第8話 夜のやり取り

 一ノ瀬家は家族構成と、その環境すらアニメの如くだった。


 イケメンの兄、日向。美少女の妹、月菜ちゃん。また俺は詳しくないが両親は仕事で海外勤務らしく実家を空けることがしばしば。とどのつまり、一ノ瀬兄妹は半ば二人暮らしという状態にあった。ちなみに俺の両親は一般的な共働き夫婦である。


 そんな一ノ瀬家両親と、うちの両親はどうも非常に仲良しだ。

 俺が物心つく前から交友があったようで、今も変わらず続いている。

 その繋がりは息子の俺にもしっかり影響を与えていた。


「ど? 美味しかった?」


 半身で振り返りながら、俺に問いを投げかけてくる月菜ちゃん。

 蛇口から聞こえてくる水音。時刻は二十時を過ぎたあたり。

 俺は御厚意に甘え月菜ちゃんの手料理に舌鼓を打った。


「あぁ、また料理上手になったんじゃないか?」

「ほんとに!? 嬉しー! 真にいの胃袋取ったりーっ」


 きゃっきゃと喜びながら皿洗いを進める月菜ちゃん。

 料理を頂いてしまった上に皿洗いを含めた後片付けもお願いしている。俺が自分でやると願い出たが断られてしまった。どうも自分でやりたいらしい。口をつけた箸やらスプーンを洗われるのは家族同然の相手とはいえ、やや気まずさがある。


 ……うぅむ、何かしてあげられることはないか。


「しっかしいつも月菜ちゃんに甘えてばっかりだよな」

「……え、なに急に。こわいんだけど」


 月菜ちゃんが腕まくりをしながらくすっと笑った。

 

「ほら、こうして飯も作ってもらってるし、皿洗いもさ」

「私がしたいだけだからいーの。真ママにも頼まれてるし」

「それでもだろ。あ、なんかできることないか?」


 家族同然の付き合いがあるとはいえ、月菜ちゃんが底抜けに優しい子だ。やや悪戯好きな面があることは否めないが、懐かれていると思えば全然許せてしまう。

 で、あれば。いつも貰ってばかりの俺も多少は恩返しをしたい。

 

 これでも男なので力仕事があれば全然担うつもりだ。

 一ノ瀬家のリビングをぐるっと見渡すと、恐らく配達されたばかりであろうダンボールが二個縦に積み上がっていた。それなりに場所を取っている。


「その段ボールどっか持ってこうか? 邪魔っぽいし」

「あー。真にいが来る直前に届いたのよね。なんかアイツが買ったんじゃない?」

「ふーん、まぁ……ささっと日向の部屋に運んどくよ。任せて」


 俺は席から立ち上がり段ボールに貼られた納品書に視線を落とす。

 詳細は書かれておらずカテゴリーだけの納品書。どうもスポーツ用品のようだ。

 軽く持ち上げてみようとすれば、予想外に結構な重量だった。これは月菜ちゃんが持つには些か大変だ。何より嫌悪している日向の荷物など触りたくはないだろう。


「というか、その日向は? もう結構な時間だろ」

「さー? どうせ友達と遊んでんじゃない?」

「はぁー、人気者は大変なこって」

 

 日向は男女問わずその容姿と性格で大人気だ。本人もアウトドアを好むので、平日でも遊びに出掛けることが多い。基本出不精の俺とはとことん対極な男だ。

 俺を誘う日もあるにはあるのだが、だいたい行かない。


 陽キャのテンションやハーレム軍団とのいちゃつき。住んでいる世界が違うとはよく言うが俺みたいな一般男子にとっては、ちとあの空間は厳しいものがある。

 自分で考えてふと気づく。日向と遊ぶことが減ったな、と。


 まぁ幼馴染だからといって、関係が変わらないとは限らない。


「まあ、あれか。月菜ちゃんも既に人気者だしなぁ」

「かもね。でもどーせ私と友達っていうステータスが欲しいだけでしょ」

「……おぉう、否定できない」


 蛇口を締める音が小さく響いた。皿洗いが済んだらしい。

 タオルで濡れた手を拭き終わると月菜ちゃんは背中をグッと伸ばした。

 月菜ちゃんの黒色の部屋着がわずかに捲り上がる。


「私はアイツと違うの。うわべだけの関係なんていらない。お洒落だって好きでやってるだけで、興味ない人から好かれたいとか思うわけないっての」

「……ほーん。つまり興味ある人からは好かれたいってことか」


 意味深に紡がれた「興味ない人」というワードを俺は拾い上げる。

 高校生になってから一か月、月菜ちゃんは確実に男子から告白されているだろう。中学生の頃からモテモテだったのだ。やや大人びた彼女の魅力は右肩上がりだ。


 月菜ちゃんが誰かと付き合いデートをしているビジョンを想像すると、言い得ぬ寂寥感が胸中に芽生えた。これが娘を彼氏にやる父の気持ちなのだろうか。


「そりゃそうでしょ。それこそ私だって恋愛したいって。ちなみに初デートは水族館か動物園。遊園地も捨てがたいわね。あ、でも一番は映画館かも!」

「……映画かぁ。俺も行きてぇな」


 俺だって恋愛には人並みに興味がある。むしろ人並み以上かもしれない。

 日向という恋愛強者を間近で見続けた弊害か恋愛への嗅覚が鋭い自負はある。


「え、じゃあ行こうよ映画。恋人ができた時の練習で」

「……そーいや、月菜ちゃんと二人でどっかに出掛けたことないよな」

「そーよ! 真にいってば目立ちたくないとか言い訳ばっかりで!」


 妹みたいな存在だが、月菜ちゃんと知り合いだとバレれば厄介な男が寄ってくる。それを考慮して二人で出掛けたことは今に至るまで一度たりともなかった。

 加えて、ずっと日向が俺を離してくれなかったというのもあるが。

 最近は前述のとおり関りが減っている。……ふむ。


「もういいでしょ別に目立っても。誰か話しかけてきたらデート中ですって堂々と言えばいいんだし。というか誰々と一緒にいたーとか噂する奴の気が知れないって」

「まあ、それはそうなんだが。……わかったよ、今度行こうか」

「よっしゃ! 絶対だよ! 絶対だからね真にい!」


 ちなみに堂々とデートしてるんですと唄えるほど豪胆ではないことを最初に宣言しておく。


 出不精の俺だが、誘われれば外出くらいはする。

 確かに俺は目立つのが嫌いだが、期待で目を潤ませた月菜ちゃんの誘いを断ってしまうのは申し訳なさが募った。また、喜びでぴょこぴょこしている彼女を見ると、どこかほっこりした。もし同じ高校の面子にバレた時は……そんとき考えるか。

 

 そも、目的はデートの練習。月菜ちゃん程のお洒落人間と出掛ければ俺の経験値になることは間違いなし。実際に恋人が出来た時の手札として活用できるはずだ。

 俺は微笑を浮かべ、土日の予定を空けておくことを決めた。


「ああ、約束な。じゃ、これ運んじゃうよ」

「あ、うん。そうだったお願いします」


 俺は頷き、段ボールをぐっと持ち上げる。やはり重い。

 僅かによろめきながら俺がリビングが出ると、廊下に中身が詰まったゴミ袋が置いてあった。そういや明日燃えるゴミの日の回収日だ。後でまとめておかないと。母親は夜勤で、父親も帰りは遅いだろう。明日の朝イチで出せるのは俺だけだ。

 

 リビングから漏れ出る明かりを頼りに廊下の電気をつける。

 そうしてそのまま階段をのしのしと登って日向の部屋の前にまできた。

 中に入るのは忍びないので、このあたりに置いておけばいいか。


 そんなことを思案しながらリビングに戻り、もう一個の段ボールを抱える。そしてまた廊下へ。ゴミ袋が視界に映る。――一瞬の違和感。それが何かは分からない。

 ただ、中身がうっすらと透けているそのゴミ袋が微かに気になった。


(……なんだ?)


 と、そこで答えに辿り着いた。透けて見えるゴミ袋の中身。

 そこに桜色の何かが見えたのだ。奇しくも俺が紛失したラブレターと同色の。

 だがゴミ袋は曇り仕様になっているうえ中身を物色するのは礼儀知らず。というよりも色が偶然の一致をみせただけ。どうも失くしたことを引っ張っているらしい。


(マジで、どこやったんだろ)


 しかし、ない物はない。管理不足。

 俺は階段を上がりながら、ふぅと溜息を零した。

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