第30話 ある日の調査

 早速俺は調査に乗り出していた。


 違和感への追及、あるいは真実に一歩近づいたという根拠の証明だろう。


 緒川と楠木姉の会話は、中々に穏便ではなかったと思う。だけれど、要所要所に内容を掴めそうな台詞も混ざっていた。とりわけ気になったのは、


──活かすも殺すも、だ。


 大抵は、何かしらの情報譲渡の際に使われそうな、この言い回し。

 だが、なんの情報だ?


 それを楠木姉に照らし合わせてみると、少なくとも日向に関係しているのではないかと見当が立てられる。


 全くの別件という可能性もあるが、楠木姉は日向に好意を寄せている。


 解せないことがある。

 上記の通りだとすれば、なぜ緒川は楠木姉の背中を押すようなことをしているのか。敵に塩を送る行為だ。


 そこに理由があるのなら。


「……誰に話しかけるべきか」


 眼前に広がるのはグラウンド。

 サッカー部や野球部の掛け声が絶えずことなく、そこには飛び交っていた。時刻は部活動の真っ最中である。


 俺の通う高校は運営資金にゆとりがあるのか知らないが、部活動の設備が整っていることでも名が売れていた。──視線の先には陸上トラック。


 くすんだ印象を受ける赤色と、白線が湾曲を描きながら続いている。


 帰宅部に属している俺からすれば、授業以外では一切合切寄る理由のない場所だが、今回ばかりは違う。


「……あっちぃ」


 テキトーな言い訳でもってして、中座の断りを入れた実行委員の集会。

 夕方を過ぎたあたりの時間だというのに日が沈む気配はなく、俺の影がすっと長く伸びていた。梅雨の香りが微かに残る時節。額に汗が滲んだ。


 俺はグラウンドの脇を抜けて、陸上トラック前に立った。陸上部員らが左右に駆け抜けているのを目で追う。


 この先どうすべきかを思案していると、動かない俺の存在を疑問視したらしい女子生徒が近づいてきた。


「入部希望者? 見学かな?」


 陸上部っぽい格好の女子生徒に向けて「あー」と曖昧な返事をした。


「その、ちょっと聞きたいことがありまして。……今、大丈夫ですか?」


 あからさまに、個人名を急に出せばどういう関係だと勘ぐられてしまうかもしれない。俺は相手生徒の出方を探り脳内で言葉を練ることにした。


 幸いにも、相手は突然現れた俺の素性をこれっぽっちも知らない様子。

 日向や月菜ちゃんの幼馴染である俺は、遺憾ながら顔が割れていることも多い。ていのいい相談役として。


 俺の投げ掛けに相手は小さく頷いて見せた。汗がきらりと反射している。


「うん、大丈夫だよ。……あー、でも大会も近いから手早くしてくれると」

「そんなに長くはならないんで」


 もし彼女が陸上部に所属しているのであれば線と線がおぼろげながら一直線を結ぶことになる。謎はまだまだあるが、大きな手掛かりになるはず。


「……楠木先輩っていますか?」


 楠木なんて名字はそう多くない。

 むしろ珍しい部類だろう。部員は俺の発言に納得したような表情を浮かべた。──同時にやはり、とも思った。


「君、季沙の知り合いなの? あの子いま実行委員で部活にはあんまり出れてないよ。……生徒会も掛け持ちしてるから、かなーり忙しいみたい」


 聞いてもいないのに個人情報をぺらぺらと話す女子生徒。漏洩甚だしいが俺としては、これ幸いな相手だった。


「そうなんですか?! 楠木先輩の走る姿かっこいいので見たかったです」

「え、わかる! なになに、君もしかして季沙のファン? たまにいるんだよねー、あの子に見惚れちゃう人」


 陸上と一口に言っても、様々の種目が存在する。走る、投げる、飛ぶ、脳内には幾つもの種目が、浮かんでは消え、浮かんでは消えていた。ただ楠木姉は走る種目に属しているらしい。


 半ば確信はしていたが、賭けではあった。楠木姉が走る系統の種目をしているなど、俺は知らないのだから。

 

「で、話したいことってそれだけ?」


 ふと思い出したように、女子生徒はまばたきをした。確実に彼女は三年生であり、もしかしたら部の長か。


「その、自分陸上に興味があって。憧れてる楠木先輩から詳しい話をと思ったんですけど不在なら、また改めます。……忙しいのに失礼しました」


 聞きたいことは聞けた。

 これ以上長居しては、万が一楠木姉が通りがかったら、一発アウト。


「やっぱり! いつでも歓迎してるから。私、部長やってるしいつでも顧問に話し通してあげるからね~。なんだったら私が色々と案内しようか?」

「態々ありがとうございます。いえ先輩の部活動の邪魔はしたくないので」


 やや口は軽いイメージを受けるが、根は明るい人なのだろうと思った。

 そんな人物をおもいっきり騙してることに微かな罪悪感を覚えたが、俺は俺の目的がある。胸中で謝罪した。

 

 会話を切り上げ、踵を変えそうとした俺の背中に部長の声が響いた。

 半身で振り返ってみれば、


「──じゃあさ。ごめん、君の名前だけ教えてもらっていい? 季沙にお客さん来たよって伝えておくね!」


 相手からすれば当然の流れだった。

 すっと答えない俺に対して疑問符を頭に浮かべている部長。俺は「あー」と、小さく掠れ混じりに呻いた。


「佐藤です。一年の」

「佐藤君ね。おっけおっけ! ……ずっと気になってたんだけど、こんな暑いのにマスクとか大丈夫? 風邪?」

「……ちょっと喉の調子が悪くて」


 俺はわざとらしく咳き込んだ。

 夏の訪れを感じる季節にマスクをしている人間なんてそうはいない。しかし部長の人柄か、俺の大根芝居に不信感を抱いた様子は窺えなかった。


「今度は元気なときにおいでよー?」

「はい、もちろん。色々とありがとうございました。──では」


 今度こそ俺は踵を返した。

 遠目で部長が部活動に戻っていくのを見てから、俺は眼鏡を外した。度の入っていない、単なる伊達眼鏡だ。


 ついでマスクを剥ぐ勢いで強引に取る。蒸れた熱が解放されていく。


 伊達眼鏡は去年の文化祭で使われたであろう、備品をさっと拝借した。

 慣れない変装に緊張はしたが、それ以上にマスクの中に溜まった熱気がしんどかった。俺は一息もらす。


「……暑すぎるっての。でも、ま」


 俺は木陰で一休みしながら首肯。

 読み通り、楠木姉は陸上部に所属していた。偽名を騙った価値がある。


──考えの方向性を改めた。


 昨日の談合に出くわした俺は、緒川に注視した。日向に好意を寄せているハーレム集団の、一人という評価。


 そんな彼女が、楠木姉にアドバイスを送っていたとすればどうか。


 その対価に、楠木姉は俺をストーカーするというやり取りをしている。だがしかし、わからないこともある。


 仮に、緒川美海がストーカーだとすると、日向のハーレム集団の一員である必要があるとは思えない。それに尚更、異性代表と呼ぶべき月菜ちゃんに嫉妬の炎を燃やしそうなものである。


 俺の中にはみっつの太軸がある。


 月菜ちゃんがストーカー説。


 緒川美海が楠木姉と結託して俺をストーカーしている説。


 第三者説。




「…………わーお。……まじ?」


 それは、必然だったのか。

 

──緒川美海が、一ノ瀬日向に告白したのは、体育祭当日のことだった。

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