第20話 色事と愛
今日は珍しく丸一日休みになった。
最初は「休みなど必要ない」と進言を突っぱねていたが、「また倒れられても困りますので」と有無を言わさないような笑顔を浮かべながら強引に休ませていた。長く一緒に過ごして信頼しているからなのだろうが、あの漣夜が言いくるめられていたのは少しいい気分だった。
「ふんふん~」
昨日のことを思い出して、上機嫌に鼻唄を歌いながら後宮を歩く。
休みだからといって部屋の中にいても暇なので、普段行かないようなところを見て回ろうと思った。もちろん、他の皇子の宮にはできる限り近づかないようにして。それから、位の高い后妃たちの宮にも。何かされるかも、というよりは、余計な面倒事を起こさないようにしたいから。
そうなると、必然的に歩くのは女官の仕事場や、彼女たちの寝所周辺になる。この辺りは、建物が所狭しと並んでいて、物陰が多い。何か秘め事をするには持ってこいの場所だ。
「きゃあっ!」
まさにその物陰から女性の悲鳴が聞こえてきた。何事かと急いで声のする方へと走った。
目に入ったのは、色素の薄い茶色の綺麗な巻き髪。その向こう側から、見たことのない女官の顔が見えた。他の皇子付か、誰のところにも属していないか。少なくとも、漣夜付の女官ではなかった。
女官は桜鳴と目が合うと、暗がりでも分かるくらい顔を真っ青にする。
「しっ」
「え、どうかし――」
「失礼しましたぁ!」
女官は大慌てで、はだけた衣服を手で押さえながら走り去って行った。残されたもう一人がゆっくりと振り返る。薄い緑色の宝石のような瞳がきらりと光る。
「あーあ。邪魔されちゃった」
男性――
「責任とって――って、きみ、漣夜の奏祓師の……」
「は、はい! 楊桜鳴です!」
元気よく名乗ると、天瑞の顔から妖艶な笑みが消え、一瞬曇った後、すぐにいつもの愛想のいい表情になった。
「あの面白かった
「いや、えっと、女性の悲鳴が聞こえたので……そしたら、その……」
言葉にするのは憚られる行為に、ごにょごにょと口ごもる。その様子を見た天瑞は、にやにやと口の端を歪める。
「へー……桜鳴は、まだ男を知らないんだ」
「まだ15なので、特に不思議ではないかと……」
「15なら経験してても十分不思議ではないよ」
女性の15歳は成人で婚姻も可能になる。つまりは、子をもうけるような行為をしていてもおかしくはない。
だけど、桜鳴にとってはそうではなかった。誰々がかっこいいだとか、家柄がいいから婚姻したいだとか。同年代の女子が男性に頬を朱に染めている一方で、桜鳴はお祭りで聞いた笛に執心だった。
異性の顔が整っているかどうかくらいは分かるが、それで恋慕の情を抱く、という感覚があまり分からなかった。現に目の前にいる天瑞を見ても綺麗だとしか思えない。
「そ、そもそも! そういう、色恋に興味がないので……」
「そうなんだ。もったいないね、気持ちいいのに」
「きもちっ!?」
「ふふ、いい反応するね」
赤くなった顔を隠すように両手で覆う。指の隙間からくすくすと笑う天瑞を見る。
どうしてこの人は、そんなにも色事が好きなのだろうか。快感だけが目的なら、数人に絞ってもいいだろうに。
「あの……」
「ん、なに?」
「天瑞様は、どうして、その……たくさんの女性に、お手を付けられているのでしょうか……?」
「んー? 気持ちいいし、跡継ぎを残すのも、皇族の役目だし」
言っていることにおかしなところはない。まだ皇位継承権が決まっていない段階で、次の世代を残すことを考えるのは尚早な気は多少するが、とはいえ、
「それは、そうですが、誰彼なしにお手を付けらるのはどうかと……」
「えー? でも、みんな喜んでくれるよ?」
「皇子に寵を与えられたら、誰だって嬉しいと思いますよ」
「桜鳴も?」
天瑞が目をじっと合わせてくる。普通の女性なら嬉しいだろう。生きている内に手が届くかどうか分からないような高貴な御方に可愛がられるのだから。
普通なら、だ。
「いや、わたしはそういうのに興味ないって言ったばかりじゃないですか」
「僕に愛されるのに?」
「……今までお手を付けた女性全員を愛しているんですか? 平等に?」
「まあ、だいたいは」
「ずいぶんと博愛主義ですね……」
思わぬ、とも、予想通り、とも思える答えに、若干引いてしまったのに気が付かれていなければいいのだが。
この人が、次期皇帝になりでもしたら、女性関係のせいで国が滅びてしまいそうだ。たくさんの女性を相手にするなら、それだけの時間も必要になるだろう。
「なかなか一人の時間が持てなさそうですね」
四六時中誰かが傍にいたら気疲れしてしまいそうだ。どの女性よりも身分が上だから、そんなこともないかもしれないが。
桜鳴の問いに、天瑞は視線を斜め下に逸らし、小さく呟いた。
「……その方が、いいんだよ」
「え? なんですか?」
「……なんでもないよ。だから、こうやって執務中も逢引きをしているんだよ」
悪戯っ子のように笑いながら言った。同じ皇子なのに漣夜とは大違いだ。
「僕、政あんまり興味ないんだよね。
「そうだとしても、与えられた仕事はしないと、他の人が困りますよ」
「皇子の僕にそんなこと思う人いないよ。桜鳴、変わってるね」
「……よく言われます」
そりゃ皇子には普通言えないだろう、という言葉を飲み込んで、不服そうに言う桜鳴を見て、天瑞は、「はは!」と陽気に笑った。
「じゃあ、言われた通りに仕事してくるよ」
「いい心がけですね」
「またね、桜鳴」
天瑞は、宮の方へと向かって歩いていくが、二、三歩進んだところで、立ち止まった。なんだろう、と疑問に思っていると、背中を向けたまま天瑞は口を開く。
「……そういえば、少し前に夜に笛の音が聞こえたけど、漣夜の宮の方だったね」
あの夜のことか。天瑞の宮は、漣夜の宮の近くだから、音がそこまで届いてしまったのだろう。笛の音色はよく響き渡るから。
「あ、そうです。うるさくしてしまい、すみません……」
「いや、別に構わないよ。夜中に大変だね」
「それがわたしの仕事なんで!」
胸を張って言うと、天瑞は小さく「そう……」と呟いてから、帰っていった。
(全部、上辺なんだよなぁ……)
薄っぺらいというよりは、言葉に気力が感じられないというのが近いかもしれない。確かに天瑞が話している言葉なのに、そこには天瑞の意思がないように思える。皇子だから、そういう教育をされてきたのかもしれない。
(それにしては、あいつの悪口は心こもりすぎ)
脳内に嫌味ったらしい顔を思い浮かべてしまい、怒りの感情が湧いてきてしまい、慌ててその想像を振り払う。
せっかくの休日に不快になる必要もない。部屋に戻って、甘味でも食べよう。
桜鳴は自室へと足早に向かった。
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