第11話 第一皇子

 明日は朝早くから用事がある。


 そう漣夜れんやから告げられた桜鳴おうめいは、いつもより早く起きて準備を済ませていた。皇宮に向かおうと扉を開けると、凌霄りょうしょうと数人の女官が部屋の前に立っていた。

 

 女官たちの手には数着の衣服と装飾品や化粧道具があった。いつだかの日を思い出していたら、同じように身ぐるみを剥がされ別の服に着替えさせられる。肩より少し長いくらいの髪を綺麗にまとめ、ゆらゆらと揺れる飾りがついた簪を挿される。

 以前よりは派手さは抑えられているが、それでも普段の格好に比べれば十分豪奢な見た目だ。


 顔に塗りたくられた化粧に不快感を示していたら、凌霄が部屋に入ってきた。


「準備できたようですね。では、行きましょうか」

「あのー……今日の用事って何でしょうか? また御前だったりします……?」

「漣夜様からお聞きになっていませんでしたか。今日は蒼峻そうしゅん第一皇子様への御挨拶です」

「……え?」


 凌霄の予想外の言葉に桜鳴の返答が一拍遅れる。

 挨拶はこの城の主である皇帝陛下へのものでもう済んだと思っていた。他の皇子にする必要があるのだろうか。一応、皇位継承を争う相手だというのに。


(……いや、まあ、第二皇子には不可抗力でしちゃったけど……)


 先日の出来事を思い出す。あれは事故というか偶然というか、数に入れるものではないだろう。

 今回のようにわざわざ約束を取り付けてまでしなくてもいいのにとは思いつつも、凌霄の後ろをついて歩き漣夜の部屋まで行った。


「遅い」

「……言うと思った……」

「何か言ったか」

「なんでもございませんよっ!」

「そうか。さっさと行くぞ」


 指定された時間よりも早く着いたにもかかわらず小言を言ってきた漣夜は、ささやかな抵抗を意にも介さず部屋から出た。はぁとひとつ溜め息を吐いてから、彼の後を追った。



 漣夜が暮らしているところよりも幾ばくか大きく、豪勢な宮が見えてきた。

 あれが第一皇子の宮だろうか。

 宮の入口には門番が立っていた。無関係の人物が侵入しないようにどこの宮にも門番はいるが、漣夜のところに比べて張り詰めた空気が漂っていた。


「――これはこれは漣夜様。如何なさいましたか」

「蒼峻兄上と面会の約束をしてある。通してくれるな?」

「はい、お伺いしております。どうぞお通りくださいませ」


 漣夜の前に立ち塞がるようにしていた門番たちは、定位置に戻っていった。見慣れていなかったのか、桜鳴が門をくぐる時は妙にじろじろと見ていた。


「……聞いてるなら最初から通せばいいのに」

「そうもいきませんよ。彼らもこれが仕事ですからね」

「漣夜って分かっていても?」

「漣夜様が別の目的で訪ねている可能性もありますので。それで蒼峻様に危険が及んだ場合、処されるのは彼らです」

「……たしかに……」


 そんなことをこの男がするとは思えないが、主人に不測の事態があったら、いくら悪意が微塵もなかったとしても犯人とともに処刑されるだろう。理不尽だと思うけど、そういうきまりだからしかたがない。だから凌霄の言葉には、納得させられた。



 そうこう話しているうちに、女官に案内され宮の中でもひときわ大きな扉の前に到着した。どうやらここが第一皇子の部屋らしい。

 どんな人だろうか。何かひとつでも粗相をした瞬間に極刑を言い渡すような恐ろしい人でないといいな、と祈り、緊張からごくりと唾を飲み込む。

 顔が強張っていたのか、漣夜にじっと見つめられる。


「いつもみたいな変なことをしなければ、それでいい。ただ挨拶するだけだからな」

「……それって、いつも変って言ってない?」

「お前はいつも変だろ」

「だっ――!」


 ――誰がいつも変よ!

 そう言い返そうとしたのと同時に、部屋の扉が開き、言葉を止める。

 先に入っていた女官と、もう一人、30代くらいに見える男性が出てきた。身なりからして、おそらく第一皇子の従臣だろう。


「漣夜様、お越しいただきありがとうございます」

「いや、こちらの奏祓師の挨拶だから我々が出向くのは当然だ。それで、蒼峻兄上は……」

「中でお待ちです。どうぞ、お入りください」

「ありがとう」


 一言礼を告げ、躊躇なく進んでいく漣夜の後ろを慌ててついていく。皇帝陛下にしたように、礼節をわきまえて普通に挨拶をすればいいだけ。

 意を決して、中に入ると、部屋の奥の机に一人の男性が腰かけていた。その傍に眼鏡をかけた男性が立っていた。


 座っていた男性は、入室者を認識すると、立ち上がった。


「久しいな、いつぶりだ。――漣夜」

「過日の宴以来かと思われます。蒼峻兄上」

「それほど前か。元気にしていたか」

「ええ、変わりありません。兄上もお元気そうで」

「ああ、私も変わりない。立ち話もなんだ、座ってゆっくり話そうではないか」


 蒼峻に促された漣夜は長椅子に深く腰かける。それを見てから、蒼峻もその向かいに座った。

 隣をちらりと見た桜鳴は、自分は立っておくべきだと察して、横にいる凌霄と対になるように漣夜の後ろに控える。


「……それで、今日はどのような用事だ」

「事前にお伝えした通り、私の奏祓師がようやく見つかりましたので、御紹介しておきたいと思いまして」

「そうか。その後ろのがそうか」

「ええ。――桜鳴、挨拶をしなさい」


 いつもの漣夜とは別人のような口調に呆気に取られていたところに、急に名前を呼ばれて肩がびくりと跳ねる。

 そうだ、挨拶をしなければ。皇帝陛下にした時のように――。


「、楊、桜鳴ですっ! は、初めまして!」


 桜鳴が上擦った声で自己紹介をすると、前に座っている漣夜から小さな溜め息がこぼれる。


(失敗はしていないはず、なんだけど……)


 蒼峻の青みがかった紫色の瞳がじっと見つめる。ほんの数秒の沈黙。それでも、粗相をしないようにと気を張っていた桜鳴にとっては、ものすごく長い時間に感じられた。

 目を逸らすこともできず、見つめ合っていたら、蒼峻はおもむろに口を開いた。


「桜鳴は、もう奏祓師としての仕事をしたか」

「え、あ、えっと――」

「まだでございます、兄上」


 まさか質問をされると思っておらず狼狽えていたら、それに被せるように漣夜が口を挟んだ。

 また後から、失敗したな、とちくちく嫌味を言われるに違いない。はあ、と肩を落としている桜鳴に、再度蒼峻の視線が移る。


「そうか。なら、何か分からないことがあれば、私の奏祓師に聞くといい。――玖雪くせつ

「っ! は、はいっ!」


 今まで一言も発していなかった眼鏡をかけた男性がおどおどと返事をする。

 おそらく成人しているだろうが、成人男性のそれよりも高い声色だった。緊張して上擦っているというよりは、地声がそうなのだろう。気弱そうな言動も相まって、小動物のようだ。


「これは、武術には長けていないが、はらえに関しては陛下の奏祓師に次ぐ能力と言えなくもない。何か困ったことがあったら、聞くといい。玖雪も挨拶をしなさい」

「か、かしこまりました、蒼峻様。……李玖雪りくせつです。よろしくお願いいたします……」

「こちらこそ、お願いしますっ!」


 桜鳴と玖雪は、互いに深々と頭を下げる。

 実際、漣夜や凌霄の説明だけでは分からないことが多かったので、お言葉に甘えて今度いろいろと聞いてみよう。


(……影鳳えいほう様に聞くのは、恐れ多かったし……)


 皇帝陛下の奏祓師である胡影鳳こえいほうは桜鳴の憧れで、基本中の基本をそんな御人に気軽に聞けるわけがなかった。

 他に聞けるような人もいなかったから、むしろこちらからお願いしたかったくらいだ。

 それに、誰かさんみたいに小言を言いそうにない穏やかな性格そうだし。

 桜鳴は、前に座っている小言をたくさん言う誰かさんの後頭部を刺々しい視線で見つめた。




 それから、当たり障りない会話をしばらくして、蒼峻の宮をあとにした。



 恐ろしい人ではないが気圧される雰囲気を持っていた皇帝陛下に比べれば、まだ柔らかな人だったが、それでもどこか畏怖の念を抱いたのは、今日の訪問中、一度も表情が変わらなかったからかもしれない。

 蒼峻も他と違わず、非常に整った顔立ちをしていたから、ぴくりとも動かない表情筋がそれを余計に増長させた。


 背筋がいつもよりもぴんと伸びていたから、身体にも心にも一気に疲れが押し寄せた。昼ごはんも食べずに自分の部屋で半ば倒れるように休んでいたら、ぐちぐちと文句を言いながら扉を叩くこともせずに漣夜が凌霄とともに入ってきた。


「――誰が休んでいいなんて言った?」

「頑張ったんだから、少しくらい休ませてよ! 鬼!」

「あれが、頑張った……? どこがだ。狼狽えやがって」

「っ! だ、だって……」


 漣夜の言う通りでは、ある。が、庶民にしては十分頑張った方だ。それを、この生まれた時から皇族の男は理解してくれない。身分や育った環境の差は、そう簡単には埋まるようなものではない。


(……漣夜のは、そういうのじゃない気がするけど……)


 桜鳴は、じとっとした目つきで漣夜を見る。ただ人を罵りたいだけだ。きっと。

 その視線に嫌そうな顔をした漣夜は、「あ」と何か思い出したかのような声を出した。


「……今度は、なに」

「蒼峻兄上への挨拶が終わったから、次は第二皇子の天瑞てんずい兄上のところだ。蒼峻兄上が王宮に戻ってこないことには他の皇子にもできなかったからな。すぐに日取りを――」

「天瑞……? 天瑞様なら、この間会ったよ」

「――は?」


 目を点にする漣夜が珍しくてつい笑いそうになるが、両肩を両手で勢いよく掴まれたことで、それは妨げられた。


「いつだ? そもそも会ったってなんだ」

「えっと……10日くらい前、かな。廊下で話したよ」

「廊下!? お前、絶対失礼なことを言っただろ」

「はあ!? 言って……ない、し……」

「……はぁー、お前……本当に……」


 しどろもどろになる桜鳴に、漣夜は大きく深い溜め息をつきながら呆れた顔をした。

 失礼なことは確かに言ったかもしれない。というか言った。先に名乗れ、と。でも、その後天瑞は咎めるようなことは言ってこなかった。処刑が言い渡されるようなこともなかった。


「て、天瑞様は、『これからよろしくね』って言ってくれたけどっ!」

「……天瑞兄上はお優しい方だからな、好色だけど。――、まさか、お前、もう兄上に……?」

「……はあ!? そんなわけないでしょ!?」

「いくら物好きな兄上でも、こんなちんちくりんには手を出されないか。早とちりして悪い」


 この男の口から貶すような言葉が出てこなくなる日はいつか来るのだろうか。いや、きっと来ない。


 疲労困憊の心身で相手をするには重すぎるから、漣夜をキッと睨みつけてから無視するように布団にもぞもぞと潜り込んだ。休んでいいとは言われていないが、もう勝手にしてやろう。


「おい――まあいい。天瑞兄上には改めて後日挨拶に行くからな、分かったか」

「……」

「……はあ、いつもは猿みたいにうるさいくらいに返事するくせに。それと」


 背中越しに漣夜が寝台に近づいてくる気配がした。まだ何かあるのだろうか。早く部屋から出て行ってほしいのに。

 真後ろで立ち止まったかと思うと、不意にまとまっていた髪から何かが抜け、思わず身体がびくりとする。


「――これ、頭から外してから寝ろ。寝てる間に刺さるぞ」

「っ! う、うるさいっ!」

「は、明日からまた働いてもらうぞ」


 簪を寝台の横にある棚の上に置いた後、漣夜の手が頭を軽く撫でる。足音は遠ざかっていき、二人とも部屋から出て行った。


 撫でられた頭を自分の手で同じように触る。何がしたいのかよく分からない。口ではああ言いつつも、頑張った、と褒めてくれたのだろうか。


(漣夜がそんなこと、するわけないか……)



 頭の中はぐるぐると考えが巡っていたが、疲れが限界だった桜鳴はすぐに眠りについた。

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