変化した日常

 朝起きて朝食を食べる。パンを焼いてバターを塗った物を口に放り込み、出来るだけ早く身支度をして家を出る。学校へ行って授業を受け、外で時間を潰して夕飯の時間ぎりぎりに帰宅する。

 冷蔵庫にあるものを使って調理して夕飯を食べたら自室に籠り、母親と出来るだけ顔を合わせないように過ごす。オリヴィアの一日はこの繰り返しだ。


 ナギサが来てからこの生活は一変した。まず、朝起きると朝食が用意されている。ナギサの「余り」だそうだ。そして学校から帰ると既に夕食が出来ており、夕食を食べ終えると風呂が準備されている。勿論ナギサの為に湧かされたものだったが、今までと違い毎日綺麗に磨かれた風呂を見てオリヴィアは驚愕した。


 今までバラバラだった時間がナギサを中心に回り始める。まるで昔からナギサがそこに居たような感覚にすら陥った。母親にとっては「理想の生活」なのだろう。滅多に立つことが無かった台所からは鼻歌が聞こえてくる。


 ある日の食卓で、母親は「ナギサの魔法が見たい」と懇願した。自らは「人間」と変わらない技量しか持たないが「敬慕するリディアの子」ならばきっと素晴らしい魔法を使えるに違いないと信じているのだ。


「簡単な物で良いかな」


 ナギサはそう言って身に着けていたバングルを手に取り造形魔法を使う。バングルは淡い光を帯びると液体のように形を変え、一つの塊になった。その塊から一本の細い線が出て来たと思うと真円を描きコトン、と机の上に落ちる。傷一つない、鏡面仕上げされた指輪だ。

 よく見ると側面には細かい彫刻が施されている。


(この一瞬で彫刻まで……)


 ほんの一瞬、ひとまとめにした金属の塊から細い線を引き出したあの一瞬の間に手彫りでは数時間かかるような繊細な彫りを入れた。並の腕ではない。魔力の扱いやコントロール技術が卓越しているのが一目で分かる。


(……なにこれ)


 目の前で起こった出来事にオリヴィアは言葉を失っていた。これが簡単な物? こんな一瞬の出来事、ナギサにとっては造作もないことだとはっきりとわかる。


(これじゃあ本当にあたし、出来損ないみたいじゃない)


 ナギサの技術はまさに「神」の名を冠すのにふさわしいものだ。同じ一族を名乗るなんて恥ずかしい……そう思ってしまうほどに。


「なんて素晴らしいの!」


 母親は興奮しきってナギサが作った指輪を眺めている。


「おばさまの指に合うように作ったので使ってください」

「私に? ああ……嬉しい。こんなに素晴らしい魔法が使えるなんて、流石はリディア様の子ね。


 オリヴィアはびくっと肩を震わせる。母親は冷たい目でオリヴィアを一瞥すると言葉を続けた。


「同じ血が流れているのにどうしてなのかしら。ナギサがうちの子だったら良かったのに」


 「自分だって魔法の腕は平凡なくせに棚に上げて!」……と言いたいところをぐっとこらえる。いつものことだ。気にしたら負けだと自分に言い聞かせて食事を続けた。


「オリヴィアも造形魔法をやってみないかい? 造形魔法は素晴らしいよ」


 黙々とスープを口に運ぶオリヴィアにナギサが話しかける。


「……結構よ。あたし、あなたと違って才能が無いから」

「そうよ。あんたなんかが習っても無駄。ナギサ、この子には構わなくて良いから。本当に何をやらせても普通でつまらない子なの」


 オリヴィアは話に割って入ってきた母親にむっとした表情を見せた。


「ママだって一緒でしょ」


 一瞬部屋が静まり返る。母親が何か言う前にオリヴィアは矢継ぎ早に言葉を続けた。


「ママの魔法も平凡そのもの。あたしって本当にママの子って感じだわ。パパはあんなに魔法に長けていたのに、どうしてこうなったのかしら」


 止めよう、と思っているのに口から言葉がどんどん飛び出てくる。言い返されたことのなかった母親はオリヴィアに反論されて驚いたのか硬直していた。


「……母親に向かってなんてことを言うの!」


 震える声を背中に聞きながら食卓を後にする。


(言っちゃった! 言っちゃった!)


 オリヴィアは自室に戻り内側から鍵をかけ、ベッドに転がって枕に顔をうずめた。言うつもりは無かった。でも、ついに言ってしまった。

 

(パパが居た頃はこんなんじゃなかったのにな)


 机の上に置いてある家族写真を眺めながらぼんやりと思う。笑顔で写るオリヴィアと両親は幸せそうな家族そのものだ。家庭が壊れたのはオリヴィアが魔法を練習するようになった頃、周りの子供たちと変わらぬ「普通の魔法」しか使えないことに気づいた母親がオリヴィアをしきりに責めるようになってからだ。


 子を責める妻を見るのに耐えられなくなったのか、ある日を境に父親は「研究が忙しい」という理由で家に帰って来なくなった。それでも母親が父親に何も言わないのは毎月律儀に送られてくる仕送りがあるからだとオリヴィアは感付いていた。


 自らを見捨てて家庭から逃げた父親を恨めしく思う一方、逃げたくなる気持ちもよく分かる。家から抜け出して自由を得た父親のように、自分もいつかこの家を飛び出して母親の居ない場所へ行きたいと願っていたのだった。

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