【第三章開始】後宮で囀る音色は~第三皇子に憑いている魔を祓えるのは、どうやらわたしだけのようです~

青青蒼

第一章 邂逅

第1話 お祭り

 抜けるような青空だった。普段じゃ見ないくらいの人通りの多さに気分が高揚して、父の手を離して思うままに前へと走っていく。当たり前に人にぶつかってしまい、追いついた父が相手に「すみません、すみません」と何度も謝っていた。


「――桜鳴おうめい。勝手に走っていくんじゃない。危ないだろう」

「おとうさん! なんでこんなにひといっぱいなの!」


 繋がれた手を振りほどいてしまうかというほどに興奮して飛び跳ねていると、後からゆっくりと現れた母が静めるように言った。


「今日は国をあげてのお祭りなのよ」

「おまつり! あ! あっちにも、いっぱいひといる!」

「あ、こら、桜鳴! 今走るんじゃないって言ったばっかり……!」


 少し遠くに見えた人だかりに走って向かうと、その奥に開けた舞台のような場所が間から見えた。

 何があるんだろう。

 たくさん集まった人々の足元を無理やり通り抜け、一番前へと飛び出ると、数人が綺麗で優美な舞を披露している横で一人の男性が一本の棒を横に持ち口元へと宛がうと、甲高い音が鳴り響く。ざわざわとしていた人々はあっという間に静まり返り、全員が彼らに視線を集中させる。


(あの音……なに……? すごい……!)


 桜鳴は目を輝かせて食い入るように音の発生源の男性を見つめる。

 小鳥が囀るような音。繊細で柔らかい、でも、ちゃんと芯があって心を震わすような音。その音に一瞬で虜になった。

 舞が終わって、一気に歓声があがる。その中に小さく「桜鳴ー!」と聞いたことのある音が入る。父の声だ。観客たちと同じように小さな手を叩いていたのを止め、人だかりの後ろに這い出ると、そこに父と母はいた。


「あ、いた! おまえはなぁ……」

「おとうさん! あのおと、きれい! でも、それだけじゃなくて……!」

「はいはい、落ち着こうな。あと、もういきなり走ったりするなよ?」

「うん! おとうさん、あのおとなに!?」

「音……?」


 父は先ほどまでいた人だかりの方に目を向ける。まだ演舞を披露していた人たちが広場に残っていたようで、「ああ」と思い当たる節があるような声を出した。


「楽器、って分かるか?」

「きょくつくるやつ!」

「うーん? まあ、だいたい合ってるか。その楽器の中の、笛ってやつだ」

「ふえ! おうめいもあれならしたい!」


 目線を合わせるためにしゃがんだ父の目を見つめて、鼻息荒くしながら言う。父も横にいた母も「あー……」と何か言いにくそうにしていた。


「桜鳴、あれはな、選ばれた人しか吹けないんだ」

「なんで!? ふえ、おかねいっぱいいるの!?」

「いや……お金の問題じゃなくてな、才能の問題なんだ」

「さいのう?」

さい家――皇帝陛下の家に伝わる特殊なもので、特異な力がある人にしか音が出せないんだ」


 まだ未発達の脳は父の言葉を理解することができなくて、頭を抱えて悩むしぐさをする桜鳴に、母が「桜鳴にはまだ難しいわよ」と言いながら父を小突いていた。

 それから後のお祭りはどんなことがあったか、はっきり覚えていない。何度か両親に話しかけられたが、全部に生返事をしていた気はする。半ば父に手を引っ張られながら、心ここにあらずのまま家まで帰った。


 自分には吹けない。そのことだけは分かっていたけど、それでもあの音に囚われてしまった。



 そんな5歳の初夏から約10年後。



 15歳になっても変わらず、あの音色が記憶にも心にも残ったままだった。あれから国をあげての大々的なお祭りは何度かあったが、あの日のように笛が奏でられることは一度もなかった。

 それでも鮮明に思い出せる、高いけど耳障りにはならない柔らかい音。


 あの笛が特別なことは分かったけど、別の、普通にそこらの店で売ってるような笛なら吹けるんじゃないかと思って、父に聞いたが。


「少なくとも、この華嵐帝国内で笛を販売しているところはないと思うよ」


 父が嘘を言うとは思えなかった。それに、父は仕事で王宮に出向くこともある。そこであの特別な笛のことを誰かから聞いたから、こうもはっきり言えるんだろう。


 諦めきれなかった。近くにある楽器の類を売ってそうな店をいくらか見て回ったが、父の言った通りどの店にも笛のふの字も見つけられなかった。

 都市の中心部でこれだから、郊外に行こうもんなら存在すら知られていない可能性もある。


 確認したいという好奇心はあったが、両親に必死に止められた。さすがに幼少期のようにすべてを無視して突き進むほど周りが見えていないわけではなくなった。

 だから、笛は売っていない。あの特別な笛しか存在していない。


 そう無理やりに納得させていた。



 あの音色を出すことは不可能。それどころか、聞くことすらもうできないかもしれない。忘れることは絶対にないだろうけど、忘れないように大切に心の中にしまっておこう。


 もう15歳だ。

 この国では婚姻もできる年齢、つまり、大人になったのだ。だから、やりたいと思ったことを猪突猛進にやるような年齢ではない。

 父にも母にも、「もう落ち着いた淑女になりなさい」と言われた。そうあろうと思った。



 ――笛を目にするほんの一瞬前までは。

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