第3話 笛
ずっと求めていた笛に気を取られて、この物置部屋に人が入ってきていることに気が付いていなかった。
「――お前、誰だ」
「え」
後ろから降り注いだ言葉に驚いて素っ頓狂な声が出る。ギギギ、と音が鳴りそうなくらい、ぎこちなく首を後ろに向けると、背丈のある若い男性が立っていた。
少し吊り上がった深い緋色の瞳がこちらを真っすぐと見据えてくる。整った顔立ちだが、今はそれが冷たく感じ怖い印象を与える。
「今、それを吹いたのはお前か?」
「……あ、いや、その……」
男性は
この場から逃げたい気持ちでいっぱいだが、部屋の出入り口は男性側にあるし、それに。
(せっかく、この音にまた出会えたのに……)
笛をぎゅっと握りしめる。
自分の物ではないうえに、皇族が大切にしている物だ。返さなければいけないことは分かっている。でも、あとほんのもう少しだけ。
男性の視線が桜鳴を品定めするように上下に動いた後、はぁとため息をついて口を開いた。
「こんなちんちくりんに吹けるわけないか」
「……はあ!? 誰がちんちくりんだって!?」
言われたことに頭がカッとなって、先ほどまで隠れていたことも忘れて大きな声で反射的に言い返す。
たしかに、平均よりも小さい体格だけどちんちくりんは言い過ぎだ。それに。
「吹けるし!!」
見よう見まねで笛を横に構え、肺いっぱいに酸素を取り込み息を吹き込む。怒っているからか、音色も少し刺々しく感じる。せっかくいい音が鳴るのにもったいない。心を静めて、綺麗に響くように優しく息を送ると、棘がなくなり丸みを帯びた音色になった。
(うん、こっちの方がいい……っじゃなくて!)
慌てて笛から口を離し、音に浸って閉じていた目をゆっくりと開ける。男性の方をおそるおそる見ると、驚いているような、それでいて怪訝そうにこちらを見ていた。
王宮内を歩き回り部屋に不法侵入した。皇族が大事にしているという特殊な笛を勝手に吹いた。
刑に処されるにはあまりにも十分な証拠である。
「お前が、
「え、なに――」
男性が小さく呟いた言葉が聞こえなくて聞き返そうとしたのと同時に、部屋の扉が音を立てて開く。数人の大人が入ってくる。大声を出したからなのか、それとも笛の音を聞きつけてきたのか。
どちらにせよ、桜鳴にとっては窮地に違いなかった。
「
「
「それで、そちらは……?」
人をちんちくりんとほざいた男に『凌霄』と呼ばれた人が、桜鳴を不審そうにじろじろと観察する。こちらの男性も背が高くて、普通よりも小さい桜鳴にとっては圧が感じられ、より縮こまってしまう。
「こいつ、おそらく奏祓師だ。持っている笛は、――俺のだ」
「漣夜様の……? どうしてこんな場所に……」
「さあな。いろいろ聞きたいことはあるが、とりあえず、お前」
「! は、はい!」
急に話を振られて声が裏返る。目の前で話している二人以外の視線も向けられる。部屋の前をたまたま通りかかった人たちも「なんだなんだ?」と、見えないながらも野次馬のように集まってくる。
なんの刑が執行されるのかと、びくびくしながら男性の次の言葉を待つ。
「名前は」
「はいぃ! なんでも受け入れま――え?」
「さっきからずっと聞いてるだろ。お前、誰だ?」
「
「――桜鳴!?」
男性と桜鳴の声だけが聞こえていた空間に、いきなり第三者の驚きの声が割って入った。
何度も聞いた声。毎日聞いている声。その声で幾度となく「離れるな」と、「落ち着け」と言われてきた。きっとこの後も怒られるのだろう。
「ちょ、す、すみませんっ! ……はぁ、おまえ、何してるんだ……」
「……お父さん」
「部屋で待ってるって約束したのに、なんでこんなところに――! その笛、どうして……」
「
『凌霄』と呼ばれていた人が父の名前を呼ぶ。父の肩が小さくびくりと跳ねる。
幼い時から何か粗相をしては、その度に父と母が相手方に頭を下げて謝罪をしていた。その後に「何してるんだ、まったく」と怒られるまでが定番の流れだ。父は、今回も同じようになることを憂いているのだろう。
「雲軒氏の御息女で間違いないでしょうか」
「はい。この度は娘がとんだ御無礼を――」
「いえ、そうではなく……雲軒氏ならすぐに理解されると思いますが、彼女は奏祓師です」
「……え? お、桜鳴が奏祓師? そんな馬鹿な……」
父と視線が交わる。先ほどから話に出ている奏祓師なるものが、一体何のことだか分からないと首を傾げながら目で訴える。
その意図が伝わったのか伝わってないのか、三人はひそひそと二、三回言葉を交わした後、父が二人の男性へと頭を下げる。
「――では、よろしくお願いします」
「な、なにが……? って、わっ!」
桜鳴は、最初に見つかった男性にひょいっと軽々持ち上げられた。さながら米俵を抱えるかのように。
「行くぞ、ちんちくりん」
「誰がっ! っていうか、離して! どこ連れてくの!」
「子猿のように騒々しい奴だ」
「さ、猿ぅ!?」
「猿の方がまだ落ち着きあるかもな」
よくここまで失礼なことがすらすらと出てくるな、というほどに人を貶す男の手から逃れようともがくが、一緒に隣を歩いていた男性の言葉ですぐに動きを止めた。
「桜鳴様。こちらの御方を御存じですか? 我が
第三皇子だという男は、脱力して無抵抗になった桜鳴を小脇に抱えたままどこかに連れて行く。
(……わたしの刑は極刑かな)
暗くなり始めた空を見ながら、そうではないように祈り続けた。
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