第33話 結びと崩れ
裏方作業が主である。
選手としての活躍なぞ語るほどもない俺。
リレー代表に選ばれることも二人三脚で爆走することもなかった。可もなく不可もなく。目立つこともなければ、卑下するほどでもない動きを俺は見せていた。
(しっかしまぁ、順当というか)
一年は月菜ちゃんのクラスがトップに躍り出ており、二年は日向率いる俺が在籍するクラス。今頃点数集計に担当者は追われている頃合いか。運動部顔負けの大活躍を披露した一ノ瀬兄妹は元からせしめていた人気を更にかっさらったようである。
ややもすれば得点が出揃い、いずれ結果発表と至るだろう。皆が気になる点数を先だって知れるのは、数少ない実行委員ならではの特権と言えるかもしれない。
「まじやっばい。日向先輩ちょーかっこよかった!」
「妹の、月菜さんだっけ? 完璧兄妹すぎるだろ。俺、狙おっかな」
などといった評価、あるいは下世話な会話は今日だけで何度も聞いた。ただ、日向に女子が近づこうとするとハーレム軍団が囲うようにして守り始めたのは珍妙すぎて笑えた。その点、単独で男子陣のアプローチを躱していた月菜ちゃんは流石。
そんな彼女は今──。
「……すぅ」
俺の肩を枕にして、夢の世界を放浪していた。寝息がこそばゆい。
ちらりと視線を送ってみれば、桜色の唇が微かに開いていた。
気の抜けた表情は信頼の証のようで誇らしい。俺と同じように月菜ちゃんも汗はかいているだろうに、周囲を漂っているのは優しい柑橘系の香りだった。
「んん」
収まりが悪そうに寝返りを打ち、身体を少しだけ動かした月菜ちゃん。
肩への重みが更に増したと同時に、 太ももや肩といった体操服に隠れていない部分が如実に見えてしまった。これでもかと女の子であることを意識させられた。
(だぁ! ……心臓に悪いっての)
なんだか信頼に漬け込むような罪悪感に苛まれた俺は、そっと視線を外した。見てたなんてバレたら殺される。落ち着けぇと俺は煩悩を追い出し始めた。
この距離感は信頼の証。狼となり壊す訳にはいかないのだから。
「……気持ちよさそうに寝やがってよ」
どちらにせよ、もうすぐ戻らないといけない。
いつまで経っても戻ってこない俺たちを怪しむ人間も出てくるだろう。だが、どこか惜しむ俺がいた。ストーカーの件を考慮すれば、今も見られている可能性は大いにあり、もしかすれば月菜ちゃんが一連の騒動の首謀者という結末だってありえる。
「そうであって欲しくないけど、な」
吐息混じり。声にすらなっていない言葉を吐き出した。願望だ。
月菜ちゃんの体育祭での活躍は目を瞠るものがあった。とりわけ綺麗なフォームで駆けたリレー。彼女の運動神経は陸上部ですら見入ってしまったと聞いた。
あの夜、追走劇の犯人は楠木姉だと思っていたが……違うのか?
少し前、生徒会役員に荷物の運び出しを頼まれた俺と月菜ちゃん。
その荷物が詰まった段ボールは足元に置かれている。戻らねばならないと思いつつ、時間ばかりが悪戯に過ぎる。なんだかこの時間が終わるのは勿体なかった。
──ちょっと肩貸して、真にい。
段ボールを運び出し、とある教室の前を横切った時、月菜ちゃんはぽしょりと欠伸を噛み締めながら呟いた。時間がないと断わりの言葉を告げるつもりだった。
だが、月菜ちゃんの表情に活力が見えなかった。
体育祭実行委員として活動し、体育祭そのものも選手として活躍する。うっすらと疲れているのが見て取れた。普段さっぱり弱音を吐かない彼女にしては珍しかった。少しならばと――結局俺は月菜ちゃんのペースに引き込まれている。
「くすぐってぇし」
柔らかな髪が俺の首筋を撫でた。
服越しに感じる教室の壁はひんやりとしている。
椅子をふたつ壁にくっつけてそこに並んで座っている。
カーテンを揺らすそよ風が、火照った頬に丁度良い。
「真にい、ばか」
起きたと思った。だが違った。
月菜ちゃんの瞳は閉じられ、その長い睫毛が微かに震えただけ。
どうも寝言であるらしく、恐らく俺は夢の中でも彼女にからかわれ、馬鹿にされているのだろうと微笑した。昔から今日びに至るまでずっと振り回されてきた。
──付き合ってください。
「……は?」
思いも寄らぬ言葉が聞こえた。間抜けな声が漏れた。
窓の外に視線を落とせば、男女の組み合わせ。予想だにしてない内容にぎょっとした俺は、こそっと聞き耳を立ててしまう。まさかまさかの告白タイムだ。
女の子は照れ臭そうに、もしくはどこか気まずそうな表情を浮かべている。泣きそうでもあり、期待に胸を膨らませているようでもあった。覚悟の籠った顏だ。
対し、男は頬を掻きながらただただ恥ずかしそうに笑っている。
その場から去ろうとしたが、生憎肩を貸しているため不可。
起こそうにも、気持ち良さそうに夢を揺蕩っている月菜ちゃんを邪魔するのは気が引けた。──結果、現状維持。俺は地蔵の如く存在感を断ち、その場に留まった。
──あぁ、俺も好きだよ。
俺の知らない生徒らだった。ただ、流れは凡そ明るいもの。
告白の成功。ふたりの嬉しそうな声が、何度も何度も耳朶を叩いた。
恋愛経験と同時に異性を好きになる感覚をまだ知らない……と思う俺ではあるが、いっちょまえに妄想を膨らませる程度には興味があるので、とりあえず新しいカップルの誕生を祝うことにした。脳内ではスタンディングオベーションである。
「恋かぁ、良いものなんだろうなぁ」
告白ってのは、たぶん多大な恐怖と裏表なのではないかと俺は思う。
結びと崩れ。成功すればカップルで、失敗すれば友達に戻る。なんてのは理想形であり、友達にも戻れず距離を置く場合も往々にしてあるのだろう。知らんけど。
誰かを想い、誰かを慈しんで、誰かと寄り添う。
梨花や姫乃会長、恐らく緒川はその感情の上で動いているのだろう。
俺からすれば日向という人間は外れ物件である訳だが、彼女らからすれば大当たりだ。そこを否定はしない。恋愛という感情は尊ばれるものだろうから。
じゃあストーカーだって許される――なんてことはない。
相手が嫌がる行為をするのは話が違う。やられて嫌なことはしてはダメだ。ストーカーされることが嬉しいなんて人間は……いない、と思う。いないで欲しい。
窓の外で新たに生まれたカップルが、はしゃぎながら去った頃だ。
「――おはよ、真にい」
今度こそ、それははっきりとした声音である。
俺の肩に頭を預けていた月菜ちゃんはそっと体勢を整えて、言った。
寝ぼけ眼を擦りながら、陽光を浴びながら小さく微笑んだ。
「最高の枕だったわ。ありがとね」
「独特の角度からの誉め言葉こちらこそありがとう」
「いま何時? 戻らないと結構やばい感じ?」
壁掛け時計の長針は絶えず進んでいる。ヤバくはないが余裕もない。
頼まれた段ボールを持ち運ぶ手間を考えると、サボりはそろそろ終わりだ。
俺は膝に手を置きながら立ち上がって、荷物を抱え直した。
「時間はまだ大丈夫だ。だが、これは持ってかないとな」
「あ、そうだった。寝て元気になったし、重たい方は持つわ」
「ばーか。月菜ちゃんに持たせられるかよ」
軽口を叩きながら、教室を出る俺たち。
「結構、疲れてたんだな。悪い気付けなくて」
「……思ったより頑張ってたみたい。どっと眠気が来ちゃって」
「仕方ない。俺とは違って体育祭活躍してたんだしさ」
言うと、月菜ちゃんは「普通よ普通」と言いながら鼻を高くした。時折口の悪い彼女であるが、褒められると幼い頃から機嫌を良くしていた。案外単純なのだ。
「……ストーカーに見られてなければいいんだが」
月菜ちゃんがストーカーではないという前提のもと、何気なしに漏らした言葉。特に返事を求めていた訳でもなく、無論会話を深堀りするつもりでもなかった。
しかし、月菜ちゃんは思うところがあるようで会話を広げた。
「いいわよ別に見られたって」
淀みなく言った月菜ちゃん。
俺は、かっと瞠目した。
「いい加減イライラしてきたのよ。隠れてばっかで。緒川さんばっかり狙う理由は分からないけど、どうせ碌な奴じゃないわ。真にいもそう思わない?」
「……まぁ、な。だが警戒を怠るべきではないだろ」
もし仮に月菜ちゃんがストーカーだったとして。
この真剣な眼差しと、本当に苛立った態度が演技なのだろうか。これが演技だとすれば月菜ちゃんは女優顔負けだろう。……俺は曖昧に返事を濁した。
「私、筋を通さない人間がこの世でいっちばん嫌いなのよ!」
月菜ちゃんは曲がったことが許せない性質だ。
自分に厳しく、人には優しくも厳しく。それが彼女だ。以前、俺を介して月菜ちゃんと繋がりを築こうとする層に隠すことなく嫌悪感を示していた。
ストーカーが別に存在しているのならば、
「堂々と姿を見せなさいってのっ」
相性は途轍もなく悪いのだろう。
そう、俺は思った。
「――あれ、美海さんは?」
誰かがそう呟いた。声に釣られて周囲に視線を送る。
確かに緒川の姿が見えない。行き先は誰も知らないようだった。
体育祭後、俺ら実行委員と生徒会役員は今後の流れを確認する為、グラウンドに設置された大きめの屋根付きテントの下に集合していた。まだまだ空は青く、日差しが強くなるばかりだが明日は土日。踏ん張れば待ちに待った休日である。
緒川という少女は意味もなくトンズラする人間ではない思う。
そう考えていたのは、どうやら俺だけでないようで、ちらほらと心配する声が目立つ。それは、慣れない環境で頑張り続けた緒川への正当な評価であった。
「すみませーん! ちょっと人と話してましたー!」
とてとてと息を切らしながら輪に入り込んだ緒川。
肩で息をしている。借り物競争でも思ったが、彼女は運動が苦手そうだ。
思い返せば中学時代から体育の時間は苦手だと言っていた気がする。ともすれば、かなり前に起きた追走劇は緒川ではなかったことが確定する。楠木姉と結託している路線であれば、彼女が運動が得意かそうでないかは推理材料にはなり得ない。
「あーいいのいいの、いま皆で心配してたところだから」
また誰かが状況を口にした。
実行委員という正直退屈で、面倒で、気怠い時間を共にした仲間だ。
緒川の遅刻はむしろ微笑ましいという空気感が流れていた。
「……遅れて申し訳ないっす」
「いいわよ別に。それほど時間が押してる訳でもないし」
「ま、誰かに捕まったとかだろ?」
俺が言うと曖昧に緒川は笑った。
素直な首肯が返ってくると思っていたが、その仕草は俺が回答として求めていた動きとはやや異なっていた。まぁ、何にせよ緒川は月菜ちゃん程ではないとはいえ人気の生徒。友人との交流や付き合いは大事なことと言える。
パッと見、不良娘の癖に確かな礼儀を持ち合わせている辺り、中学時代の文学少女だった緒川は健在らしい。
やがて、片付けの指示と有志参加の打ち上げ会の場所が告げられた。
初の集会時に作られたトークグループに、地図が貼り付けられた。俺はさっさ帰りたいので不参加である。
「……づかれだぁ」
濁点混じりに悲鳴が口から漏れた。
椅子を運び、机を運び、備品を片付けて、報告する。広報部として、来賓者へのアフターケアも怠らず実行。
それをひたすら繰り返し、ようやっと俺は自分の業務を終わらせた。お役御免、万歳、解放されし者である。
全身ばっきばきだった。身体を回すと小気味良く骨がぱきりと鳴った。
「……月菜ちゃんか」
ストーカーに執着されるようになってからスマホの通知音が恐ろしい。
電源をつけてみれば月菜ちゃんからのメッセージだった。内容は「まだかかりそう。校門前で待ってて」だ。
作業を終わらせ報告した者から帰宅していいとのことで、打ち上げに早く駆けつける者や、そそくさと帰宅する者、遊びに出掛ける者とバラバラだ。
明日は土曜日であり、体育祭をやり遂げた達成感も相まってか実行委員の面々は一様に晴れやかな顔である。
が、俺は場に酔うとか仕事で満ち足りるといった性格ではないらしい。
「りょーかいっと」
月菜ちゃんにメッセージを送り返し、俺は校門前でぼけっと向かう。
歩いている途中、男女の組み合わせが多いように思えた。噂では聞き及んでいたが体育祭マジックだろうか。
「……今度はなんだよ」
再度震えたスマホと通知音。
見て俺は眉を上げた。生意気なあいつのことだ。業務を手伝えとかそういったお願いかもしれない。女子らしい洒落たアイコン。どっかの店内だろうか? が、適度に加工されていた。
緒川であった。
「──ッ」
しかし、送られてきたトークの内容が衝撃的すぎて思わず言葉を失った。
『振られちゃいました。私』
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10万文字突破しました。ここまで来れたのも読者の皆様あってこそです、誠にありがとうございます。
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