕をぽかぽかと叩く。相変わらず性格の悪い男だ。
「お前が怒る権利あるのか? 覗き魔のお前が」
「覗き魔ぁ!? 知らない人が入って行ったから、何してるんだろって思っただけで!」
「覗いたことは事実だろ」
「う……ご、ごめん……」
ごもっともなことを言う漣夜に、桜鳴はバツが悪そうな顔をして謝った。
許してくれたのか、それとも、どうでもいいのか、椅子の方へと歩いていき腰かけた。
「……でっ、でも、意外だったなぁ。漣夜は興味ないんだと思ってた」
「……これも仕事だ。『皇子』のな」
「ふ、ふーん、仕事、ね。仕事……そっか……」
皇族の役目という名の『仕事』。
以前に
桜鳴の妙な応えに、漣夜は怪訝な表情をする。
「なんだ」
「別にっ! 何でもない!」
「変なのは、今に始まったことではないか」
はあ、と溜め息をつく漣夜に、その辺にあった適当な書物を投げ飛ばしたが、上手く捕られてしまい、逆に投げ返され見事に顔面に当たってしまい、痛みと共に怒りが湧き上がってきた。
それと同時に、胸のもやもやが少しだけ、すっと消えたような気がした。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます