第39話 告白

 ひとしきりお腹を抱え笑いこけていた緒川は、その笑みを残したまま、まなじりに滲んだ涙を指で掬った。

 

 あどけない表情だった。

 俺は彼女の笑い声と、その窺い知れない感情の起伏に思わずたじろぐ。


 俺が提示した証拠が的はずれと言わんばかりの豪胆とした振る舞いだ。

 

「私がストーカーって。碓井先輩、本気で言ってます? ネタっすか」

「……俺は本気だ。事実この写真を見てみろ。お前だろうが」


 俺はぐいっと隠し撮りした写真を緒川に見せつける。緒川は反射的にその写真を一瞥したが、それだけだ。


「……それ、本当に私ですか?」

 

 首をかしげ、緒川は呟く。

 声から偽りは感じない。だけれど、逆盗撮という強引な手を打たなければ判明し得なかった相手だ。発言の全てを疑った方がよいだろう。


「この学校といえど金髪は珍しいからな」


 自由な校風が売りとはいえ、堂々と金髪に染めてる奴なんてそう多くない。

 少なくとも俺の知り合いで金髪は緒川美海という少女だけである。


「最近、私……夜が怖いんです」


 不意に笑みを消し、表情に濃い影を滲ませた緒川。

 瞳はほの暗く、睫毛が怯えたように揺れる。

 一瞬の間に起きた変化が恐ろしい。


「寝たら朝が来る。また得も知れぬ相手に攻撃される。誰も頼れず、ひたすらに堪え忍ぶ日々。頭がおかしくなりそうなんです」


 どこか文学的な言い回しだった。

 川の流れのように淀みない言葉。俺に割り込む隙を与えないかのようだ。


「……そんな私が、わざわざひとりで深夜出歩くと思いますか」


 言葉は滔々と。だが表情は暗い。

 なんとも器用なことをやってのける緒川だ。だが、写真という証拠をはねのけるには些か説得力が足りない。

 俺は無理繰り口を挟んだ。


「緒川の意見も一理ある。緒川が被害者なら通用するだろう。……が、写真に映っているのは確かにお前だ」


 そうである。そこだけは偽れない。

 純然たる物的証拠が俺にはある。

 

 元々、深夜に校舎に忍び込む案は考えていた。ただ実行しなかったのはいつストーカーが緒川の靴箱に虫やら盗撮写真やらを投函するかが不明瞭であったからだ。


 何度も深夜潜り込み、ストーカーに俺の捜査が気取られてしまえば元の木阿弥。潜入一発目で現場を抑える必要があった。


 隠しカメラの設置を避けていたのもそれが理由だ。俺が確認するよりも先に見つけられてしまっては意味がない。より狡猾にストーカーは立ち回るようになってしまうだろう。


 ポイントはひとつ。

 

 ストーカーが緒川に攻撃する日を絞り込むことだ。そうして俺はストーカーは緒川本人だと予想を立てた。


 ならば、ストーカー──緒川が動くとしたら悲劇のヒロインを演じる瞬間。同情を限りなく誘える日だ。


 日向に振られた週明け。

 計画実行には優れた日。


 そこでストーカーからより苛烈な攻撃を受ければ、憐憫を集めやすいはずだ。俺はそう推理したのである。


「碓井先輩。これを撮ったのは深夜っすよね。明らかに光源が少ない」


 俺は頷く他ない。


「私の金髪はうっすら分かりますが、それ以外は朧気です。バレることを警戒しているのか、やや遠いですし」


 緒川の推測は的中している。

 前述通り、俺は身を潜めながら写真を撮った。窓から差し込む月光だけが頼りだった。距離もそこそこある。


「──こうは考えられませんか?」


 緒川はぴっと指を立てた。

 

「ストーカーは、いつ盗撮されてもいいように私に変装していた、とか」

「んな馬鹿な」


 珍妙な発言を俺は一蹴した。

 だが、緒川は言葉を続ける。


「私じゃないですもん。ストーカー。碓井先輩に? ないっすないっす」


 緒川は呆れた様子で手を振った。


「ストーカーにとって最も恐ろしいことは何だと思いますか?」

「……そりゃ、正体を突き止められることだ」

「正解っす。罪や疑惑を擦り付けることくらい、平気でやってのけると思いません?」


 聞いていて苦しい言い訳だと断じた。

 俺は瞑目する。――そして開き、かぶりを振った。


「かもな。けどそれはあくまでも可能性にしか過ぎない。物的証拠がある、その事実を覆すには少々弱いんじゃないか?」

「……私、夜はずっと家にいると言っても?」

「証明する人がいない。残念ながら信じるわけにはいかないな」


 無論家族などからの証言があったとしても、ノーカウントである。


 俺は現在緒川をストーカーだと判断して会話に臨んでいる。

 故にか、言葉遣いがどうも揺れる。ストーカーが知り合い、しかも後輩ともなれば怜悧な態度を一貫することは厳しかった。俺は自分の甘さを笑った。


「それは、まあ、はい。ただ先輩私に言いましたよね。ストーカーが家まで来た、逃げ足が速かったって。……自分で言うのもあれですけど私は運動が苦手です」

「緒川に協力者がいることも分かっている。調べ上げてるっての」


 ついで、俺は楠木姉の名前を出した。あの不穏な会話。いま思い返せば、緒川が日向の情報を楠木姉に提供する代わりに、協力者として参加しているようだ。

 楠木姉は陸上部。囮として使うには余りにも出来過ぎている。


 ふたりを繋げたきっかけはラブレターの入れ間違いと俺は見ている。


「楠木姉とお前がここで密談を交わしていたのを俺は聞いている」

「あー……あの時、聞かれてたんすね。……だから気をつけてって言ったのに」

「緒川、いい加減認めたらどうだ。……あとは、そうだな」


 緒川は静かに目を瞑り、喉だけを鳴らした。


 例えば、体育祭前のポスターを貼って回った日。俺はどこかの教室に隠れていると決めつけていたが、緒川が犯人なら容易に俺に連絡を送り付けられる。

 メール等のタイミングが完璧だったのは送信予約。

 あるいは楠木姉に送らせても可能だろう。


――藁人形の日に緒川は隣にいた。


 だが、その前のことを思い出せば筋道は通っている。あの豪雨の日。指定された時間に雨は上がっていたが、ぬめっとした空気を俺はまだ覚えている。

 月菜ちゃんの指示で俺たちと緒川は別行動をしていた。


 そのタイミングでなかったとしても、あの豪雨で部活動はだいたいがなくなり、時間も相まって実行委員や少ない教師陣が校内に残っていただけだ。藁人形を隠す如き簡単だろう。


 俺が藁人形を見つけ出せなくとも、月菜ちゃんが、最悪緒川が見つけ出せば計画は留まることなく進む。


 極め付き、あの夜に起きた逃走劇。その際に月菜ちゃんは自宅に戻っていたことまでを伝える。


――俺は自分なりの推理を緒川にぶつけた。


 情報を小出しにするのではなく、まずは会話の主導権を握るべきだと思ったのだ。


 しかし俺の言葉を受けた緒川は、表情を崩すことなく、涼しげなまま。


「ここまでが俺の立てた推測だ……だが」


 俺は一拍溜めて、晴れない疑問を続けてぶつけることにした。


「なぜお前は月菜ちゃんを攻撃しなかった、それに日向のハーレム要員になる理由がわからない。ストーカーからの攻撃を避けるために日向を使うというのは一見納得できるが、その犯人がお前なのだとすれば、そもそもの前提が成り立たない」


 ひたすらに目を閉じていた彼女が、おもむろに開いた。


「――んー、五十点。碓井先輩、それだと五十点っすね」

 

 緒川はくすりと声を漏らし、俺への点数を下した。


「赤点回避ギリギリって具合っす。百点にはほど遠いっすね~」


 けたりけたりと生意気に笑う緒川に、俺は微かな苛立ちを覚えた。

 こいつ、ストーカーだと突き付けられているのに、この冷静さはなんだ?


「碓井先輩がそこまで突き止めてるとは思いませんでしたが、それでも五十点っす。下手に誤魔化すよりこっちの方向性でいきましょうか。プランB、的な?」


 あまりにも平常というか、俺の調子が狂わされる。


「おい、茶化すのもほどほどにしろ。俺は真面目な話を――」


 俺の言葉は遮られ、


「私、碓井先輩のこと好きっすよ。それこそ頭がおかしくなりそうな程に」


 不意に俺と緒川の影が重なった。とんっと、胸辺りを指で押される。異様な会話の落差に、俺は羞恥や面映ゆさよりも先に唖然が顔に出た。


「…………なにを急に。冗談はよせ」

「冗談? あはは、碓井先輩は面白いことを言うっすね~」


 緒川はぐりぐりと俺の胸を押す。地味に痛い。


「冗談なわけないでしょ。私、本気で好きですよ」

「……それを信じろと? お前、いま何言ってるか分かってんのか」

「分かってますって。ま、信じてくれないですよね~ぷぷぷ」


 意地悪に含み笑いを浮かべた緒川。会話があまりにも散らかり過ぎて、俺の脳では処理がミリも追い付かない。どうにか喰らい付くので精一杯だった。


「認めてあげます。私が先輩のストーカーです。ぱちぱちぱち~っ」

「…………なんだ、急にあっさりと認めるんだな」


 これまた急な自白。どうにもさらっとしている。

 俺の予想では、ストーカーであることを暴かれて怒り狂うなり、襲われることさえイメージしていた。拍子抜けといえば拍子抜け。しかし逆に恐ろしい。

 平静を欠き、俺自身どうにかなりそうだった。


「だけど五十点」


 上目遣いで俺を見つめる緒川。ふわりと花の香りが鼻腔を擽る。

 俺はこの香りを知っている。どこかで嗅いだことがある。そんな淡い香り。

 そんな中、緒川はとんでもないことを口走った。

 

「ぶっちゃけ、ストーカーしているのがバレようが、バレなかろうが、どっちでもよかったんです。私にとっては。ほら、もはや目的は達成できてますから」


 更に一歩緒川は詰め寄ってくる。すっと俺の手を取る緒川。

 逃げようにも縫い付けられたかのように俺はその場から動けない。


「先輩は不器用っすから。そして近づくには障害がある」


 彼女の言葉が脳裏を埋め尽くす。


「その障害を排除するには、違和感なく距離感を縮める必要があった」


 言って、一度だけ俺の手をきゅっと握ってから離れた緒川。

 恐怖か、緊張か、俺の心臓が時間の進みを思い出したかのように跳ねた。握られた手に力を入れる。その様子を眺めていた緒川が妖しい微笑を湛えた。


 歳下とは考えられない出で立ち。……コイツ緒川か?

 まるで別人かのような錯覚を俺は覚えた。


「本懐達成せし。そんなところです。百点に辿り着くためには、私の気持ち、動機まで当ててくださいね。あ、でもでも気持ちは明かしたっすね」


 うっすらと恥ずかしそうにして、緒川は顔を手で隠した。だが、それも一瞬のことで、くるりと身体を回転させて、歩き始める。


――半身で振り返り、俺を見つめた。


 ペースを握るつもりが握られてしまった俺を、じーっと見つめた。

 

「明日から、よろしくお願いします。せーんぱい」


 にこり、そんな言葉が似合う屈託ない笑顔。


「先輩はすぐ人を信じちゃいますから。それじゃあ、だめっすよ~」


―――――


 お世話になっております。

 更新が滞っていましたこと、深くお詫び申し上げます。。

 中々リアルが忙しくてですね……(繁忙期怖い、繁忙期怖い)


 次回の話で、第二章が完結となる(予定)です。

 ストーカー判明まで何とか来れました。三章はラブコメ色を強めに押し出したいのですが、このままだとまた謎解きがメインになりそうです(白目)。


 字体の伏線回収や、日向のハーレムに属していた理由など明かせていない部分もありますので……すみませんんんんん。


 まだまだ至らぬ私ですが、これからもよろしくお願いいたします。

 作者フォロワー様が100名を超えたり、作品フォロワー様が夢だった5000人を突破したりと、有り難い限りでございます。末永くお付き合い頂けたら幸いです。

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