第35話 嘘つき

「……?」


 俺の頭上にハテナが浮かぶ。


 屋上に現れたのは、男女ふたり組。

 手を繋いでいる様は、まさに仲睦まじい恋人そのものだ。

 よくよく見てみれば、ふたりとも同じ実行委員だった人物ではなかろうか。元から仲が良さそうとは思っていたが、なるほど。付き合い始めたらしい。

 

 ふたりは自分等の世界を築き上げているようで、特別俺と緒川を意識する素振りも見せずいちゃつき始める。直視するのは憚られて、横目で見やるに留めた。


 普通は先客である俺たちを気にするのだろうが、そこは恋の力なのか。

 とりわけ彼氏側の熱意が凄まじそうだ。彼女の方といえばちょくちょく俺と緒川を見つめるのだが、何だかんだと満更ではない雰囲気を纏っていた。


「……なんか、気まずいな」


 耐え難い空気に俺は独りごちた。

 神妙だった空気が完全にぶち壊しである。

 彼女の立場や感情を汲み、あるいは疑心を抱きつつ、どう行動すべきかを考えようと決断した矢先の出来事であった。俺は手持無沙汰に頬を指でかいた。


 気まずさを覚えていたのは緒川もらしい。先ほどまで物思いに耽っていた表情はどこかに消えており、意図せずか渇いた愛想笑いが数度飛び出している。


「い、行きましょうか……!」

「お、おう。そう、だな」


 思いもせぬ来客に俺たちは会話を続ける勇気を失ってしまう。

 仕方なくその場を去ろうという流れになった。だがこのまま帰宅しては、素直に緒川の意向を受け入れてしまった形となる。解決策を練る運びになるだろう。緒川が本当に困っている可能性を考慮したとしても、考えさせてくれと軽はずみに言ってしまった俺も存外脇が甘い。何だかんだとこの後輩を突き離せない俺がいた。


 ただひとつ――聞きたいことがあった。


「緒川」


 屋上から校舎に戻り、階段を下っている時に声を掛けた。

 少し先を歩いていた緒川の首だけが俺に向けられる。

 差し込んだ夕焼けとふたり分の伸びた影。


「なんですか? 碓井先輩」


 こてんと首を傾げる緒川。さらりと金髪が揺れる。

 生意気だが、可愛い後輩だ。中学時代の物静かでおどおどした彼女を思い起こす。変わったようで、変わらない緒川美海という少女に俺は投げかけた。


「さっき考えさせてくれって言ったろ、俺」

「あぁ、はい。それがどうかしました?」


 緒川は完全に振り返り怪訝な表情をより深めた。

 違和感なく、矛盾なく、俺は言葉を練りながら続ける。


「先に一応情報共有だけしておこうと思ってな」


 腕を頭の後ろで組んで、俺は何気ない雰囲気を纏う。

 閉め切られた屋上の扉。体育祭後の閑散としながらもどこか厳かな空気が漂う校舎内。声はおろか、足音すらしない。俺たちの声は小さくも響いている。

 思えば、最近こんなシチュエーションが多い。


「前、ストーカーが家に来たことがあるって伝えただろ?」

「……そういえば、あの時は驚いたっすよ。ほんとに」

「実は続きがあってな、そいつ追っかけたんだよ」


 夜の追いかけっこ。明らかに走り慣れた人物。


「ただ追い付けなかった。多分、陸上部だとはアタリをつけてんだけど、中々絞り切れなくてな。……実行委員で陸部を掛け持ちしてる奴そこそこいるし」


 楠木姉だけでなく、陸上部と実行委員の兼任はそこそこいる。あの日、緒川と楠木姉の会話を聞いていなかったら、より犯人像が朧気になっていたかもしれない。

 あと、もうひとつ。緒川は勘違いをしていることがある。


 月菜ちゃんはあの夜、家の中に戻っているのだ。

 追いかけた人物は必然的に月菜ちゃんではないことになる。緒川が月菜ちゃんをストーカーと感じてしまうのは訳ないが、矛盾が発生しているのだ。

 月菜ちゃんに協力者がいれば別だろうが。


 ただし、緒川目線は夜の追走劇イコール月菜ちゃんの図式が成り立つ。それはなぜか、月菜ちゃんの運動神経に起因している。陸上顔負けだからな……。

 

 あとはストーカーが誰だろうと、藁人形を事前にどうやって用意したのかとか、メールのタイミングが良すぎるとか、気になることは山ほどあるが、兎にも角にも行動しないとならない。茫然と待つだけでは答えに辿り着けないのだから。


「……なら、やっぱり一ノ瀬さんじゃないんですか……?」

「……顔は見えなかった。……かもしれないな。ただ視野を狭めるのは危険だと俺は思う。緒川の知り合いに実行委員かつ陸上部とか、この際、実行委員でなくてもいいから、足の速い奴で何となく怪しくて気掛かりな人間はいないか?」

 

 俺の問いに緒川は「む~」とこめかみを抑え考える仕草を取る。

 その間、月菜ちゃんからメッセージが届いた。――大変ご立腹な様子である。

 むきーと吹き出しがついた猫のスタンプ。トーク内容は「いまどこ」だ。約束し、校門前にいるはずの俺がいないのだから、腹立たしくなるのも納得ではある。


「で、どうだ。ひとりくらいは浮かんだか?」

「……う~ん、仲の良い陸上部の子はいますが、これといって……」

「そう、か。……わかった、ありがとう。屋上でのことはまた話そう」

「はい。私、このままだと襲われちゃうかもしれませんし」


 やや冗談交じりながら物騒な内容を口にした緒川。

 確かにストーカーの執着心は異常である。緒川への襲撃もあり得る。

 だが、俺は胸中にある疑いの天秤が緒川に傾くのを感じた。


――楠木姉が陸上部であることを知らない?


 まさか。あれだけ意味深な会話をしていたのだ。

 会話を切り上げ、てこてこと変わらず少し前を歩く緒川の背を見つめた。その背に嘘つきという文字が見えた気がした。俺はすぅと細長い息を吐いた。




「遅い。どこ行ってたのよ」

「悪い悪い。急に教師に呼ばれちまってな」


 急なヘルプを頼まれたと説明すると、ふんと鼻を鳴らした。

 釈然としていない様子ではあったが溜飲を下げてくれたように見える。彼女は明るめの茶髪を弄った後、上から着たジャージの胸元をパタパタさせた。


「……その恰好、暑くないのか」

「暑いけど、体操服のまま歩きたくないから」


 聞けば、体操服のままだと変に注目を集めてしまうらしい。

 確かに十人中十二人が美少女と答えるだろう容姿だ。体操服は危険だ。


「それこそ変態にストーカーされかねない、頼んだわよ」

「任せてくれ。突進して時間を稼ぐくらいはやってみせるぞ」

「……まあ、いっか。真にいにしては上出来ね」


 高校から互いの家まで、凡そ十五分程度。決して遠くはない。ゆっくり歩いたとて自然と辿り着いてしまう距離感。だと言うのに、今日はやけに遠い。

 心理的な意味合いではなく、歩く速度が明白に遅かった。


(……ふむ)


 校舎を出て、数分。俺はさりげなく隣を見やった。

 少しずつ言葉数が減って、今では会話を投げかけても一言が限界。

 頬を赤くさせ、ふらりふらりと足取りが覚束ない月菜ちゃん。


 体調を崩しているのだと一目でわかった。実行委員としての負担。選手としての疲労。あらゆる心身へのストレスが出てしまっているのだと俺は判断した。

 解放された途端、月菜ちゃんの身体が悲鳴を上げ始めたのだろう。


「……大丈夫、じゃないよな。……タクシー呼ぶか?」

「勿体ないから、だいじょう、ぶ。家、近いし」


 ほぅと月菜ちゃんは吐息を漏らす。倒れてしまいそうだ。

 タクシーを呼ぶにも料金と時間的に却下。かといって無理はさせられない。

 俺は周囲を見渡し、誰もいないことを確認してから決断を下した。


「この程度、どうってこと、ない――ッ」


 言いながら、月菜ちゃんは何もない所で躓きかける。

 俺はさっと身体を支えて、その流れで強引におんぶした。軽い。

 幼少の頃をふと思い出す。当時はよく俺が背負っていたっけ。


「言わんこっちゃない。背負ってやるから、寝ちゃいな」

「……おろして。……私、ひとりで歩けるもん」


 もんって。ささやかな抵抗に俺は苦笑した。

 口では嫌がりながらも、素直におんぶを受け入れている月菜ちゃん。それだけ身体がしんどいということだろう。俺は揺らさないよう歩き方に気を付ける。


「誰かに見られたらどうするのよ。目立つ、わよ」

「月菜ちゃんが言ったんだろ、諦めなさいって。あと、俺が目立つより月菜ちゃんが苦しむ方が嫌だからな。……ま、変な噂とか立ったらごめんな」


 言うと、月菜ちゃんは「ばーか」と聞き慣れた暴言を吐いた。

 その際に漏れた吐息が首に当たる。こそばゆくも、その内包した熱に驚く。

 こいつ……高熱じゃないか。明日が土日で良かったと本気で思った。


 揺らさないよう意識していると、足取りが更に遅くなる。

 いつもの倍以上の時間を掛けて歩いていると、やがて我が家が見えてくる。ただそこをスルーして、一ノ瀬家の前に立つ。背負われたままの月菜ちゃんに声を掛ける。何だか借りてきた猫のように静かだ。――いや、実際うたた寝していたらしい。


「……月菜ちゃん。しんどいとこ悪いけど起きてくれるか。鍵どこだ」

「鍵なら、バッグの外側ポケットにあるから、出して」


 言って、また俺の背中にぐでっと顔を預ける月菜ちゃん。

 仕方ない。俺はジャージ姿の月菜ちゃんを落とさないように気をつけながら、彼女のスクールバッグを漁る。外側ポケット、外側ポケット――これか。

 

 俺はひとつの鍵を引っ張り出して、玄関を開けた。


「――おかえりなさーい! ……ん?」


 その姿を見たのは、春休み以来だった。

 どことなく月菜ちゃんと似ている容姿。俺は反射的に会釈した。

 エプロン姿。片手にはおたま。そういえば、一旦帰国するという話をうちの両親から聞いていた気もする。ストーカー騒ぎでそれどころではなかったが。


「あらあらぁ! 真司君! 久しぶりねぇ元気にしてた!?」

「えぇ、まあ。春休み以来ですかね? ――陽華さん」


 一ノ瀬陽華。外国を飛び回っている、やり手の人間。

 

――日向と月菜ちゃんの、母親である。


―――――

 

 お世話になっております。ここまでお読み下さり、ありがとうございます。

 ゆったりとした展開であること、読者の皆様にはご迷惑をおかけしています。とりあえず、体育祭編はあと数話で完結予定です。終着点は既に構想としてある状態ですので、遅筆ではございますが、ごゆるりとお付き合いいただけると、幸いです。 

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