第40話 変化と、夏

 ストーカーが緒川であったことを月菜ちゃんに伝えると、彼女は──。


『そ、やっぱりね。だと思ったわ』


 と、半ば確信めいたことを呟いた。ただどこか苦々しい表情だった。

 

 俺はまだ知らないことが多い。とはいえ、ことの顛末としてはストーカーの判明が為された時点で一段落を見せたのだとも思う。一件落着とは程遠いが。

 動機や真意を突き止めねば、五十点のままなのである。


『真司先輩』 


 今朝、靴箱を抜けたところで名前を呼ばれたのだ。碓井先輩ではなく、真司先輩と。何かの聞き間違いだと思ったが、確かに俺は名前で呼ばれた。

 朝の一幕だけでなく休み時間毎に俺は呼ばれまくった。


 声の主は緒川。俺をストーカーをしていた少女。

 

「どーなっちまうんだろうなぁ」


 彼女の紡いだ告白紛いの言葉。素直に受け止められるはずもなし。   

 焼き付いた思考回路が、自分のことながら無責任な呟きを漏らしてしまう。

 ましてや名前で呼ばれるなど、予想だにしていなかったことだ。緒川は本気で俺を好きなのだろうか。不安と焦りと動揺が綯い交ぜになって、今日も寝れていない。


 鳴くは蝉時雨。広がるは入道雲。

 登校中に見かけた逃げ水。


 例年を越す猛暑。6月が終わり、カレンダーが7月に入った途端に夏の存在感が強くなった。俺は殊更に絶えず流れる汗と湿気に不快感を覚えてしまう。

 

 昼休み。俺は中庭に訪れていた。容赦なく照り付ける日差しに鬱々とした気持ちを抱きながら、木製ベンチに腰掛けている。ろくすっぽ風の吹かない正午。購買部で購入した惣菜パンにもっそもっそと口内の水分を奪われながら、人をただ待つ。


 余談であるが、月菜ちゃんお手製の弁当はわりとランダム出現だ。

 恐らく夕飯の材料が余った時限定なのかもしれないし、さしもの月菜ちゃんとはいえ毎日弁当を作るのは手間なのかもしれない。


 昼食代が浮くので俺としてはラッキーなのだが、生憎今日は惣菜パン。

 安っぽいジャンクな味付けに、余計喉が乾いてしまう。ペットボトルの茶を飲み下す。飽きの来ない月菜ちゃんの手料理はやはり半端ないスキルだと実感した。


「だーれだっ」

 

 そっと、視界が覆われる。

 柔らかな手のひらの感触。

 首あたりに感じる吐息がこそばゆかった。


 声には心当たりがあった。


「……緒川、離れろ」


 言うと、ぱっと手が離れる。

 ついで視界を埋める陽光に俺は目を瞬かせた。

 悪戯心を孕んだ、弾みに帯びた声が俺の耳に侵入する。


「真司先輩みーっけ!」

 

 見やれば、快活そうに笑うストーカー女子──緒川美海が立っていた。 

 ふわりふわりと自由に動く金髪が心象に強く残る。小柄の体躯がぴょこぴょことベンチを回り込み、やがて俺を彼女の影が包んだ。……ちなみに、である。


 彼女は俺の待ち人ではない。……どうしてここにいる。


「ひどくないっすか。真司先輩も美海って呼んでくださいよ~」

「……あのな、色々と聞きたいことはあるが、なんでお前がここにいる」

「え? そりゃあストーカーなんで居場所炙り出すくらい余裕っす」


 何を当たり前なことを言うのか、とばかりに緒川は首を傾いだ。

 俺が頭痛に苛まれていると、緒川は平然と隣に腰掛けた。

 昨日まで巧妙にストーカーしていたとは思えない。いや、むしろこの豪胆さがあるからこそ、ストーカーなどという行動が取れていたのかもしれない。


「とにかく、真司先輩はこれから美海って呼んでください」

「……馬鹿言ってんじゃねぇよ。お前、周囲からどう思われてるか分かってんのか」

「あの優柔不断に振られてすぐ鞍替えした女っすね。ちなみに真司先輩も女を掠め取ったとか、弱みを握ってるだとか、散々な言われようですね。ウケるっす」


 緒川は生意気な表情でにやりと口角を上げた。――全て事実である。

 緒川美海という少女は一ノ瀬日向のハーレム要員として有名であった。同時に俺も幼馴染という括りで。そんなふたりが、話の渦中に上がればどうなるか。


 緒川が日向に振られたという情報は既に駆け巡っている。

 

 どこで漏れたか、あるいは緒川本人が漏らしたか兎にも角にも人の口には戸が立てられない。結果として俺と緒川にはそれなりに冷たい感情が刺さっていた。

 名前呼びされたのは今朝のことであるのに噂が駆け巡るのは早い。

 不幸中の幸いなのは、あくまでも噂は噂という点である。


 好き勝手に周囲に評価を下されるのには慣れている。そも、俺と緒川は付き合っておらず、関係値で言えば先輩と後輩というだけ。以上でも以下でもないのだ。

 噂など放置しておけば勝手に風化するのだろうと見込んでいた。

 目立たない学生生活は諦めた。最初から無理だったのだ。


 もしもこれで本当に俺が緒川を名前で呼べば、それこそ付き合っていると誤解される。噂はより鋭さを増すであろうし、対処が追い付かなくなること請合い。


「ウケねぇよ。あと勝手についてくるのはやめろ。お前はストーカー……だったな、そうだな。お前はストーカーだったわ。けどやめろ、びびんだよ普通に」

「えー、いいじゃないですか。好きな人にはついてくものです」

「…………だとしても、だ。まっとうじゃないだろ」


 臆面せず好きと口にした緒川に俺の思考回路が一瞬停止する。

 関係を築く、あるいは壊れる可能性をもつ危うい言葉をこうも軽々しく放たれては反応に困るのだ。照れもあるが、大部分が困惑で俺の胸中は埋め尽くされていた。


「まっとうとか、普通とか、おかしいって思いませんか?」


 緒川は購買にて手に入れたであろうクリームパンを食みながら呟いた。

 

「それって周りが勝手にこうであれ、こうであって欲しいって願ってるだけの押し付けっすよね。好きなんて、人それぞれの形があった方が自然だと私は思います」

「……話は多少逸れるが。なんでお前は、俺を……まあ、なんでだよ?」

「肝心なところを言えないのが真司先輩っぽいというか」


 俺が言い淀んだ部分を汲み取った緒川は微笑を浮かべた。

 

「そこは教えられないっす。五十点であること、忘れました?」


 にまにまと俺の顔をぐいっと覗き込んできた緒川。

 小動物を彷彿とさせる振る舞い。いたずら好きな笑み。

 先日までストーカーとその被害者という関係にあったにしては、距離感が近い。先日に引き続きペースの綱を握られてしまっていた。――俺はしわぶきをひとつ。


「緒川が考えてることは分からん。お前はどうしたいんだよ」

「付き合って欲しいです。ただ、色々と私にも事情がありますので」

「……だからその事情とやらをさっさと教えろって」


 俺は嘆息しながらねめつけると、緒川はぐいっと食べかけのクリームパンを俺の口に突っ込んだ。半固形状の甘さがどろりと口内にゆっくりと広がった。


「間接キスっすね」


 頬をうっすらと朱色に染めながら、はにかんだ緒川。

 猛暑日だからか、ひと気がないのに助けられた。

 こんな場面目撃されては一大事である。


 俺は軽く咳き込んだが、パンを吐き出す訳にもいかず渋々呑み込んだ。その一挙手一投足の流れまでを観察され――あ、こいつストーカーだわと改めて思った。


「ば! いきなり何すんだよお前はッ」


 声を荒げると、緒川は自分の指についたクリームを舐め取っていた。

 艶めかしい動きに俺は気まずさを覚え、つい視線を外した。


「照れてんすか~? 可愛い人ですね」


 緒川がつーっと俺の腕を指でなぞった時であった。

 俺と緒川の間に影がひとつ。反射的に視線を上げれば、


「あ、どもっす一ノ瀬さん。ちょっと真司先輩借りてまーす」


 誰もが振り返る圧倒的美少女。月菜ちゃんがそこには立っていた。

 俺の待ち人。厳密に言えば月菜ちゃんに呼び出されたので俺が待ち人ではあるのだが些末な問題であろう。月菜ちゃんはわなわなと肩を震わせていた。

 不自然な笑みは今にも崩れてしまいそうな様相を保っている。


「どうしたんですかそんなに肩震わせて。体調でも悪い感じですか?」


 煽りとも取れる発言に、ぴしりと月菜ちゃんの笑顔に亀裂が走ったように見えた。青筋が額に浮き、鬼が目を覚ました。夏だというのに寒気が止まらない。


「なーんで、緒川さんがいるのよ。ねぇ、なんで? ――真にい」

「いやいや待て月菜ちゃん。何か大きな誤解をしているかもしれない」

「……誤解? 誤解ですって? ストーカー相手と仲良く談笑していることの何が誤解か頭の悪い私に教えて。はやく、ねえはやく。いますぐ答えなさいよ」


 この間、月菜ちゃんは不自然な笑みを貼り付けたままである。怖い。

 だがとにかく誤解を解かなくては話が進まない。月菜ちゃんからすれば、犯人である緒川と同じ空間に俺がいることが信じられないのだろう。至極当然である。


「まあまあ落ち着いて一ノ瀬さん。私と真司先輩はご飯食べてただけっす」


 緒川が俺の名前を呼んだ時、月菜ちゃんの笑みが一瞬般若と化した。

 この状況下で油を注ぎ続ける緒川のメンタルはまさしく異常。

 実際問題、とりわけやましいことは何もない。ただし相手が先日まで俺たちを掻きまわしていた当人ともなれば月菜ちゃんの心中は穏やかでないだろう。


 一緒に座するなど、信じられないに違いない。


「ならもういいわね。部外者はどうぞ勝手に教室に戻って?」

「部外者って酷いっすね。私たち、仲良くなったじゃないですか」

「今から私と真にいはお昼を囲みながらストーカーが何を考えているのか推測する時間に入るの。――ばかみたいに好きとか言っちゃうストーカーのね」


 緒川がストーカーだと昨夜月菜ちゃんに伝えると、自然な流れで根掘り葉掘り尋ねられた。どこまで伝えるか迷ったが、隠し通せる自信がなかった俺は白状した。

 遅かれ早かれ、露呈していたことではあると思う。ただ罪悪感もあった。

 俺は横目で緒川を見ると、怒るどころかニマニマを深くするばかり。


「ここにそのストーカーがいるっすよ。直接聞くのはどうですか?」

「素直に言わないだろうから部外者よ。悪いけど席を外して。……あと、真偽不明な噂を朝から聞きすぎて気分が悪いの。……だから、どきなさい」

「ふふーん。……もしも嫌だと言ったら?」


 ぴしゃりと言い放つ月菜ちゃんに対し、挑戦的な物言いで答える緒川。そんなふたりを見ながら味の分からない総菜パンをもっしゃもっしゃする俺。

 蝉時雨さえもが空気を呼んで奏でるのをやめるほど。


 本来ならストーカーという異常行動をしていた緒川を突き放すべきだ。だが、相手が緒川ともなれば築き上げてきた関係を壊すまでなのか、と逡巡する。

 無論、月菜ちゃんの意見を尊重すべきだとは分かっている。


(……これじゃあ日向のことを糾弾できない甘ちゃんじゃねぇか、俺)


――夏。


 海やプール、祭り、花火などイベントの宝庫と評される季節。

 なにより、夏休みという夢みたいな長期休暇が目前にまで迫っている。

 しかし、俺に心休まる日は来るのだろうか。


「場所を移動するまでよ。太陽と戯れていなさい」

「そしたらついてくだけっす。これでも粘着質なんで」


 ストーカー少女――緒川美海。

 家族同然の少女――一ノ瀬月菜。


 進級したての俺よ。平穏な学生生活は早々に諦めた方がいい。

 雲一つない快晴。燦々と眩い太陽。青々とした木々。そして稀に吹く涼風。時間は進む。桜が花弁を散らすように、人間関係もその形を変えるのだから。

 

「真にいだって迷惑でしょ。がつんと言ってあげなさいよ」

「えー、真司先輩そうなんですか~? 迷惑じゃないですよね~?」


 幕引き。――そして幕開け。季節は夏である。


―――――


 二章、なんとか完結です。お付き合いいただきありがとうございました。

 

 読者の皆様にはご迷惑をおかけしてばかりで……。

 応援コメントや近況ノートへの反応など、可能な限り目を通しています。

 返信できずこれまた申し訳ございません……ッ。 


 お手数ではございますが、フォローや☆、コメントをお寄せ頂けると私が狂喜乱舞します。モチベーションに繋がるどころか眠れないほどに興奮します。

 

 ヤンデレって最高だぜ!! ではまた三章にて!

 

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