黒き城

 翌日、オリヴィアとコハルは「黒き城シャトー・ノワール」を訪れた。ナギサの仕事に関する資料や情報を社長に貰うためだ。コハルと共に応接室で待っているとバインダーをいくつか抱えた女性が入って来た。


「お待たせしました」


 女性はバインダーを机の上にドサッと置くとオリヴィアに手を差し出す。


「はじめまして。『黒き城』のヤチヨです」

「私はオリヴィア。突然連絡してごめんなさい」

「いえ、いいんですよ。ナギサの事業に関する資料でしたよね?」


 オリヴィアは改めて今回社長を訪問した理由を説明した。オリヴィアの国にナギサの製作活動の拠点を移したいが今までどうやって販売や展示をしていたのかナギサ自身が関知していないこと。

 オリヴィアが事務を担当するつもりでいるがまだ義務教育を終えていないので難しいことと、商業を学び始めるまでの間に知識を身に着けたいこと。

 社長は黙ってその話を聞いていたが、話を聞き終わるとオリヴィアが求めている答えを一つずつ教えてくれた。


「このバインダーに顧客リストを纏めてあります。彼女の家にあった情報だけなので完璧ではないかもしれませんが」


 机の上に置いてあるバインダーのうちの一つを捲るとナギサから作品を購入した顧客の情報がリストに纏めてあった。それとは別に展示会の来場者や取引先のリストもバインダーに纏めてある。


「展示会をする時はこのリストに沿ってダイレクトメールを送ると良いでしょう。もちろん、新しい店を始める時のお知らせも。それで引継ぎは出来るはずです」

「異国で販売しても買いに来てくれるかしら」

転移港ポートですぐに移動出来ますし、今は蜃気楼通信ミラージュと転移便があるので心配無いでしょう」

「良かった」


 既についている顧客を手放すのは惜しい。


「展示会ですが、師匠……ナギサのお父様が全て手配していたようです。こちらの取引先のリストの中に使っていた業者を纏めてあります。そちらの国の業者はまた勝手が違うかもしれませんが、参考までに。不安でしたらリストに載っているコーディネーターに相談してみても良いかもしれませんね」

「コーディネーター?」


 個人で手配するのが難しい場合、申し込みから什器やスタッフの手配まで一挙に引き受けてくれる代行会社があるらしい。費用はかかるが面倒な申し込み作業一般を全て任せることが出来るので悪くは無いようだ。

 特にオリヴィアとナギサのような「右も左も分からない」状態ならば個人で申し込んで書類不備や手配ミスの恐怖に怯えるよりも、最初はプロに相談しながらやった方が良いのではないかと社長は語った。


「利用した形跡があるのでナギサさんの作品についても理解がある業者でしょうし、一度連絡をしてみても良いかもしれませんね」


 初めて利用する業者よりも何度か利用した業者の方がこちらの要望も分かっているので使いやすい。外国の展示会に対応しているかは分からないが相談してみると良いだろうとのことだ。


「なるほど」


 取引先リストを捲るとナギサが宝石や地金などの素材を購入していた店の名前も並んでいる。通信販売が発達しているならばこれらの店からも取り寄せ出来そうだ。


「あとは?」

「高等学校に行くまであと二年くらいあるんだけど、その間に商売について勉強したいの。ナギサはお金周りのことを一切理解していないみたいだからあたしも勉強しておかないと大変なことになると思って」

「お金周りのことは全てナギサのお父様がしていたようですからね。そういうのは税理士にお願いするのが良いですよ」

「ぜいりしって?」

「税金関係のプロフェッショナルです」


 取引先リストに記載されている税理士事務所の上に分かりやすいようにマーカーを引く。社長によると父親はこの税理士事務所に仕事を頼んでいたという。


「この事務所に問い合わせれば今までどうしていたか教えてくれるはずです」

「異国での仕事も引き受けてくれるかしら……」

「そこは何とも言えませんが、無理でも引き継ぎ先探しの相談には乗ってくれると思いますよ」

「分かったわ」


 オリヴィアは話を聞けば聞くほどこれをナギサ一人でこなすのは無理だと思った。そして今の自分にもこれを全て処理する能力はない。圧倒的に知識が不足していると実感した。


「あとはお勉強のことですね」

「ええ」


 今オリヴィアに必要なのはこれらを理解するための知識だ。何をして何をしなくて良いのか、それを判別するための知識が必要だ。アンナに相談をするとしても「何を相談すれば良いのか」分からないのでは意味が無い。


「それについては滞在期間中に時間を作って私が教えようと思っているのですが、いかがでしょうか」

「良いの?」

「もちろん。私にも責任の一端はありますから」


 「責任」と言う言葉にオリヴィアは反応した。この人達は「責任」を本当に感じているのだろうか。……


「そうね。もう少しナギサに色々教えてから送り出して欲しかったわ」


 オリヴィアがチクリと言うと社長は苦笑いをした。その笑い方がどうにも真剣に考えていないように見えてオリヴィアは眉を顰める。


「笑いごとじゃないわよ。自分の貯金額やお金の引き出し方法すら知らない状態で異国へ放り出すなんて無責任だと思わないの?」


 社長との温度差を感じて思わずそんな言葉が口から滑り出た。困ったように笑う社長を見ていると「本当に責任を感じているのか?」という疑問すら湧いてくる。


「緊急時だったんだ。許してやってくれ」


 それまで黙って聞いていたコハルが口を挟んだ。


「騒動のことはナギサから聞いたわ。確かにあの子がしたことは信じられないくらい最悪なことだったけど、だからってフォローもしないで知り合いが一人も居ない異国に手荷物一つで放りだすなんてどうかしてる」

「すぐに父親と引き離すにはそれしか方法が無かったんです。迷惑をかけて申し訳ないと思っています。ごめんなさい」

「……」


 「」。社長との言葉に行き違いを感じる。


「あたしは別に、ナギサを世話することになって困っているから怒っているわけじゃない。むしろ感謝してるくらいよ」


 迷惑ではない。そう、感謝だ。ナギサがオリヴィアの家へ送られたのは「年の近い娘が居るから」という適当な理由だったが、ナギサと出会わなければきっと今でも母親と暮らす退屈な日々を送っていた。

 常識知らずで驚くこともあるけれど、自分にはない知識や技術、価値観を与えてくれるナギサと出会ってオリヴィアの人生はようやく大きく輝きだしたのだ。


「あたしが最悪だと思ったのは、学校にすら行っていないような人間をただ邪魔者扱いして異国へ追い出したことよ」

「学校に行って無い……?」


 コハルが怪訝そうにつぶやく。


「そうよ。ナギサのパパが学校には行く必要が無いって言ったのよ。だからあいつは……ナギサは知っていて当たり前のことを何も知らなかった。貯金のこともそうだし、人の物を勝手に触っちゃいけないとか、そんな当たり前のことを、何も知らなかったのよ!」

「そんな……」


 社長はショックのあまり言葉を失っている。まさかそんな状況だったとは想像すらしていなかったようだ。


「生まれてからずっと造形魔法だけをやらされて、あいつの世界はナギサのパパとママ、それだけだった。同い年の友達もいなければ、喧嘩できるような相手もいない。だから他人とどう接すればいいか分からなかっただけなの。

 だって知らないんだもの。分かる訳ないじゃない。そうでしょ?」

「なるほどな」


 コハルは合点が行ったようだ。


「あいつは他人の価値観を理解出来ない人間だった。いくら言い含めても自分と他者が違うということを理解しようとしない奴だったが、そもそもを知らなかったんだな」


 閉ざされた工房で一人、宝飾品を作り続ける毎日。日常的にかかわる人間と言えばナギサの作品を「素晴らしい」と褒めたたえる父親と、生まれてすぐに姿を消した母親のみ。

 普通ならば学校で同年代の子供達と触れ合うことによって人間関係の築き方を学ぶが、ナギサにはその機会すら与えられなかった。

 コンテストに応募すれば必ず優勝し、「貴女の作品は素晴らしい」と絶賛される日々。ナギサの周囲には彼女を肯定する人間しか居なかった。


 だからこそ、ナギサはという現象を理解出来なかった。自分の価値観を肯定され続け、「造形魔法は素晴らしい」と父親に刷り込まれて育ったナギサにとって、それを否定する、自分と異なる価値観が存在するなんて夢にも思っていなかったのだ。


 彼女を取り巻く歪な環境が、展示会での事件を引き起こしたのは間違いない。

 今まで他人の作品に触れてこなかったナギサが、初めて触れた自分とは異なる価値観。造形魔法を否定されるという未知の体験にナギサは戸惑ったのだ。


「あたしの家に来た時、ナギサは言ってたわ。ナギサのパパとママが『造形魔法を広めれば皆楽になるし幸せになる』って言ってたって。だから造形魔法を使えばもっと楽になるって教えてあげただけなのにって」

「だが、手仕事を愛する職人からしたら余計なお世話だ」

「そうね。芸術の島アルテニアの職人も同じようなことを言っていたわ。もしも造形魔法を使えるようになっても、手仕事を続けるってね」

「それで、あいつはどうしたんだ?」

「そこまで人を惹きつける手仕事って何だろうって考えてたわ」

「……」


 コハルはオリヴィアの話を聞いて心底驚いた。頑なに手仕事を否定していたナギサが、手仕事を理解しようとしている。


(そんなことがあり得るのか?)


 件の事件を間近で見ていたコハルにとっては信じられない話だ。


「あたしたちは芸術の島で色々な工房を巡ったの。皆手仕事で作品を作っているお店ばかりで、ナギサと話をしながら島めぐりをして……一緒に製作体験だってしたんだから」

「製作体験?」

「ほら! この髪飾り、良いでしょ? ナギサが作ってくれたのよ」


 オリヴィアは青い花束ガラスの髪飾りを自慢げに見せる。


「ま、待ってくれ。そのガラスパーツもナギサが作ったのか?」

「そうよ。本人は『造形魔法で作ったらもっと綺麗に出来るのに』って不満そうだったけどね。でも、あたしは味があるから好きって言ったの」

「……」


 髪留めの中央に留めてある花束ガラスは手作りならではの歪みがある。つまり、ナギサはのだ。


(造形魔法で修正しなかったのか。あいつなら魔法で形を整えるくらい簡単にできそうだが)

 

 以前のナギサなら、手作りそのままにはしておかなかっただろう。微妙な歪みやビーズのずれを造形魔法で修正し、全て均等にパーツを配置し直すはずだ。

 不服ながらもそれを我慢し、オリヴィアの「好き」という価値観を受け入れた。それがコハルにとって何よりも驚くべきことだった。


「あなたたちは本当にナギサに興味が無いのね。送り出した後のことなんて何も考えてなかったんじゃない? だからたった一度も、そっちからナギサについて聞いてこなかったのよ」

「そんなことは……」


 社長が口を開きかけたのをオリヴィアが「本当に?」と遮る。


「厄介払い出来て良かった。そう思っていたんじゃない? 本当にナギサのことを思ってしたことなら、ナギサが困っていないか連絡位寄越すはずよ。遠い異国の地へ送り出したのに、心配一つしなかったの?」

「……」


 図星を突かれた社長とコハルは返す言葉が無かった。実際、問題を起こしたナギサを持て余していたのは事実だ。騒動があまりにも大きくなりすぎてしまったため国内には置いておけない……というのは口実で、実の所は自分達の手には負えないと匙を投げたに等しい。

 社長はナギサが出国した日、転移港のゲートをくぐったナギサの姿が見えなくなった瞬間強い解放感を覚えた。


(『もうナギサのことを考えなくて済む』と、思ってしまった)


 それは紛れもない事実だった。


「申し訳ありません」


 そう言って頭を下げる社長にオリヴィアは「本当に無責任ね」と吐き捨てた。


「そう言えば、ナギサのママとパパは今どうしてるの?」

「リディア様は行方不明です。どうやら随分前から家を出ていて師匠とナギサの二人暮らしだったようです。師匠は弟子の一人である知り合いの家で療養していますよ。随分心を病んでいる様子だったので、彫金から離れて自然の多い場所でのんびりしてもらうことにしたんです」

「そう」


 社長は穏やかな口ぶりだが、要は隔離されているということである。ナギサの両親が介入してきたら困ると心配していたが、あちらから連絡がくることは無さそうだ。


「悪いけど、ナギサを両親のところへ帰すつもりはないわ」


 オリヴィアがそう言うと社長は目を丸くした。


「……というと?」

「あんないい子、そんな両親には勿体ないもの。それに、あの子にはあたしの国の方がのんびり出来て合ってると思う。だからナギサはあたしが貰うわね」


 コハルはその言葉を聞いて思わずぷっと吹き出す。


「まるで結婚の挨拶みたいだな」

「結婚は大げさだけど、それと変わらないくらいの気持ちよ。あたしはまだ子供だけど……ナギサは大事な家族だと思ってるから」


 社長はそんなオリヴィアの言葉を聞いて頷いた。


「あなたみたいなしっかりとした子が側に居るなら安心ですね。あとで空いている日のスケジュールを教えて下さい。国に帰るまでみっちり勉強しましょう」


 社長の連絡先を聞き、後ほど勉強会の日取りを決めることになった。帰り際にナギサの家の鍵を貰い「黒き城」を後にする。残った用事は買い出しとあちらに送る荷物の整理だ。


「買い出しついでに蜃気楼通信と音声通信も調達するぞ」


 連絡先のメモを持ったオリヴィアにコハルが言う。通信手段を持っていないオリヴィアの為にナギサがコハルした頼み事だった。

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