非現実的な話
「オリヴィア、良かったらその『生活魔法』についてもっと詳しく教えてくれないか?」
「良いけど、上手く教えられるかは分からないわよ」
「大丈夫だ。考え方や概念的な部分だけでもいい。実は今行き詰っていることがあって、そのヒントになりそうなんだ」
「ふーん。良く分からないけど……じゃあやってみる?」
特別な道具は必要ない。大切なのは「想像力」と「言葉」なのだという。
「あたしたちは誰でも魔法が使えるけど、赤ちゃんの頃から使える訳じゃないの。何でか分かる?」
「言葉が喋れないからか?」
「半分正解。それもあるけど、考える力が育ってないからって学校では教わるわ」
赤子が魔法を使えないのはまだ思考力が育っておらず物を上手く想像することができない。風とは何かも知らないし、火が熱いことも知らない。だから例え言葉を話せたとしても魔法を使うことが出来ないのだそうだ。
「『魔力』を介さずに『言葉』と『思考』のみで魔法を行使できるということか」
「その『魔力』っていう感覚が良く分からないのよね」
「オレが使っている造形魔法を見て貰った方が分かりやすいかもな」
コハルは作業机の上に塩を盛った皿を置くとその上に手をかざした。すると塩の山が淡く光を帯びふわりと浮き上がり液体状に溶けると混ざり合って一つの塊になった。
「この国の人は『言葉』を使わずに魔法を使えるのよね。初めて見た時は驚いたわ」
「自分の魔力を付与して物質を想像通りに変形させるのが造形魔法の仕組みだ。技量は使う者の知識や想像力、変化させるものへの理解力に依存するから『簡単』だとは言えないな。これは他の魔法でも同じことが言える。
そこでどんな人でも変わりなく魔法を使えるように発明されたのが魔道具だ。予め魔法を付与した魔工宝石を核として組み込んであるから『魔力』を流せば誰でも同じように魔法が使えるのさ」
「魔道具における『魔力』は『電気』みたいなものってこと?」
「そうだ。人間が持っている目に見えない謎のエネルギーってところだな」
実の所、「魔力」がどういう存在なのかは解明されていないのだ。三女神がもたらした「魔法」とそれを改良した「造形魔法」。そこから派生した様々な魔法は提示された「技法」通りに使えば誰でも使うことが出来たので「そういうもの」なのだとしか思っていなかったからだ。
しかし魔力を消費せずに魔法を使えるならば話は別だ。三女神が元々居た国では「言葉」と「思考」によって魔法を使っていた。とすると、彼女たちがもたらした「魔法」は今使われている魔法とは異なるものだったのではなかろうか。
「魔力を介さない」という点において、コハルは心当たりがあった。
(確か社長が言ってたな。リディアの使っていた魔法は魔力の残滓を残さない『完璧な魔法』だったって)
ナギサが事件を起こした後、「黒き城」の社長にナギサの母、女神リディアの話を聞く機会があった。彼女はリディアの直弟子で、「東の国」での造形魔法の普及に関わった人物だったのだ。
通常、造形魔法を使うと使った物の魔力が残滓となって作品の内部に残る。造形魔法は己の魔力を物質に宿し、魔力をもってその形状を変化させるからだ。
しかし、社長曰くリディアは全く魔法の残滓を遺さずに造形魔法を使ったらしい。跡も残さない完璧な魔法。社長はそう表現していた。
だが「魔力」を介さないで発動する魔法なんて本当に存在するのだろうか。
「エネルギーを消費して魔法を使う。そう言われると納得ね」
「そうだ。だから長時間集中して魔法を使った時は結構疲れるんだぜ。それに魔力が存在する証拠として他人が魔法を使った痕跡は指紋みたいに残るんだ。それで贋作を見抜いたり……」
そこまで言ってハッとする。そうだ。鑑別魔法を使えば魔力の流れを見ることが出来るかもしれない。
魔工宝石原型師にとって欠かせない魔法の一つが鑑別魔法である。魔力の残滓を見て作者を判別したり、原料となる宝石の端材を仕分ける為に誰でも使える魔法だ。コハルは鑑別魔法を付与した眼鏡を身に着けるとオリヴィアにもう一度魔法を使って見せるように頼んだ。
「もう一度? 良いけど」
オリヴィアは怪訝な顔をして「風よ――」と言葉を紡ぐ。床の上に緩やかなつむじ風が現れ、魔法の行使が終わると「何か分かった?」とオリヴィアが尋ねた。コハルは眼鏡をかけたままオリヴィアの周囲を眺めている。
「やっぱり魔法には魔力を使っているみたいだ。でも、消費の仕方が違う」
「どういうこと?」
「魔力を付与するんじゃなくて周囲に散らしているんだ」
目の前で起こった不可思議な現象をどう判断すれば良いのかコハルは悩んでいた。
魔力の残滓を見る事が出来る鑑別魔法を付与した眼鏡を通してオリヴィアの魔法を見ると、「言葉」を口にした瞬間オリヴィアの体から発せられた魔力が空気の中に吸収されるように消えていくのが分かる。
比較するために試しにコハル自身が眼鏡をかけたまま造形魔法を使ってみると、手から放たれた魔力は素材に纏わりつき魔力そのものによって素材を変形させていた。
(オリヴィアの魔法は魔力を分散させているのか?)
魔力の分散。それにしては不自然だ。どちらかというと、何かに吸収されているような……。
(吸収? そういえば異国には妖精だか精霊だかそんな昔話があったな)
人知を超えた不可思議な現象を「妖精の悪戯」と呼ぶ国があると以前本で読んだことがある。どこかの国には「妖精除けの鐘」という魔除けの品もあるそうだ。
「自然の力を少しだけ借りる」とオリヴィアは言っていた。つまり「魔法」という現象を引き起こしているのはオリヴィアではなくオリヴィアの魔法を対価として得た「何か」なのだとしたら。
(……目に見えない何か、か。そんな御伽噺みたいなことがあり得るのか?)
仮にそれらが存在していたとすると、やはり自ら魔力を操って「魔法」を使うコハル達の魔法とは性質が異なるものなのだ。
(魔力を直接物体に行使する訳ではないから使い手の魔力の残滓が残らない。もしもそれを造形魔法に応用出来れば……)
天然石をより自然に近い状態で再生できるかもしれない。
「考え込んでいるみたいだけど、大丈夫?」
オリヴィアが心配そうにコハルの顔を覗き込む。
「あ、ああ」
「どうする? 実際にやってみる?」
「そうだな」
考えるよりもやってみる方が早い。
「まずは基本的なことを教えるわね。さっき私がやった掃除の魔法を使ってみましょう」
掃除の魔法は風の力を借りる魔法なので窓を開けておかなければならない。そうしないと「風」が入って来られないからだそうだ。出来れば天気が良い日が良い。どのようにゴミや埃を集めるのか頭でイメージしながら風に「お願い」するのだ。
「風よ」
コハルが「言葉」を口にする。
「床を掃き清めたまえ」
室内に静寂が広まる。魔法は発動しなかった。
「うーん」
オリヴィアとコハルは顔を見合わせた。一体何が悪かったのだろう。
「オリヴィアが魔法を使えるのは『神』の血を引いているからではなくて、一般人も普通に使っている魔法なんだよな?」
「そうよ。あたしの国の人達はみんな使えるわ」
「何か特別な儀式をしたりしたか?」
「いいえ。ただ学校の教科書で習っただけよ。大事なのは『イメージを正確に伝えること』だって先生が言っていたわ」
「イメージ」を「伝える」? 誰に? コハルは思案した。そしてもう一度同じ言葉を口にする。
「風よ、床を掃き清めたまえ」
窓から強い風が部屋の中に流れ込む。家具がガタガタと音を立てて揺れ、ティーカップが机から転がり落ちそうになったのでオリヴィアが慌てて持ち上げた。
「まるで台風ね」
風が止んだ。嵐が通り過ぎたかのような様子にオリヴィアは呆れたような表情を浮かべている。
「魔力の調整をしくじったか。でもなんとなく分かったぜ」
ぐちゃぐちゃになった作業机を片付けながらコハルはニヤリと笑った。
「つまりだ」
コハルはオリヴィアに何が起きたのかを説明し始めた。「自然から力を借りる」ためにはただ「言葉」と「思考」を用いるだけではだめなのだ。眼鏡で見たように魔力を放出する。それをコハルは「言葉に乗せる」のだと考えた。
「でもあたし、魔力を使おうだなんて考えてないわよ」
「無意識に使っているんだろうな。『お願い』という行為がそれに当たるんじゃないか」
願いや祈りは魔力を引き出すための行為で、引き出した魔力を言葉によって具現化する。コハルはそれがオリヴィアが使う「魔法」の正体なのではないかと推測した。事実、魔力の放出を意識して「言葉」を口にしたら魔法が発動したのだ。可能性は高い。
「ただ、魔力を使った感覚はあってもそれがどう魔法に作用しているのかさっぱり分からん。魔力が何かに吸収されているということは、それを吸収した何かを介して魔法が発動しているのは確かだな」
「何か?」
「例えば妖精とか精霊とか……」
「冗談でしょ? コハルってロマンチストなのね」
コハルの口から出た突拍子もない話にオリヴィアは呆れ顔だ。
「魔法自体が得体の知れない物だからな。それを言ったら三女神やら神の子孫なんてのも冗談みたいな話だろ」
「まぁ、そうね。確かに神が居るなら精霊や妖精もいるのかも……」
普通の人間ならば「オカルトじみている」と一蹴するところだが、自身が神の血を引いているオリヴィアは「あり得ない」と否定することが出来なかった。
オリヴィア自身も最初から神の存在を信じていた訳ではない。母親のホラ話だと思っていたくらいだ。だが、ソフィアやナギサをその目で見てからはその存在を信じざるを得なくなったのだ。
「魔法の仕組みがなんであれ、成果はあったな」
コハルは満足気だ。コハルでも使うことが出来たのが大きい。生まれた国や血筋は条件ではないと分かったからだ。
「お役に立てたかしら」
「ああ。お陰で一歩前進だ。ありがとう」
コハルは改めてオリヴィアに礼を述べると再び「魔法」について考え始めた。自分の世界に浸るコハルの姿を見てオリヴィアは「この国の人間は皆こうなのかしら」と首を傾げたのだった。
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