第25話 開かずの扉

 初の集会後、俺と月菜ちゃんは自然と帰路を共にしていた。

 陽が長くなったこともあり、まだ完全に夜は訪れていなかった。

 ただ、うすぼんやりと月の姿が空には浮かんでいる。


「……初日から大変だったわね、色々と」

「確かに。まっさか会長から呼び出されるとは」


 楠木姉から渡された間違いラブレタ―の件は月菜ちゃんに伏せている。そもそも失くしてしまっている上に、わざわざ報告する理由もないからだ。

 犯人という枠組みから楠木姉は外れているだろうし。


 楠木姉は日向に何らかの経緯を経て、好意を寄せている。ましてや彼女がストーカーだとすれば俺を呼び出した際にもっと過激な行動を取ると思う。


「真にいってお人よしね。断ればいいのよ!」

「……まぁ、そりゃあそうなんだろうがな。どうも染み付いているらしい。あとアドバイスをしてくれなかった、とか逆ギレされてみろ。面倒すぎるだろ」

「それ、アドバイス通りにしたけど駄目だったもありえるわ」


 ごもっともだった。どうも幼少の頃から日向やその周辺に巻き込まれてばかりで、俺の中で常態化しているらしい。付き合い方を改めるべきだろうか。

 確かに振り返れば損な役回りばかり押し付けられていた。


 梨花や緒川、姫乃会長といったハーレム集団も、元を辿れば全て日向に帰結する。あの男は俺をどう評価しているのだろうか。聞くつもりなど毛頭ないが。


 関係は作ることも出来れば、断つこともできる。

 昔は一緒に虫取りに出掛けたり、同じベッドで寝たりしたんだがなぁ。懐かしい思い出がふと蘇る。同時に現在の日向の価値観には同意できないのだと悟った。


「それで、誰か怪しい人はみつかったの?」

「いーや残念ながら。正直、さっぱりだ」


 観察は集会中適宜続けていたが、成果は乏しいと言わざるを得ない。


「ま、あの場にいるとも限らないからな」

「警戒はすべきよ。――あ、夕飯食べてくでしょ?」


 遡ること十数分。母親からメッセージが入った。

 急遽夜勤になってしまったらしい。社会人は大変だ。父親は父親でテキトーに食事を済ませてしまうタイプなので、夕飯の時間俺は家で一人が確定していた。


「あぁ、そうだな。スーパー寄ってくか?」

「大丈夫。材料はまだ色々と余ってるから。中華か和食か」

「……中華だな。味付けが濃いものが食べたい気分だ」

「奇遇。私もよ」


 互いに疲れが溜まっている。ストレスを吹き飛ばすには濃い味付けだ。俺と月菜ちゃんは顔を見合わせて、照らし合わせるでもなく同時に苦笑した。




 もはや第二の実家。一ノ瀬家。

 何年もかけて背丈を伸ばした観葉植物。誰の趣味かも分からない木彫りの熊。テレビ台には碓井家と一ノ瀬家が映った集合写真が何枚も飾られている。普通は他人の家ともなれば勝手が悪くなると思うのだが、通い過ぎて俺は心底寛いでいた。


「テレビでも見て待ってて。三十分もしないうちにできるわ」

「あいよ、悪いな。俺に手伝えることがあったら何でも言ってくれ」

「……じゃあそうね。洗い物が出たらお願いしようかな」


 台所越しに見えるエプロン姿の月菜ちゃん。てきぱきと作業を進める姿には思わず感嘆の意が漏れる。あれに至るまでどれだけの努力を重ねればよいのか。

 ふわりふわりと茶髪が左右に揺れていた。


 たわいのない情報番組がテレビから垂れ流しになっている。

 スマホばかりでテレビを見る時間が少なくなったが、何だかんだ食事時にはこういった番組が似合う。名前も知らないキャスターがロケに出向いていた。


「そのエプロン、ほつれが目立ってんな」

「丁寧に扱ってきたつもりなんだけどね。もう数年は使ってるもの」

「新しいのにしたらどうだ」


 ふと、気付いたことを口にした。

 月菜ちゃんの装着しているエプロンはここからでもほつれが目立つ。生地にたわみが出ているし、どうしたって消せないシミもある。買い替え時だろう。


「……ん~、大事なエプロンだから」


 半身で振り返りながら、にやけ混じりの小さな笑い。

 覚えている。いつだったか、彼女が本格的に料理に目覚めた頃だ。エプロンが欲しいと強請った彼女に俺が小遣いをはたいて渡した安物のエプロン。

 ただ、これだけ長く使って貰えればお釣りだって返って来る。


「そう言ってくれて嬉しいけどな、また買うさ、エプロンくらい。美味い飯代にはならんかもだけど」

「好きでやってるから良いっていつも言ってるでしょ」


 笑みを深めた月菜ちゃんはふいっと顔をフライパンへと戻した。その表情は伺い知れない、ただ、悪い空気は漂っていなかった。微かな声で、ぽつりと一言。


「……覚えててくれたんだ」


 まだそのエプロンは現役なのかもしれない。


――チャイムが響いた。


 前触れもなく鳴った音。テレビドアホンを確認すると、段ボールを抱えた配達員。その旨を伝えると「ごめん受け取って」との言葉。俺はリビングを出る。

 ドアを開け、一ノ瀬とサインを書き、受け取る。


 あて先はこれまた日向。頼みすぎだろ、しかもまた重いしよ。差出人を調べてみればスポーツ用品店。部活の助っ人に呼ばれるアイツらしいといえばらしいが。 


「日向宛てだった。部屋の前に置いてくるわ~」


 月菜ちゃんに伝え、階段を上がる。二階の構図は、階段を上がって右手が日向の部屋であり、突き当りが月菜ちゃんの自室。左手側が物置となっている。

 部屋の前にでも置いとけばいいだろう、そう考えた。


「……珍し、閉め忘れなんて」


 どかっと荷物を置くと、奥の扉が開いているのが視界に映った。

 月菜ちゃんがドアの閉め忘れなんて、そうそうあることじゃない。昔はちょこちょこあったけれど、中学生あたりから締め切られているのが常だった。


 月菜ちゃんだって女の子だ。不可抗力であっても覗かれるのは嫌であろうし、思春期なら尚更だ。男の俺でさえ突然自室に侵入してくる母には警戒してしまう。


 配慮配慮っと。覗かないように俺は踵を返した。

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