第4話 奏祓師

「うぎゃっ!」


 第三皇子だという男は、どこかの部屋に着くなり抱えていた桜鳴おうめいをモノかのようにぽんと放り投げた。いきなりで上手く両足で着地できず、床に四つん這いになる。

 なに放り投げてんの、と文句を言いたいところだったが、これ以上罪を積み重ねたくないから喉元で留め飲み込んだ。


(もう、意味ないかもしれないけど……)


 ここに来るまでに放心しながら思い出したことがある。

『第三皇子』という言葉を聞いた時どこか引っ掛かっていたが、いつだったか、街でこんな噂を聞いたことがあった。


 第三皇子は、残虐非道で気に入らないものは片っ端から容赦なく殺す――。


 無礼を働いていて気に入る要素は何一つない。そのうえ、不法侵入して勝手に大事だという笛も吹いた。どう考えても、見える未来はひとつしかない。

 おそるおそる男の方を見ると、少し吊り上がった緋色の瞳で冷たく見下ろしていた。これから起こるであろうことに、身体がぶるりと震える。

 おもむろに男の手がこちらに伸びてきて、思わず目をぎゅっと瞑ると、身体が再びふわりと浮き上がる。


「わっ!」

「立て。いつまでそんなところに這いつくばってるつもりだ」

「す、すみません……」


 両腕で抱きかかえられ、足を地につける。これから処刑する相手に、こんなことをしなくてもいいだろうに。それとも、立ったまま命が絶えるところが見たいのだろうか。


「――い、おい。聞いているのか」

「え? あ! すみませんすみませんっ!」

「これ、もう一度やってみろ」

「これ……?」


 そう言って男が差し出してきたのは、あの笛だった。

 もう一度やってみろ、というのは、どういうことだろう。吹け、ということだろうか。でも、この笛は皇族の大事なもので、いくら皇子の命令だとしても庶民が吹いていい代物ではないのではないか。


(……目の前で吹くのを再確認して、罪を確定させたい、とか……?)


 残虐非道と噂される男ならあり得る。ほら、今吹いただろ、極刑だ、と。


(それに……)


 部屋の中にいるもう一人に目だけをちらりと向ける。さっきは皇子にしか見られていなかったが、従臣と思われるこの人にも吹くところを見られたら、客観的証拠も十分であろう。

 なかなか動かないことに苛立ったのか、笛を胸に強く押し付けて「早くしろ」と急いてきた。

 そんな面倒なことをしなくても、さっさと殺してしまえば楽なのに。

 そう思いつつも、従うしかなかった。


(やりますよ! やればいいんでしょ! やってもやらなくても死ぬなら、せめて最後に――)


 小鳥が囀るような綺麗な澄んだ音色を聞きたい。


 笛を横に構えて、口元に当てる。息は優しく、でも、しっかりと一本で送って。どうせなら、塞ぐ指も変えて、別の音を出してみよう。

 高い音もキンキンと耳障りにならないように、柔らかい音を意識して。低い音は強く吹きすぎて裏返らないように。

 いくらかの音を組み合わせて、曲もどきも作ってみよう。作曲の才能なんてないだろうけど、適当でかまわない。


(このあとは……高い音で、短く、弾むように! それから、重低音で、沈んだ気持ちを……うーん、これはいやだなぁ)


 この笛は、低い音もいいけど高い音で透き通るような音が一番映える気がする。天高く届きそうな突き抜ける音。それに、明るい音色の方が性に合ってる。


「……これは、また……」

「、――」


 二人が何か言っているような気がするけど、今はこの笛との最後になるだろう演奏に夢中だった。


(これは、どう? ……そっか、じゃあ、次は、これ! ね! いいよね!)


 一挙手一投足にさまざまな顔を見せてくれるのがとても面白かった。ずっと吹いていたい。

 だが、それは、吹けと命じてきた男の強引な制止によって中途半端なところで終わりを迎えた。


「もういい」

「ぁ……はい……」

「ここに座れ」


 部屋の中央にある大きな円卓を指差しながら言った。何をされるのだろうか、と怯えながら言われた通りに椅子に座る。

 皇子の隣に立っていた従臣が奥にある引き出しから一枚の紙を持ってきて、円卓の上に置いた。


「お前――桜鳴といったか、文字は読めるか?」

「え、文字? な、なんとなくなら……」

「はぁ……仕方ない、凌霄りょうしょう。読んでやれ」

「かしこまりました。――では、桜鳴様、こちらに書いてある内容を今から読み上げますので、しっかりと聞いていてください。また、不明な点がございましたら、後ほど仰ってください」


 桜鳴の脳内が疑問符で埋め尽くされている中、従臣の凌霄は紙に書いてあるという内容を滔々と読み上げていった。

 いろいろとややこしい部分はあったが、要約すると、今目の前にいる第三皇子に仕えろ、という、言わば契約書のようなものだった。ますます頭が混乱する。


「な、なんでわたしみたいな、ただの庶民が、皇族に仕えるんですか……?」

「お前、ちゃんと聞いていたのか?」

「一応……」

「読字できないうえに、理解力も足りないか」


 どうせ死ぬんだから、この減らず口を縫い付けてもいいような気がしてきたが、なんとか踏みとどまった。衝動のままに動いていた今までに比べれば大きな成長だ。


「お前は、庶民には変わりないが、――奏祓師そうふつしだ」

「奏祓師……」


 さっきの倉庫のような部屋で父も言っていた。さも知っていて当然みたいに言うが、なんのことだかさっぱりだ。


「あの、それで、その奏祓師というのは、なんでしょうか……?」

「……先ほど私が説明しましたが……」

「え」

「理解どころか、ただ聞くことすらできなかったか……」

「ちがっ! 聞いてたけど、いっぱいいっぱいで!」


 呆れた顔の目の前の男に慌てて釈明する。その必要があるのかは分からないが、馬鹿にされたまま死ぬのは誰だって嫌だろう。


「では、もう一度説明しますね。この笛は皇族であるさい家に男子が産まれるたびに、とある職人に作ってもらう特別な笛です。笛を吹けるのは、一本に対してこの世で一人しかいません。それを奏祓師と、私たちは呼んでいます」

「なるほど……?」

「そして、この笛にはある特殊な力が込められていて、それを出力できるのが奏祓師だけです。その力というのが、私たちは『悪鬼あっき』と呼んでいる魔のものを祓う能力です」

「なるほど……?」


 言ってる通りのことは分かるが、出てくる単語が現実離れしていて、頭の処理が追いつかない。はたから見ても、とぼけた顔をしているに違いないのに、凌霄は話を続ける。


「ここにある笛は、こちらの御方、蔡漣夜さいれんや第三皇子様の笛にございます。それを今、桜鳴様は見事に吹いてみせました。その気があったかどうかは分かりませんが、漣夜様の周りに漂っていた弱い悪鬼も祓っていました」

「なるほ……え? 祓った?」

「はい。演奏前は漣夜様の周辺に黒いもやが薄くかかっていたと思いますが、今はこれほどまでに明るくなっています。分かりますか?」

「う、うーん……?」


(分かるような分からないような……)


 何より処刑されると思っていたから、黒い靄に気づいていたとしても、この男の残酷な性格が滲み出ていたとしか思えなかっただろう。でも、たしかに少し空気が清らかな気がしなくもない。残虐非道な人とは思えないほど、――。


「なので、桜鳴様には――」

「あっ!? わたし殺されない!?」

「は?」


 脈絡のないことを言った桜鳴に、漣夜は呆気にとられたような声を出した。

 まずいと思い口を両手で塞ぐも、もう音になって出ていったものには意味がない。赤い瞳の吊り目が先ほどまでよりもより高く上がる。


「俺はお前を殺すつもりだったのか」

「え、いや、あの、その……」

「なんだ」

「そ、そういう、鬼のような形相を、していらっしゃってございまして……」


 その言葉に凌霄は、ぶっ、と吹き出し、漣夜はそれを睨みつけていた。もう今更な気がするが、言ってはいけないことを言ってしまったようだ。どれだけ取り繕っても今度こそ処刑されるかもしれない。


「も、申し訳ございませんでそうろうっ!」

「……なんだその口調は」

「ははぁー!」

「……はあー……」


 椅子から飛び降り、足元にひれ伏す桜鳴を見て、漣夜は大きなため息をついていた。それを、凌霄はもはや隠すことなく声を上げて笑っていた。


「……目つきが鋭いことは理解している。だからといって、すぐに人を殺めるようなことはしない」

「そ、そうなんですか? でも、噂で――」

「残虐非道、だろ。国民がそう思っていることも知っている。誰が流したんだか、知らないがな」

「、くっ、ふぅ……桜鳴様、噂には尾ひれがつくことが常です。それに、漣夜様はすべての国民が幸福になることを望んでおられます。そのような御方が、誰彼構わず殺して回ると思いますか?」

「い、いえ」


 無礼をたくさん働いたはずだが処刑しなかった。奏祓師の力のおかげかもしれないが、この男が噂のような人物でない。何故か、そんな気がした。


 魔を祓う力がある。そうは言われても、実感はほとんどできていないが、この笛を吹くのは楽しい。今はまだそれだけでいいかもしれない。

 手の中にある笛を見つめていたら、漣夜が再び口を開いた。


「まあ、ある意味殺されるようなもんかもな」

「え」

「俺専属の奏祓師になったら、他の皇子たちから殺されるかもしれない俺を守らなければいけないからな」

「……え?」

「皇帝陛下は、次期後継者を決めてない。順当にいけば第一皇子の蒼峻(そうしゅん)兄上だが、陛下が決めていない以上、それは確実ではない」



「つまり、――皇位継承を巡る争いが、起きる。いや、すでに起きている」



 この日から桜鳴の日々は大きく変わっていった。

 ――死が、すぐ傍にある毎日に。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る