第28話 人形

──ストーカーの足取りは掴めず。 


「……まだ時間はあるな」


 約束の刻は22時と指定がある。

 あえて意地悪く校舎裏で先行して待機してみようかとも考えたが、相手がそれを見て現れなければ意味がない。


 スマホのデジタル時計は21時少し前を示している。場所はファミレス。


 夕食時のピークはやや外れ、平日であることも相まってか店内は閑散としていた。店員も心なしか暇そうだ。


 テーブル席にて、俺と月菜ちゃんは隣同士に座り、緒川は対面する席に腰掛けている。景気付けにと頼んだショートケーキは全く減る気配がない。


「私、狙われてるってことですよね」


 プラスチックのコップとストローを弄んでいた緒川はぽつりと呟いた。

 表情には暗い影が差している。


「碓井先輩とは仕事で話してただけなのに。……許せなかったんすね」

「嫉妬に狂った女は怖いのよ」


 ぴしゃりと言い切った後「たぶん」と付け加えたのは月菜ちゃんだ。


 約束まで余裕があるということで急遽開幕となった作戦会議は、妙案出ることなく無為に時間ばかりが過ぎ去っていた。コーヒーの苦味だけは確か。


「……前回も緒川は敵視されている。それを考慮して動くべきだった」


 遂に出始めた実害。

 俺は頭を下げた。


「や、やめてくださいよ! どうしたって業務上仕方なかったですし!」


 声につられて顔を上げてみれば、緒川は大袈裟に頷きを繰り返していた。

 ついで、両手を胸の前で振る。


「……確かに、ストーカーの動向は意識すべきだったとは思いますけど、どうしたって仕事で話す時は出ますし、距離を置くにも限界があります」


 ちゅるちゅると緒川はストローでジュースを吸った。顔に覇気はない。誰ともなしに俺は天井を見上げた。


 仕事の都合とはいえ、緒川と時間を共にすることが殊更多かったのは、事実だ。

 月菜ちゃんと同等程度には。


「だけど、ようやく大きな一歩よ」


 会話が途切れて数拍。

 月菜ちゃんは髪をかき上げながら滔々と言った。俺は小さく頷く。


「……あぁ。緒川には迷惑をかけて心苦しいが……とりあえずは、な」


 俺は腕を組んで瞑目した。

 しかし、緒川が放った次の発言に納得してしまった自分も存在した。


「あの水を差すようなんですけど、今まで姿形を巧妙に隠してきた相手が嫉妬心から簡単に現れますかね?」

「……まぁ、動揺を誘った成果と言えるんじゃないか。分からんけど」


 恐らく、この世でもっとも便利なワード、分からんけどを発動した俺。


「緒川さんの考えも理解できる。動揺や嫉妬で正体を見せる可能性は考慮していたけど、唐突すぎる気もするし」

 

 言われてみれば、ではある。

 月菜ちゃんが考案した嫉妬心を煽りまくろう大作戦であるが、今まで成果は残念ながら得られていなかった。


 それが急に正体を見せるとは、あまり思えずにいた。俺は小さく唸る。

 果たして誰が待っているのか。


 約束された時間まで、刻一刻と迫りつつある。俺はしわぶきをひとつ。


 思えば、既に一ヶ月以上。

 楠木先輩の間違いラブレター事件から定期考査を経て、今日びに至る。

 定期的に届く謎の脅迫メール。


 どう考えたって狙われるとしても日向であるのに何故俺なのだろうか。

 イケメンでも金持ちでもない。


 自己評価は正確であり、どこにでもいるような一般男子高校生。日向や日向ハーレム、月菜ちゃんが優れた人間あるに過ぎない。俺は凡庸なのだ。


 恋愛は分からぬが、誰かと恋人になりたいという気持ちは俺にもある。

 間違いであったが、楠木先輩から貰ったラブレターにたいして最高に気持ち悪い妄想を膨らませるくらいには。


 誰かを好きになるという気持ちは分からない。けど、恋に憧れている。

 痛い感情なのは理解している。


 俺が抱く拗れた価値観は、日向狙いの恋愛相談を受け続ける内に形成されたのだろう、と推測していた。


 だから緒川が日向に向ける実直な恋愛感情は無論のこと、ストーカーが俺に謎に抱いている恋愛感情さえも。


 俺は心のどっかで、たぶん。

 憧れているのかもしれない。




 砂の擦れる音が耳朶に侵入する。

 電灯の消えた校舎の外観は、普段とは異なり不気味な様相を呈していた。


 たかが明かりのあるなしで、ここまで印象が変わるとは思わなかった。

 ただ今日は校舎内に用はない。


 目的地は校舎裏。うすぼんやりとした雲とそれに阻まれる弱気な月光。

 

「け、結構雰囲気あるんすね……」

「緒川さん、気を抜かないでよ。この先にはストーカーがいるんだから」


 背後から女子らの会話。気付けば俺が先頭で切り込み隊長を担っていた。

 いやまぁ、いいんですけど。


「──真にい、本当にいると思う?」


 ふと、隣に並んできた月菜ちゃんからの問いに、俺は首をかしげた。

 ……確証がなかったからだ。


「ぶっちゃけ姿を見せない可能性もあると思ってる。誰もいないとかな」


 相手は今の今まで尻尾を出さなかった。嫉妬心に狂う様も感じなかった。

 ならば、これも罠かもしれない。


「……癪ね。踊らされてる」

「犯人に振り回されてる感じは否めないな。──遂に実害が出始めた」


 俺以外の誰かを巻き込み始めた。

 月菜ちゃんに矛先が向くなら即彼女の協力を絶つつもりだったが、最初の標的は緒川。危険であることには変わりないが、どうすべきか判断に迷う。


「……一応、私なりに緒川さんのことは心配しとく。同じクラスだしね」

「助かる。悪いな」


 緒川とは協力体制にあるわけでもなければ、そも完全に被害者である。

 かといって実行委員という立場上距離を置くのは難しい。教師陣に事情を打ち明ければ大事になりかねない。


 月菜ちゃんも兄を好く異性を気にかけるなんて、複雑な心境だろうに。


「さて、と。ついたな」

「……その、緊張してきました」


 緒川はぽつりと呟きながら、さっと俺と月菜ちゃんの後ろに隠れた。

 そこの角を曲がれば校舎裏。


 楠木姉に呼び出された場所だ。告白をするには適した絶好のポイント。

 とどのつまり、誰かを呼び出すにも最適ということになる。俺は生唾を無意識に飲み込んだ。──この先に。


「月菜ちゃんと緒川は後ろに。相手が急に襲いかかってくるかもしれん」

「ま、まさかそんな! ……やー、でも、相手は異常者ですもんね……」

「ありえない話ではないでしょ」


 俺の警戒体制に、緒川と月菜ちゃんが互いに異なった反応を見せた。

 

「──よし、いくか」


 光源がわりに利用していた、スマホは数秒前に22時をぴったり示した。

 俺は呼吸を整え、歩を進める。


「…………?」


 しかし、そこには誰もいない。

 伸びた雑草。放置された花壇。見渡すほどのスペースもない小さな空間。

 静か、それはもう静かだった。


「誰もいないぞふたりとも」

「……え、碓井先輩ほんとっすか?」

「なによ警戒して損した」


 数秒間を置いて現れたふたりは怪訝な表情だった。至極の当然の反応だ。

 呼び出され、そこは藻抜けの空。


 イタズラにしてもたちが悪い。俺は悪態をつきながら地面を蹴った。


 そして──息を呑んだ。

 一瞬、呼吸さえも忘れるほどの衝撃が全身を走った。頬をひきつらせる。


「……マジか。趣味、悪すぎんだろ」

「急になんすかなんすか──ひっ」


 見つけたのは、人形だった。砂にまみれたボロボロの人形。材質は藁。

 地面に乱雑に置かれた藁人形。


 覚悟を決めて持ち上げてみれば、中心には一枚の写真。そして、五寸釘。


「隠し撮りね。これ、気持ちわる」

 

 月菜ちゃんは感情を吐露する。

 写真は俺と緒川がふたりで荷物を運んでいる場面。何気ない瞬間だった。


 その写真に映る緒川の顔に、五寸釘が深く深く、打ち付けられていた。


「……私の顔。こんなのって」

「緒川すまん。見せるべきじゃなかったな。……月菜ちゃん、ありがとう」

「いい、気にしないでよ」


 蒼白な表情でへたりこみそうになる緒川を月菜ちゃんが支えていた。


「誰もいない上に、緒川を苦しめる藁人形と写真。……バカにしやがって」


 舌打ち。


 そこで気づいた。藁人形の後ろ側に何かがテープで貼り付けられている。

 スマホで照らせば黒色のテープ。 

 闇よりもどす黒い、漆黒。


 そのテープで貼り付けられていたのは、ヨレとシワだらけの手紙だった。


 ……相手はよほど手紙に気持ちを込めるのがお気に入りらしい。俺は「手紙が貼ってある」とだけ、呟いた。


 月菜ちゃんに緒川を託し、まずは俺だけが文面の読み取りに没頭する。


『お前がひとりで来たら会うつもりだったけど、真司様もいるなら別。大丈夫です、真司様。私が貴方に付きまとう虫を全部落としてあげますから。緒川美海、薄汚いメス。お前は絶対に許さない、これからずっと追い込んでやる。死ぬまで、追い込んでやる』

 

─────


 投稿遅れてしまい、申し訳ございません。

 恥ずかしながら体調を崩しておりました。季節の変わり目には気を付けないとなりませんね……。

 

 皆様もこれから迫る夏、つきましては夏バテや夏風邪にお気をつけください。ではでは!

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