第32話 体育祭当日

 六月も下旬を迎え、夏本番を感じさせる気温となっていた。

 梅雨は完全に過ぎ去り、空は雲一つない快晴である。絶え間なく容赦なく照り付ける日差しは、配慮というものを知らぬかのように俺たちに襲い掛かっている。

 水分を補給した途端、溢れる汗に煩わしさを覚えていた。


 体育祭当日。我ら実行委員は種目プログラムの間を縫って業務に勤しんでいる。本来なら休憩時間であるというのに、だ。成績のためと言い聞かす。南無南無。

 また、手が足りないという声が上がり、俺は備品部にも力を貸していた。


 とりわけ力仕事を振られることが多く。帰宅部であることを忘れてしまいそうだ。えっちらおっちら体育館倉庫とグラウンドとの間を無心で行ったり来たり。


『――次は、借り物競争です。選手の方々は準備をしてください』


 三角コーンを初期位置に並べながら、俺はアナウンスに耳を傾けた。

 体育祭の中でも、とりわけ人気種目である借り物競争。男女問わず各クラスふたりが代表選手として参加する。俺のクラスは男子は日向、女子は梨花である。


 借り物の内容は委細知らない。……担当者が何を書いたやら。


 とはいえ俺が参加する種目ではないので、あまり関係のない競技だ。

 俺は垂れる汗をタオルで拭いながら、コーンや借り物が記載された紙を入れておくボックスの準備を進める。 視線の隅では選手らがぞろぞろと歩き始めていた。

 その中に月菜ちゃんと緒川の姿が見えて、じっと凝視してしまった。


「……あいつら、参加するのか」

 

 ぽつりと何気なしに呟いた。借り物競争は順位がほとんど借り物の難易度に左右されるとのことで、男女どんな組み合わせでも参加が可能となっている。


 俺たち実行委員はやがて準備を終えたことを報告する。

 その際、月菜ちゃん緒川と視線がぶつかり片手で答えた。中身の分からない半ばガチャ要素が強い借り物競争に参加するなんて勇気があると言えばいいのか。

 暫くして号砲担当が所定位置につき、天へと構えた。


「碓井お疲れー、仕事してるー?」

「楠木か。社会人が怖くなるくらいにはしてるつもりだ」

「っぷ、なにそれ。特殊な表現過ぎるでしょ」

 

 脇にずれて、一息整えていると楠木妹が朗らかに声をかけてきた。

 クラスメイトというだけあってストーカーからの攻撃に晒されるのではないかと思っていたが、偶然にも業務が被ることが少なかった。現在彼女が何かされたという話は耳には届いていない。……ただ楠木姉のことを考慮すると、彼女も何か噛んでいるのではないかと疑ってしまう。俺は取り留めのない会話を交わすだけに留めた。


「にしてもあっという間だったよね。もう当日だよ!?」


 楠木は腕をぐーっと上に伸ばしながら大きな声を出した。

 言われてみれば、あっという間であるという点には同意しかない。

 体育祭が終われば、すぐ七月であり、下旬には夏休みを迎える。時間の流れが速く感じるのは、それだけ日々を奔走していたからであろうと内心で断じた。

 

 ストーカーの存在。緒川への攻撃と執着。月菜ちゃんは被害ゼロ。

 楠木姉の怪しい動向。体育祭実行委員を通して見えた真実は幾つもあり、それを繋ぎ合わせると正解があるのだろう。だが、まだまだ不確定な部分が多い現状だ。

 ただ、少しずつ、少しずつ俺は犯人に近づいている。間違いなく。

 

「碓井ってさ、責任感あるよね」


 急に投げかけられた言葉に、俺は目を微かに見開いた。

 楠木はしたり顔で何度か頷いてから、言葉を続ける。


「だってさ。男子も実行委員やりたがる人がいない中で、日向に強引に押し付けられた感じだったじゃん。断るに断れないーみたいな雰囲気だったじゃん?」

「じゃん? って言われてもな。……ま、そうだったかもしれん」


 俺にも思惑があったとはいえ、流れは同調圧力だった。

 皆やりたがらず、それっぽい建前と言い訳でもって押し付ける。無論、その「押し付けたろう」という考えは俺の中にもあった。否定はしない。ただこの準備期間を経て、ストーカーの判明以外にも純粋に楽しかったという感情が芽生えていた。


 同じ方向を向いて、同じ時間を過ごして。気怠さもあれど、サボらず、気付けば当日を迎えていた。果たして、それを責任感と呼ぶのかは定かではないが。


「そうでしょ。その中で、ここまでやってきたの凄いと思う。もち私も」

「自分で言うんかよ。だけどまあ、案外頑張ってるかもな。俺たち」


 俺が苦笑しながら言うと、楠木は胸の前で手を合わせる。

 そうして困り眉をしてから「あ~」と視線を斜め上に動かした。

 俺はその動きを見て、頼まれ事の気配を感じた。


「責任感があるって言って、このことを話すのはずるいかもなんだけど」


 予想通りであった。訥々と喋り始める楠木。

 悩み事や相談事を投げられるのには慣れてる上に、体育祭実行委員という仲間でもある楠木の言葉を聞くだけは聞こうと俺は待つ姿勢を取った。


「ひとつだけ、その、相談ごとがあってさ」


 しかしそこまで言ってから何秒待てど次の言葉がない。

 ぱん、と甲高いピストル音がグラウンド内に響いてもまだ、話さない。

 やや痺れを切らしつつあった俺は頬を掻きながら、探るように言う。


「なんだ。姉のことか」

「……わかりやすかった?」

「俺と楠木の間にある共通事項といえば、それぐらいだからな」


 消去法であった。わざわざ楠木が俺を頼るなど、それぐらいしか想定になかった。


「ん、そう。お姉ちゃんのことでちょっと、ね」


 楠木は苦笑いを湛えながら、こくりと頷いた。


「お姉ちゃんがさ、日向のこと好きなのはもう承知の上じゃん? でさ、色々と振り向いてもらおうと努力してるっぽいの。ファッションとか化粧とかね?」


 楠木姉が日向に想いを寄せているのは、俺たちの中では周知の事実だ。

 そも楠木姉が俺に間違いラブレターを差し出したところから始まっている。ただしそこまで努力しているとは思わなかった。なるほどかなり入れ込んでいるらしい。

 

 不意に、ゆっくりとため息をこぼした楠木。

 おもむろな態度に俺は顎を摩った。


「だけど最近頑張り過ぎというか。疲れてるというか」

「……それはどういう意味だ? 寝れてないとか、そういうことか?」

「んー、それもあると思うけど。……何というか……強迫観念?」

「悪いが、よく分からないな。心当たりとかは」


 楠木自身、感情がまとまっていない様子だった。

 強迫観念などと穏やかではない言葉が飛び出したことに俺は警戒心を高める。

 あの日、緒川と楠木が話していた件と関係があるかもしれないからだ。


「心当たりは日向だと思う。だけど、最近は必死さが凄くて……」

「……焦ってるとかか。……アイツはライバルが多いからな」

「……かなぁ。にしては時折怯えてるみたいな時もあって」


 恋愛感情と怯えは、イコールで結び付けるには違和感がある。

 俺では伺い知れない感情だが、誰かに告白をするということは振られる可能性もセットだ。そこに怯えがあるのだろうか。どうにも不穏な気配がした。


「怯え?」

「そ、怖がってるみたいな。――ごめん、良く分からないよね」


 言って項垂れた楠木は、ぱっと顔を上げて話題を切り替える。

 ふと楠木の肩越しに借り物競争に励む生徒らが見えた。まだ月菜ちゃんたちの出番は来ていないらしく、待機選手らに視線を送れば丁度次くらいであった。


「本題に入るんだけど……碓井に相談したいことは、その日向をこのまま狙うのはありか、なしかってこと。私的には恋愛で失敗して欲しくないからさ」

「失敗ってのは、あー、振られることか?」


 流石にずけずけと核心をつくわけにもいかず、俺は言葉を溜めた。

 楠木は唇をきゅっと横に結んだあと、あっさりと認めた。


「そう。お姉ちゃんには私が相談したこと秘密ね?」

「任せろ。口が堅いことには定評があるんだ。あと日向を狙うのはやめとけ。個々人の選択だから強制はしないが、アイツはおすすめしない。苦労するだけだ」


 俺は昔から一ノ瀬兄妹の影響で色々な情報が脳に叩き込まれてきた。

 言ってしまえば日向を取り合うライバル女子たちから相談を受けているようなものだ。一歩間違えば情報漏洩で俺は吊るし上げられ、晒されてしまうだろう。


 情報の扱いには人一倍気を遣っているつもりだ。

 ただ日向の評価を問われれば、やめとけという意見しか出てこない。

 ライバルの多さもあれば、本人の優柔不断さも認められる。


 アイツもアイツなりに苦労しているだろうし、陽キャならではの悩みもあるだろう。だけれど、恋愛相手とするには、気苦労ばかりが募る予感がする。


「……間髪おかずに言うんだ」

「わざわざ日向はなんて聞いてきたんだ。日向が優良物件なら聞かずともいい質問だ。楠木自身、日向を落とすのは難しいって分かってるんだろ」


 当の日向といえば、姫乃会長と和気藹々と会話を繰り広げていた。俺と楠木はふたりしてその光景をぼーっと見つめて、やがてどちらともなく息を吐いた。


「……たはは、そうだよね~。うん、そのとおり」


 再度、号砲。月菜ちゃんと緒川が駆け出した。

 陸上部顔負けの速度で駆ける月菜ちゃんはいち早く先頭に抜け出した。

 胸中で応援していると、楠木が「ぬぁあ」と急に唸り出した。


「確かにイケメンだし、運動神経抜群だし、こんな男が実在してるんか~! って思うけど、梨花や姫乃会長とか、明らかに好意を寄せてくれてる人を蔑ろにしてる部分はどうなんだろって! ……親友の目から見ても、やっぱり評価悪い感じかぁ」

「親友か。どっちかっつーと腐れ縁じゃねえかな。日向とは」


 昔は親友だったかもしれない。だけど今は多分、違う。


「……碓井もなんだか苦労してるんだね。っよ、苦労人!」

「フォローされてないよなそれ。しっかり貶してんだろ」


 俺が冗談交じりに悪態を漏らすと、舌を少しだけ出した楠木。


「ごめんごめん。……親友……ん~、腐れ縁の碓井も言うならやっぱり諦めさせた方がいいよね。お姉ちゃん本人に決めさせるべきって放置してただけど、苦しんで欲しくないし、話してみる。――ありがと碓井、愚痴聞いてくれて!」

「アドバイスも何もできてないけどな。ただ聞いただけだ」

「んーん、聞いてくれるだけで救われることもあると思う」


 ようやっと会話が一段落した。俺は次のプログラムを確認してから業務に戻るか、自クラスに戻るか判断しようと足を動かした。――が、次の瞬間である。

 楠木が驚いた声を上げた。慌てて俺は周囲に視線を送った。


「――って、碓井? なんか凄い勢いで誰か走ってきてるんだけどッ!」

 

 声の方向。そこには明るめの茶髪を左右に振り乱す少女。

 陽光か、疲労か。顔を真っ赤にさせた月菜ちゃんがきゅっと俺の手を握る。

 ほのかな熱さに包まれた俺の手を引っ張り、駆け出す月菜ちゃん。


「真にい、来て! 走るよっ!」

「ちょ、なんだよ急に!? お前今競技中だろ!?」

「いいから! 一着取るに決まってるでしょっ!」


 若干噛み合っていない会話。しかし納得。

 どうやら俺は借り物に選ばれたらしい。


 うっすらと汗ばんだ手の感触をどう処理したらいいか分からない俺だったが、同時に「俺が借り物」になるなど、どういうお題だったのかと疑問に思った。

 そも人間が借り物ってありなのかよ、とも突っ込みを入れた。


「待て待て! 借り物が俺って、それどういうお題なんだ――」

「借り物の内容!? そんなの後でいいでしょ走って!」


 月菜ちゃんのもう片方の手。そこには正方形の紙が握られている。

 だがさっと隠されてしまう。教えてもくれず。ただ為されるがまま走る俺。

 しかし楠木だけは読めたようで、駆ける俺の耳に彼女の声が響いた。


「……わーお。……お幸せに~?」


 そして月菜ちゃんは俺の手をきゅっと握ったまま走る。


 ゴールテープが腹に当たった感覚。俺たちが圧倒的に一位。

 順位が上ならクラス得点や全校順位にプラスが働く。得点が上位のクラスにはお菓子やギフトカードが出るとお触れがあったので、これは重畳だった。

 

 しかし走る準備が出来ていなかった俺は、ゴールと同時にグラウンドに倒れ込んだ。クラスTシャツが砂で汚れてしまうのも厭わず、俺は腹を抑えた。

 ちなみにTシャツのデザインを考えたのは日向と梨花である。

 ……こういうことはちゃっかりしてるなと感心した。


「っはぁ、っ。はら、いてぇ……ッ」

「軟弱ね。でもありがと、着いてきてくれて」


 借り物競争の担当者と何やら話していた月菜ちゃんが戻ってきた。

 

 恐らく紙に記載されていた内容との照らし合わせだろうが、月菜ちゃんの背後で震えている担当者を見ると録な会話ではなかったのだと察した。


「……それは、まあいいけど。借り物に選ばれるなんて、思いもしなかったぞ。……一緒に走ったんだ、教えれてくれてもいいだろ?」


 呼吸を落ち着かせながら上体を起こすと、砂がつかないよう足を曲げながら座っている月菜ちゃん。だが、唇をもにゅもにゅさせるだけで答えはなく。


「……言わない。秘密。聞いたら殺す」

「そこまで!? めっちゃ気になるんだが」

「いいから! 気にしないで!」


 肩を押されて、きっと威嚇されてしまった。

 借り物競争考えた奴、どんなお題を突っ込んだんだか。

 と、そこで日向の声がグラウンドに木霊した。


「ちょ、待て待てお前ら!?」


 日向の背中を押す緒川。なぜか姫乃会長や梨花までセットだった。

 緒川はともなく、なぜ姫乃会長と梨花まで参戦しているのかは謎だった。

 もしかしたら緒川のお題が原因かもしれないなと考えた。姫乃会長と梨花が日向の腕を左右から取り、緒川が背中を押す。おしくらまんじゅう状態と化している。

 

 ラブコメの主人公様は、体育祭でも主人公様だった。


「……だが」


 俺は静かに考えを纏めるように独り言をつぶやいた。


―――――


 文量が多くなってしまったことをお詫びします。

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