オリヴィアの決断
朝の眩しい光で目が覚める。あれは夢だったのか。不思議とスッキリとした気持ちだ。窓辺でナギサが本を読んでいるのが目に入った。
「おはよう、オリヴィア。朝食はテラスに運んでもらったよ」
オリヴィアが起きたことに気付いたナギサが声をかける。
「おはよう」
身支度をしてテラスへ出るとテーブルの上にルームサービスで頼んだ朝食が並んでいた。
「実は話があるんだけど」
「なんだい?」
「今朝、ソフィア様が夢に出て来たの」
席に着くや否やオリヴィアは話を切り出す。夢の中の出来事は忘れやすい。記憶がしっかりしているうちに話しておかなければ。オリヴィアはその日見た夢についてナギサに話し始めた。
出来るだけ詳細に、しかしリディアと三女神については除外して説明をした。リディアの悪口をナギサに言うのは躊躇われたからである。
「ソフィア様はあんたの後見人になってくれるって言ってたわ。あたしのママが保護者をしているよりもずっと良いでしょ?」
「ボクとしてはどちらでも良いんだけど」
「あたしが嫌なの! ママはナギサに執着してるから……。ナギサが芸術の島に引っ越すって知ったら絶対に『着いて行く』って言うに決まってるわ」
「それは困るな」
「そうでしょ?」
オリヴィアの母親は「ナギサの身元保証人」になった事を誇りに思っている。敬愛する女神の娘を預かる、そんな重要な役目を任されたことに舞い上がっているのだ。平凡な自分と平凡な娘に負い目を感じていた彼女にとって、ナギサは「特別でありたい」という自分の夢を叶えてくれた奇跡の存在だ。「身元保証人」という名目がある限り、側を離れようとはしないだろう。
「まぁ、ボクとしては後見人とやらが誰であろうとどうでもいいんだけど」
ナギサは籠からパンを一つ取るとそれをちぎって口に運ぶ。
「おばさまが後見人のままだとオリヴィアが嫌な思いをするんだろう? だったらソフィアの言う通りにするよ」
「えっ?」
思わぬ言葉にオリヴィアは目を丸くした。まさかナギサの口から自分を思いやる言葉が出てくるとは思わなかったからだ。
「さっきオリヴィアがそう言ってたから」
「……うん」
オリヴィアは小さく頷いた。
「オリヴィアはこれからどうするんだい?」
ナギサの問いにオリヴィアは黙り込んだ。手元のティーカップに目を落とすと不安そうな自分の顔が見える。この問いは、恐らくオリヴィアの一生を決める問いだ。オリヴィア自身もそれが良く分かっている。
『ありがとう。でももう少し考えていい?』
夢の中で、ソフィアの提案に即答できなかった。母親がいる家から逃れたい。だが先が分からない中で一歩を踏み出すのが怖い。オリヴィアはまだ子供だ。救いの手が差し伸べられている状況でも、その手を掴む勇気が出ない。
「実はあたし、迷ってて……」
オリヴィアはそんな胸中をぽつぽつとナギサに吐露し始めた。
「怖いの。あたしはまだお金を稼げる年齢じゃない。今だって自由に使えるお金が無い状態で、パパから送られてくるお金は全部ママが握ってる。ママに逆らえばあたしはご飯も食べられないし、家のベッドで眠ることだって出来ない。
だから、もしもナギサと一緒に芸術の島へ引っ越すなんて言ったら一体どうなっちゃうんだろうって。
でも、家を出たいって気持ちは本当。ママから離れたいし、きっと離れた方がお互いにとっても良いと思うし……。それに、ナギサと一緒に暮らしたら今よりもずっと毎日が楽しくなるんだろうなって」
「学校も辞めたくないんだっけ」
「それは……ただの言い訳よ」
オリヴィアは恥ずかしそうに呟いた。
「あたしはいつもママの顔色をうかがってた。どうせママが怒るからって、出来ないことの言い訳にしてた」
「じゃあ本当はボクと一緒に暮らしたいの?」
「……うん」
オリヴィアの返答を聞いたナギサはぱぁっと明るい笑顔を浮かべた。
「じゃあ何も問題はないね」
「へ?」
「実は昨日、ボクも同じような夢を見たんだ」
「そうなの?」
「うん。恐らく話の大部分はオリヴィアが聞いた物と一緒だと思う。後見人のことと、オリヴィアの引っ越しと転校のこと……」
「転校?」
「そう。ボクの新居から通える学校を探すって言ってたよ」
「なんでもお見通しって訳ね」
ソフィアにはこうなることが分かっていたようだ。既に転校先探しが始まっているらしい。
「とりあえず、ボクと一緒に暮らすってことで良いんだよね?」
「ええ」
(あんなに悩んでたのに、こんなにあっさり解決するなんて……)
あまりにも簡単に物事が決まってしまったので拍子抜けだ。
(いや、違う。あたしはただ、ナギサに背中を押して欲しかっただけなんだ。最初から答えは決まってた。ナギサの一言が欲しかったんだわ)
『大事なことだからゆっくり考えなさい。ナギサにも相談してみると良いわ。一人で考えるよりも二人の方が案外良い答えを見つけられるかも』
夢の中でソフィアが口にした何気ない一言、それがオリヴィアにとって一番必要な物だった。人々が困っていると夢に現れて『助言』をする。
(ソフィア様は本物の女神様なんだわ)
島の人々が祠を建て、今でもソフィアを慕っている理由が分かった気がした。
「家は決まったとして、これからどうしようか」
「手配が終わったら連絡をするって言ってたわ」
転校手続きには大人の手が必要だ。これから先はオリヴィアが出来ることは少ない。母親が素直に頷くとも思えないのでソフィアに一任する他あるまい。
「そっか。じゃあ連絡が来るまで待つしかないね」
「そうね」
吉報を待っている間にも考えなくてはならないことが沢山ある。まずは生活費について。
オリヴィアは「父親が母親へ渡している生活費の中から自分の分だけ分けて送って貰えるように出来れば良いな」と考えていたが、それが実現出来るかは不透明だ。今までの母親の行動を考えるとまず出し渋るに違いない。
その場合は父親に手紙を送って直接オリヴィアへ渡して貰うのがベストだが、連絡を取らなくなって久しいので上手く行くか分からない。ナギサなら何の文句も言わずにオリヴィアの分まで生活費を負担してくれるだろうが、出来るだけナギサに負担をかけたくないというのがオリヴィアの気持ちだった。
(ナギサも今は仕事が無い状態だから、出来るだけ二人で助け合っていかないと)
二つ目はナギサの仕事問題である。異国へ追いやられて母国での基盤を全て失ってしまったので新しく販路を開拓しなければならない。
こちらに「ファン」という支援者が居るとはいえ工房作りや店の運用など、製作と並行して一人でこなすのは難しいだろう。今まではナギサの父親が全て管理していたのでナギサ自身もどこまで把握しているのか分からない。
「そういえば、こっちではどうやって作品を売っていくの?」
さり気なく……いや、直球に聞いてみる。
「そうだな。今の所考えているのは路面販売と通信販売かな。あとは展示会を開催したりイベントに出たり……」
「なるほどね。路面販売はどこかお店を借りるってことよね? お店を出すなら店舗も探さないと」
「そうだね。今度知り合いに聞いてみるよ」
「まぁ、あんたの知り合いなら大抵何とかしてくれそうだしね」
ナギサが販売している物の値段やあの仕立て屋に口利きをしてもらった事を考えるとナギサの「知人」や「ファン」ほど心強い存在はない。きっと商売に関しても色々と助言をしてくれるはずだ。そういう支援者が居るのならば力や知恵を借りた方が良い。
「そういえば展示会ってどうやって開催するの?」
「ん?」
「開きたいって言って開けるものじゃないでしょ。場所を借りたりしないといけないし……」
「……」
店舗や通販は何とかなるとして、ナギサ一人ではどうにもならなそうなのが展示会だ。場所の確保や什器の手配、宣伝やスタッフの雇用など「製作」以外にやらなければならないことが沢山あるのはオリヴィアにだって分かる。
しかし問題はナギサがそれを理解しているかどうかだ。考えている様子のまま固まってしまったナギサをオリヴィアは呆れたような顔で見つめた。どうやら想像通りのようだ。
「そういえば考えたことが無かったな」
今までは気付いたら全て手配されていたので作品を作るだけで良かった。作品が完成したら何処からともなく業者がやってきて搬出し、当日会場へ行けば立派なショーケースの中に飾られていたので「そういうもの」だと思っていたのだ。
「展示会ってどうやって開くんだい」
「あたしに聞かないでよ」
「それもそうか」
(もしかして前途多難?)
自分の貯金額を把握していなかった時点で嫌な予感はしていた。そしてその嫌な予感は見事に的中したのだった。
「あんた……税金とかってどうしてるの?」
「税金?」
「そうよ。まさか、税金を知らないとか言わないわよね?」
「学校で習うでしょ」と言いそうになってハッとする。そういえばナギサは学校に通っていなかったんだった。
「税金って何?」
「ほら、普段お店で買い物をする時に物の値段に加えて何パーセントか上乗せされているでしょ?」
「ボク、買い物の時に値段を見ないんだよね。いつもカードで支払って終わりだし」
「……」
オリヴィアはナギサの金銭感覚に眩暈がした。
(ダメだ、これは教育し直さないと……。じゃなくて、まずは税金がどうなっているか保護者に確認しないと。多分ナギサのパパが全部やっているとは思うけど……そこら辺を全部教えて貰って、必要なものがあれば揃えて……)
とにかく「教育」が済むまでナギサに財布を握らせてはいけない。このままではいくら貯金があっても足りなくなってしまう。店を開いたとしてもナギサ一人に任せられる気がしない。聞けば聞くほどオリヴィアの脳内は混迷を極めた。
(でも、あたしにも限界があるわ。あたしの年齢じゃまだ出来ることも限られているし、商売が出来るほどの知識もない……)
まるで船頭が居ないまま滑り出そうとしている船に乗っているようだ。今の状態でもしも悪い大人が近寄ってきてお金を騙し取られでもしたらどうしよう。正しい知識が無いから善悪の判断も出来ないし……。
「……分かったわ」
しばらく考えた後にオリヴィアは口を開いた。
「あたし、中等学校を卒業して高等学校に入ったら商業を学ぶことにする」
足りないならば自分が補えば良い。知識が無いなら学べばいい。そう考えたのだ。
「どうして?」
突然の申し出に驚いたナギサが聞くとオリヴィアはため息を吐いた。
「あんた一人じゃ心配なの。作ることしか知らないのにどうやって一人で商売する気なの? まずはやり方をしっかり学ぶべきだわ。あんたみたいに高額の作品をバンバン売るような人間は特にね」
「そうは言われても、ボクは学校に行く気はないよ」
「分かってる。だからあたしが勉強してあんたに叩き込むの」
ナギサの頼りなさがオリヴィアの心に火を点けた。こんな状態で商売を初めては大変なことになるに決まっている。まずは自分が商売に関する知識と技術を身に着けた上でナギサを叩き直そうと決心したのだ。
事務作業や金銭管理を全てオリヴィアがやってしまう手もあったが、それではナギサの父親と変わらない。それではだめなのだ。
ナギサは女神の子だ。ソフィアのようにオリヴィアと寿命の長さが異なる可能性が高い。それ故にナギサ自身にも学んでもらう必要があるとオリヴィアは考えたのだ。
「……なるほど」
「まぁ、高等学校へ行くまでに時間があるからその間に取ってつけで勉強出来ないか模索してみるわ。今すぐ店を持ちたいんでしょ?」
「そうだね。物を作らないでいるとムズムズするし」
ナギサの言葉にオリヴィアは肩をすくめて「根っからのモノづくり馬鹿」なのだと苦笑いした。
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