第29話 不穏
緒川への敵視が過激化している。
ストーカーは巧妙に姿を隠し、盗撮写真や虫などを緒川の靴箱へ入れ始めた。れっきとした虐めであった。
これ以上は俺たち生徒の手には追えなくなる。そう考えた俺は、教師や親への協力を仰ぐべきだと判断した。
ただ俺の一存で動く訳にはいかない。月菜ちゃんと緒川の意思も問う必要がある。──理由はふたつ。
まず、大人が介入すれば大事に発展する。とどのつまり悪目立ちだ。
緒川や月菜ちゃんが関わっていることが露呈すれば、噂好きな生徒が勝手に色をつけて広めるに違いない。
そうなると怖いことはストーカーが俺や緒川に逆ギレする可能性だ。
大人が介在することで犯人の動向が静かになればよいが、そうではなく恨みに変換された場合が恐ろしい。
ましてや現状ストーカーが判明していない。そこで教師や親が入り込めば確実に大きな捜索になるだろう。
脅迫の手紙や盗撮写真、虫など動くには充分すぎるほどの物的証拠。
この動向未知数というリスクが浮上するということがひとつめの理由。
ふたつめは実行委員の可否だ。
現在俺たちは実行委員として体育祭への準備に奮闘している訳だが、それが頓挫する懸念が出てくるのだ。
トラブルどころか爆弾を抱えた生徒らをそのまま参加させるのは、放任主義がすぎる。順当に考えるなら実行委員での動きが制限されるだろう。
緒川は詳細こそ不明だが、並々ならぬ想いを体育祭に賭けている。
それを邪魔したくない。
おおかた、日向と実行委員になることを夢見ていたようなので、体育祭という一大イベントを経て、関係のステップアップを計ったのだろうか。
上記の事から、俺は勝手に動くことはせず、緒川と月菜ちゃんの意思を尋ねることに決めた。……また、別件ではあるが、拭えない違和感があった。
それはやはり、なぜストーカーは月菜ちゃんへの攻撃はしないのかであった。自然の流れでいえば、距離感の近い月菜ちゃんこそ被害者になりそうなのに。そこがどうしても気に掛かる。
犯人は結局、月菜ちゃんなのか?
俺の自惚れでなければ、彼女は俺という人間を評価してくれている。
だがしかし、彼女が俺をストーカーまでする必要があるとは思えない。
そもそもお隣同士であり、ストーカーするまでもなく行動の一挙手一投足は割れている。意味がないのだ。
なんて、理論を広げたところで正直な話をすれば、信じたくないのだ。
一ノ瀬月菜という少女が、緒川を虐めているという構図を。どうか第三者であれと願っているに過ぎない。
現状。証拠。あらゆる角度から見ても最も怪しいのは月菜ちゃんだ。
あのハンカチの出所も気になる。いつか聞かねば聞かねば、と繰り返し自分に言い聞かせて、聞けぬまま。
「……珍しい組み合わせだな」
それは、たぶん偶然だった。
書類の詰まった段ボール。女子では大変だと教師に頼まれ、俺は無駄に思考を捻りながら校内を歩いていた。
視線の先、階段の踊り場。
日がすっかりと伸びたことを表すように窓から差し込む陽光。それを受けるふたりの女子生徒。意外な組み合わせに俺は思わず歩を止めてしまう。
「緒川と……楠木……姉?」
派手な金髪と、長めの黒髪。
パッと見、ひと気の少なさも相まって、ヤンキー娘が地味な少女をカツアゲしている現場に見えなくもない。
しかし実際は生意気なハムスターと間違いラブレターの首謀者である。
最初は楠木妹かとも思ったが、あの長めの黒髪は間違いなく楠木姉だ。
しかし……これはいったい?
実行委員として参加しているならば組み合わせ的には変ではないとも思ったが、元より楠木姉は生徒会役員であり、実行委員とはやや住み分けが異なる。関わることは比較的少ない。
個人的な付き合いがあるのかとも思ったが、ふたりが和気藹々と絡んでいる現場は、見たことがなかった。
またふたりは手ぶら。仕事をしている雰囲気はさっぱり感じられない。
かといってサボりに興じる性格ではふたりともない。そうなれば、必然的に疑問ばかりが脳内に浮かんだ。
「活かすも殺すも楠木先輩次第です」
「……うん、ありがとう」
神妙な表情が会話を繰り広げる緒川と楠木姉。偶然ではあるのだが、傍え聞きのような姿勢になってしまった。
盗聴するつもりはないので、その場を去ろうとする俺の足を縫い付けた。
ぴたっと足が動かなくなる。
「あと学校では話さないって約束したっすよね。誰かに聞かれてたらどうするんですか。目的知ってますよね?」
「あう、ごめん……。不安で……」
「……ま、頑張ってください」
その取り決めは不穏だった。
緒川と楠木姉が知り合いであることは確定したが、校内では関わらないことを前提としているらしいのだ。
彼女らの会話は既に終盤であるため、内容への理解は追い付かない。
しかし、穏やかではない。
「簡単だと思いますけどね。私は」
「それは緒川さんだから……」
「自分に自信を持つことです。なんだってなれる、なんだってできる、そうやって、ひたすらに頑張るんです」
そこで、会話は本当に終了したらしい。こちらに近づいてくる足音が廊下の壁に反響して響いた。俺は慌てて死角に身を隠し、その場をやり過ごす。
隠れた理由は自分でもわからない。
この場に居合わせたのは偶然なのだから、なんらやましいことはない。
「緒川さん。怖くないの?」
去り行く緒川に声をかける楠木姉。
その台詞がなにを指しているのか、緒川の笑い声が鼓膜を震わせた。
「当たり前じゃないっすか」
「……私は怖いよ。もし、自分の立場なら、押し潰されそうになってる」
「楠木先輩は甘ちゃんですねぇ」
緒川は続けて言った。
「やるしかないんすよ」
段ボールを抱えている手が汗で滲んでいる。疲労とは別の、緊張。
(……緒川と、楠木姉)
やがて緒川の足音は遠ざかり、楠木姉も現場から小走りで離れていった。
(……確かめないと、いけないな)
この場に居合わせたのは幸運なのだろう。しかし受け入れたくはない。
脳裏に掠めた思考は一蹴すべき。
俺がいまのいままで除外していた、否、考えもしなかった想定と答え。
明日にでも確かめなければ。
月菜ちゃんへは伝えない。これは俺ひとりで動くべきだ。月菜ちゃんは最悪犯人のひとりとして考えている。
浮かんだ新たな選択肢。
誰がストーカーで、誰が俺を狙っているのか。だが……月菜ちゃんが狙われない理由の正解は見えてこない。
「……あー、しんど」
なんとなく掠れた声で呟いた。
声にもなっていない言葉は、響くことなく、空気に溶け込んで消えた。
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