第38話 金髪の少女

 俺は盛大に欠伸を噛み締めた。滲む視界。指で涙を拭きとる。


 絶えず襲い来る眠気に抵抗し、俺は懸命に意識を手繰り寄せていた。

 だがまた欠伸が飛び出る。ぐわんと首が折れそうになった。


 ここ二日間ほど、ろくすっぽ寝れていない。


 週明けの月曜日。俺は階段の踊り場にて、とある人物を待っていた。


 放課後ということもあり人の往来は皆無。直接話すなら適当であろう。また、 最悪退路を確保できるよう俺が指示したのは、二階と三階を繋ぐ階段だった。


 送信したメッセージには既読の二文字。要件は大事な話とだけ。

 ブラスバンドの音色。運動部の掛け声。吹奏楽部の演奏が絶えず響く。


 俺は手すりと壁に背を預けながら、何度目かになる深呼吸。

 

 正直、ほぼ確実ではあろうと思う。――本人が認めるかが肝だ。

 動機は不明瞭。疑問は幾つか。素直に答えてくれと願うのみ。

 

 ことを荒立てるつもりはない。大袈裟にするつもりもない。俺は元々平穏を好む質であり、静かな幕引きであれば何よりとさえ思う。話し合いで済めばそれが全て。


 彼女の想いを聞き、吐露させて、そこからどうすべきかを考える。

 俺は胸中で渦巻く色々な感情が鬱陶しくて、深い息を吐いた。


 擦るような足音が耳朶に侵入。俺の心臓が早鐘を打つ。

 自分で呼び出しておきながら、時が止まればいいのにと思った。


 ふわりふわりと髪を揺らしながら、彼女はひょこりと現れた。


「――碓井先輩、お待たせしました」


 人好きしそうな笑顔に、庇護欲を刺激されそうになる。

 整った容姿は昔の記憶とは似ても似つかず、されど同一人物。


 俺は少女――緒川美海に向けて、片手を挙げた。

 

「悪いな、放課後に急に呼び出しちまって」

「大丈夫っす。……それに重要な話って書いてあったんで」

「あー、おう。この土日で色々と考えてみたんだよ」


 表向き、彼女は被害者だ。振られて傷心中という状態でもある。

 頼る相手を失い、孤独に苛まれている緒川。放っておけない。


 そういったシナリオが作り上げられていくのを感じた。


「いい方法があるんすか!? ぜひ教えて下さい!」

「落ち着けって。……考えてる途中だ、意見が聞きたくてな」

「そういうことでしたら任せてください。力になります」


 緒川は朗らかに言い、胸の中心を片手で抑えた。縋るような瞳、その奥には怪しげな炎が揺らいでいるような錯覚。疑いようの余地を与えない完璧な口調。


 俺の勘違いなのでは? という思考さえ芽生えてしまいそうだ。

 

「ああ、有り難い。実は結構急務なんだよ、問題が発生した」


 緒川への攻撃が苛烈化するだけでなく、俺自身の置かれた状況を説明する。


「……急務、ですか?」


 オウム返しのように答えた緒川に俺は大仰に頷いた。


 俺はかねてより用意していた一枚の写真を胸ポケットから取り出した。

 そこに映っているのは俺の横顔。ひとりで歩いている俺の姿だ。


「これが今朝下駄箱に入っていた。どうやら俺も恨まれているらしい」


 俺の写真なのだが、顏が真っ黒に塗り潰されている。恨みつらみ、狂気の沙汰だった。裏面には黒ペンで『早く私の物になれ』と殴り書きがされていた。


 言うまでもなく、俺が用意した偽物だ。


「嫉妬に狂った犯人は、俺への逆ギレモードに入ったみたいだな」

「これ、は。……ちょ、ちょっと一回見せてもらっても!?」


 俺から写真をひったくるようにして、じっと凝視し始めた緒川。

 なるほど『尻尾を見せない相手を警戒している』風に見えなくもない。

 次は自分にこの火の粉が降りかかるではないかと怯えている風にも。


 やがて、緒川は真剣な表情を湛えて呟いた。


「……対策を練りましょう」


 思わず感嘆の意が漏れそうにある。そうきたか、と。 

 悲劇のヒロインから距離の近い協力者へと一瞬でジョブチェンジ。

 疑心を抱いていなければまんまと流されていたに違いない。


 まあ、流石にこんなジャブでは大きくは動じないと分かっていたさ。ただし悲劇のヒロインを演じるなら「燃料」が必要だ。演じ続けるための、燃料が。


 体育祭後、屋上で緒川は震えながら俺に感情をぶつけた。

 ならば――もし仮に彼女が黒幕なら行動は早く移す。


 悲劇のヒロインを演じることで、俺の懐に潜り込む。

 具体的にはいじめを継続させ、憐憫を誘う必要があった。そうして、それは予想通りだった。俺はまた飛び出した欠伸を誤魔化しながら、口をついた。


 そりゃあ巧妙に隠れてるだろうよ。

 内心で俺は抱いた感想を呟く。


「緒川への攻撃もあったんだろう? 大丈夫だったか?」

「……大丈夫じゃないですよ。今日はゴキ……考えたくもないっす」

「おぉう、そうか。……そりゃ、災難だったな……?」


 真実を知っている俺はどうにも同情しきれなかった。

 青白いを超えて土気色になっている緒川の表情。


 そんな少女に向けて、俺は言葉を継いだ。 


「マッチポンプなんて言葉がある。意味は知ってるか?」

「? ……まあ。故意的に問題を起こしたうえで自ら解決し、利益や評価を得ること的な。なんですか碓井先輩急に。ほら、早く対策案練るっすよー」

「流石は文学少女。現在は生意気ハムスターだけど」

「な!? 現在も文学には触れてるっすよっ!」


 怒りからか、ほのかに表情に色を戻した緒川。

 マッチポンプ。問題を発生から解決までを行うこと。自作自演と異なる点は、自作自演は人に迷惑をかけないことも含む。例えば自分で作曲、演奏するとか。

 マッチポンプは他人を巻き込む。そこに悪意が滲む場合もある。


「……本当はな、対策なんて練らなくていいんだよな。緒川」


 喉で一旦止まった言葉を俺はどうにかこうにか捻り出す。


 可愛い後輩だ。生意気だが、真面目で一本筋が通っている奴だ。

 だが集めた証拠が彼女を指し示している。

 

 同時に、なぜこんなことをしたのか。俺にどうして欲しいのか。

 そもそもなぜ日向ハーレムに加わり、一連の騒動を起こしたのか。

 疑念は尽きない。怒りよりも心配の割合が大きかった。


 これが第三者なら憤怒だけであったろうが。


 俺は胸ポケットから、もう一枚新たな写真を取り出した。……そこに映っているのは紛れもなく緒川。場所は玄関。靴箱前でなにやら作業中であった。


 写真は全体的に薄暗い。フラッシュを焚かなかった影響もある。

 時刻はまだ深夜。太陽ですら眠りこけている時間帯。


――緒川が虫を靴箱に突っ込んでいる場面だった。


「緒川。――お前が俺のストーカーだったんだな」


 写真を覗き見て固まっていた緒川に向けて、俺は言った。

 数秒。また数秒。ただ悪戯に時間ばかりが過ぎていく。


 緒川の凍りついたような瞳からは、読み取れるものがない伽藍堂。

 一歩、俺は後ずさった。


 どれだけの時間が経ったろう。じとりとした冷や汗が背中に滲む。彼女はどうする、決定的な証拠を突き付けられて、どう出る。俺は警戒を強めた。

 やがて緒川はくつくつと喉を鳴らし、顔をぐわっと上げた。


 そして、


「――あは」


 三日月のように笑んだ。 


―――――


 あとがき。


 読者の皆様、お世話になっております。

 文量が異様に多くなりそうだったので分割して投稿する予定です。

 何卒、ご理解の程と、ご容赦いただけますと幸いです。

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