第19話 同じ顔
翌朝、早く目が覚め、朝の支度を済ませてから皇宮へと向かう。いつもよりも歩いている官吏の数が少ないのを新鮮に思いながら、きっと部屋には誰にもいないだろうと扉を開けると、そこには
「……」
読んでいた書物から顔を上げ、誰が入ってきたのかを見た後、すぐに視線を戻す。挨拶するまでもないということか。
(まあ、普段からしてないけど……)
特になさそうで、さっそくやることがなくなってしまった。この部屋に流れる沈黙の空気が気まずく、何かをしていたいと思い、適当に棚から書物を手に取る。
(これくらいなら……分からない言葉もあるけど……)
飛ばし飛ばしでも内容は理解できるはず。それに、前後の文脈から意味が分からない単語が読み取れるかもしれない。凌霄がいない時の勉強にもいいだろう。
紙に書き出しながら読もう。長椅子に座ろうと振り返ったら、すぐ真後ろに連夜が立っていた。まったく気配がなかったため、驚いて肩を跳ねさせる。
(な、なんなの……)
高い位置から緋色の瞳で見下ろしてくるこの男が、何をしたいのか分からなくて、思わず身構える。
ちらりと上目で見遣ると、その瞳と視線がぶつかる。漣夜の口がおもむろに開く。
「……おい」
「な、なによっ」
「いつまでそこで突っ立っているつもりだ」
溜め息混じり言う漣夜に、頭に急速に血が上っていく。
「別にどこにいたっていいでしょ!」
「書物を元に戻したい俺が待機しているとしてもか?」
「っ! そうなら、『ちょっと失礼』くらい言えばいいじゃない!」
「すぐに
「はいはい、退きますよ!」
他の誰よりも真意が読めないんだから、全部言葉にしてほしいところだ。嫌味以外。
そんなことを思いながら少し避けると、書物を棚に戻していた漣夜が横目でじろりと見てくる。まだ何かあるのか。
「……それ」
「え? ああ、この書物?」
「俺が幼児期に読んでたやつだが、まだそんなのも読めないのか」
「っう、うるさいなぁ!」
くっくっと喉を鳴らしながらいつもの椅子に戻っていった。
昨夜、苦し気に横たわっていたのと同一人物だと思えないくらいの舌の回り方だ。こんなに絶好調になるくらいなら。
「もうちょっとあのままでもよかったのに……」
小声でそう呟く。離れているから聞こえないと思っていた。
「聞こえているぞ、馬鹿者」
「げっ! 地獄耳!」
「あのまま見捨てて、命でも落とそうもんなら、お前も俺の後を追うことになっただろうな?」
性格が極悪人のようでも、仮にも皇子だ。助けられる状態で助けないことを選択したとなれば、逆賊とみなされてもおかしくはない。こんな性悪のせいで、処刑されるなんて絶対嫌だ。
今度こそ聞こえないように小さく「最悪」と呟いたが、さすがの地獄耳にも届かなかったようだ。
桜鳴は、ふふ、と勝ち誇ったように笑った。
◇◇◇
昼食の時間になり、今日は皇宮で摂るという漣夜のために食事を取りに行く道中、昨日会ったばかりの顔を見かけた。
あれだけびくびくと怯えていたのに、一人で出歩けたのか。少し引っ掛かったが、軽く挨拶をしておこうと思い、後ろから声をかけた。
「こんにちは!」
「……あ?」
振り向いたその顔は、確かに
「誰だオマエ」
「えっと、漣夜、様の奏祓師で――って昨日御挨拶させていただいたんですが……」
そう言うと、少年は目尻をキッと吊り上げ、顔を険しくさせた。
「オレ様をあんな弱っちいヤツと一緒にするな!」
「え、え?」
混乱する桜鳴をよそに、少年は言葉を続ける。
「オレ様の名前は
胸を反らせて自信満々に言う宇霖、もとい、宇樂に、さらに困惑する。
顔は宇霖なのに名前が違うから、おそらく別人だとは思うが、どこからどう見ても顔は宇霖だった。
じろじろと見てくる桜鳴に、宇樂は不快感をあらわにする。
「オマエも、宇霖の方がすごいと思っているのか!?」
「えっ、い、いえ。そういうわけじゃ――」
ものすごい剣幕で詰め寄ってくる宇樂に、しどろもどろになっていると、宇樂の後ろから女性が笑顔で駆け寄ってくる。一歩進むごとに、胸が上に下にゆさゆさと揺れる。
「宇樂さま~」
「げっ」
宇樂の顔が、先ほどまでとはまた違った嫌そうな表情になる。そんなこともお構いなしに、女性は宇樂を後ろから抱き締める。宇樂の頭の上に大きな丸い瓜が二つ乗った。
「ごめんなさいね~。宇樂さま、ちょーっぴり、口が悪いので~」
「……大丈夫です!」
普段からもっと性悪が傍にいるので。口には出さずに、そう心の中で思う。漣夜に比べれば、かわいいものだ。
にこにこしている女性とは対照的に、腕の中の宇樂はわなわなと身体を震わせていた。
「っ離せババア!」
「あ~! こーら、宇樂さま。そんな言葉使っちゃ、めっ、ですよ~」
女性は宇樂の前に移動して、目線を合わせるように屈んで言った。
宇樂は、その視線から逃れるように、顔を背ける。
「う、うるせえ! オレ様は皇子だぞ!」
「そうですね~皇子だからこそ、民に慕われるように、丁寧に接しないと、です。分かりますか~?」
「ぐっ……」
返す言葉もなかったようで、口ごもった。
国は民がいてこそ。畏怖されるならいいが、ただ嫌われて民がついてこないという状態になっては、いい皇帝になれない。皇子だからと傲慢な態度でいては、誰もその人に従いたくはないだろう。
女性の言うことを漣夜にも聞かせてやりたい。そう考えていた桜鳴を女性はじっと見つめる。
「あ、あの……?」
「宇樂さまには、しっかり言っておきますね~。では、私たちは、これで~」
離せ、とか、うるさい、とか、不満を吐く宇樂を強引に引き摺っていき、この場を去っていった。
「……あっ! ごはん!」
ただ宇霖に軽く挨拶をするだけのはずだったのに、予想外の事態に発展し、時間を要してしまった。
昼食を取りに行き、足早に部屋に戻ると、案の定部屋の主から「遅い」と文句を言われる。
「だって、途中人に捕まって……!」
持っていた御盆を机に置いて弁明すると、漣夜に鋭く睨まれる。
「……お前、昨日気をつけろって、できるって言ったよな?」
「れ、漣夜だって、あの場にいたら、しかたないなって思うよ! ……多分」
この男なら適当にあしらって、さっさと逃げてくるような気がしたと思ったのは胸に留めておこう。
漣夜の追及するような視線から目を逸らしていると、凌霄が会話に入ってきた。
「何があったんですか?」
「! よくぞ聞いてくれました!」
誰かに聞いてほしかったから、凌霄の言葉はちょうどよかった。この心に抱えたもやもやを晴らすことができればいいが。
「ごはん取りに行く途中で、宇霖様がいたんです。軽い挨拶をしようと声をかけたら――」
「あー……」
何かを察したような漣夜と凌霄の声が重なった。まだ最後まで話していないのに、分かったというのだろうか。
話を続けようとする桜鳴を遮るように、漣夜が言葉をかぶせた。
「宇樂だった、だろ」
「……そうだけど、なんで分かったの?」
「宇霖様と宇樂様は双子のご兄弟です。宇樂様がお兄様ですので、宇樂様は第四皇子になります」
「あー! だから、顔同じだったのね!」
凌霄の説明を聞いて、腑に落ちた。
そっくりすぎる顔は、一卵性の双子だったから。この国では、双子はあまり縁起のいいものとはされず、珍しい存在だから、その考えに至れなかった。
まさか皇族に双子がいるとは思いもしなかった。
「それにしても、よく似てましたよ。別人だと分かった今でも、正直間違えそうです……」
「すぐに見分けられる箇所がありますよ」
「そうなんですか? 何です?」
「前髪の分け目が逆なんですよ。宇樂様が右で、宇霖様が左です」
凌霄は短めの前髪を左右に分けながら教えてくれた。
先ほど会った宇樂を思い浮かべるが、どちらの分け目だったかまでは思い出せなかった。その代わりに脳裏を過ったのは、宇樂の頭に覆いかぶさる大きな丸い二つの瓜だった。
「あ、それから、後から、こう……身体つきのいい女性がやってきました。宇樂様と仲良さそうで」
それを聞いた漣夜は食事の手を止め、ごくんと食べていたものを飲み込む。
「――、宇樂の奏祓師の
「奏祓師……」
「後日、宇樂のところに挨拶に行くぞ。もう、約束もなく来られるのは勘弁だからな」
前例を咎めるように刺々しく言う漣夜に、桜鳴はぐうの音も出なかった。
数日後、約束を取り付け挨拶に行ったが、それはそれは借りてきた猫のようになった宇樂を見て、弟にまで恐れられている漣夜を少し哀れんだのは内緒である。
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