遠いところへ
リュックに荷物を詰めて身支度をして姿見の前に立つ。いつもと変わらない、ミルクティー色の髪を整えて大きく息を吸う。制服をクローゼットに押し込めて、持っている服の中から一番見栄えの良い物を選んで着た。
今日は少しだけ悪いことをする。それだけで心が躍って自然と顔がほころんだ。
「さ、行くわよ」
ナギサの手を引いて玄関に向かうと「ちょっと! 何してるの」という母親の声が背後から聞こえる。いつもなら学校に行く時間だ。制服ではなく私服を着てどこかへ出かけようとするオリヴィアを見て異変に気が付いたらしい。
「ママには関係ないでしょ!」
そう声を張り上げて家を出ると真っ青な空が広がっていた。恰好のお出かけ日和だ。
(学校をサボって出かけるなんて、あたし悪い子ね)
ふふ、と一人で笑うオリヴィアをナギサは不思議そうな顔で眺めていた。
「学校へ行かなくて良いのかい」
「良いのよ! 今日は特別。あんたのやりたいことを見つけに行くんだから」
思い立ったが吉日。
父からこっそりと送られてくるお小遣いを持ってきたのでお金の心配はない。今日は少し離れた町へ行く。少しだけ、一日だけ、この退屈な日常から抜け出して自由になるのだ。
電車に乗って町を出る。幼い頃からずっと暮らしてきた見慣れた町。オリヴィアにとって故郷でもあり、息の詰まる場所でもあった。車窓から遠くなっていく家々を見送って、次第に見知らぬ景色になるとほっとする。
「
車窓を眺めているとナギサが話しかけてきた。
「田舎に転移港があるわけないでしょ」
「こんな乗り物よりも転移港を作った方が効率的だと思うけど」
「こんな乗り物って……。まさか、あんたの国って電車が無いの?」
「電車、というか路面電車ならあるね」
ナギサの居た国では大都市間が転移港によって繋がれたことにより生活圏の縮小が起こり、転移港のある都市から郊外への移動は路面電車で賄えるほどになってしまった。
一方この国では魔道具はあまり浸透しておらず、大都市間での転移港の設置もあまり進んでいないらしい。各地への移動は電車や車など昔ながらの方法が多く生活圏の縮小も起ってはいないようだ。
「ふーん。路面電車ねぇ。じゃあ長距離移動は基本的に転移港なんだ」
「そうだね。転移港ならすぐ着くから時間の節約にもなるしね」
「味気ないわね。移動の時間も旅の醍醐味じゃない」
流れていく車窓の景色を眺めながらオリヴィアは呟いた。
こうして乗り心地の悪い座席に座って何時間も電車に揺られることを「時間の無駄」と言ってしまえばその通りかもしれない。転移港を使えばその数時間を別のことに使えるし、ただぼーっと座っているだけなんて退屈だという人も居るだろう。
しかし、見知らぬ景色を眺めているこの時間を「無駄だ」と切り捨ててしまうのはいささか浪漫が無いのではないかと思うのだ。
(そっか、ナギサの国には電車が無いのか……)
学校の同級生が持っていた雑誌で見たことがある。「東の国」は魔法や魔道具の技術が発展した魔法大国。それをずっと羨ましいと思っていた。クラスメイトの間で流行している
(でも、それってつまらないかも)
家の近くに転移港があったら良いなと何度思ったことか。それでも、ナギサの話を聞くと転移港が無くて良かったような気がした。
一時間と少し電車に揺られて中継駅に到着した。
「ここから乗り継ぎでまた別の電車に乗るわよ」
路線図を見ながらどう乗り継げば目的地に着くのか確認する。中継の駅とはいえオリヴィアの最寄り駅と比べると大きな駅でいくつもの路線が出ているので間違えたら大変だ。
「まだかかるのかい」
複雑怪奇な路線図を眺めながらナギサが呆れたような声で言う。
「まだよ。次の駅でもう1回乗り継ぎをしないと」
乗り換える駅のメモを取って電車に乗り込む。既に乗客がたくさん乗っていたため座ることが出来ず、混雑した車内で二人寄りそうような形になった。
「こんなに混んでいる乗り物は初めてだよ」
ガタンゴトンと揺れる車内で押し合い圧し合いしながらナギサは言う。
「そう? うちみたいな田舎はともかく都会の電車ってこんなものだと思うけど」
「信じられないなぁ」
電車内にすし詰め状態になっている。それ自体がナギサにとっては理解出来ないことだった。ナギサの国では都市のコンパクト化と蜃気楼通信や転移技術の発展により路面電車で賄えるほど人の移動が減っているのだ。
蜃気楼通信と転移便があれば出かけなくても買い物が出来るし、出社せずに家で仕事だって出来る。コンパクト化の際に行われた再開発の際に学生向けの集合住宅が各地に整備された為に路面電車を使って通学する学生も少ない。
そもそも都市のコンパクト化自体が魔法技術の発展に伴い「移動しなくても生活できる」よう設計されたものなので、所謂満員電車というものが消滅するのは当たり前のことだった。
「非効率的だね」
「なんでも効率的じゃつまらないわ」
ドドドと降車客に押し流されながらはぐれないようオリヴィアはナギサの手を引いた。
「この乗り換えで最後よ」
少しぐったりとしているナギサを席に座らせて言い聞かせるようにしてオリヴィアが言う。
「……そう言えば、ボクたちは何処へ向かっているんだっけ?」
「ああ、言って無かったわね」
オリヴィアは何やら鞄の中をゴソゴソと探ると一冊の雑誌を取り出した。
「『
何回も読んだ形跡のある古びた雑誌。その表紙には「芸術の島特集」という文字が躍っていた。
「芸術の島」は工芸に特化した観光地区である。大きな島と小さな島の群島で構成されており、彫金やガラス、絵画や陶器など多種多様な工芸品の店が並ぶ。
芸術を愛する女神「ソフィア」の加護を受けているとされ、島の各所に作られている小さな祠も人気の観光スポットの一つだ。
「小さい頃に本で読んでからずっと行ってみたかったんだ。あたし、地元からあまり出たことが無かったから」
終着駅に降り立ったオリヴィアは寂しそうな表情をしてそう言った。
(パパが居なくなってからママが何処かへ連れて行ってくれたことなんて一度も無かった。だから一生来れないと思っていたけど……。自分で行けば良いだけだったんだ)
いつの間にか母親の顔色ばかり伺っていた生活が当たり前になっていた。だから「どうせ無理だろう」と諦めていたが、一歩踏み出してしまえばなんて簡単なんだろう。
「さて、これからどうするんだい」
時刻はお昼を過ぎた頃。朝早く家を出たのでお腹はペコペコだ。
「行きたいレストランがあるんだけど」
「じゃあそこへ行こう。この町のことはボクには分からないから」
「決まりね! ついて来て」
雑誌に乗っていた憧れのレストラン。初めて来た町だが地図は頭に叩き込んである。何度も何度も擦り切れるほど読んだ雑誌の記事が目に焼き付いているのだ。
(あそこは美味しいジェラート屋さん! あそこは可愛い髪飾りのお店。あっ、あのお店は知らない。前のお店は潰れちゃったのかな)
人混みの中、駅から中央広場へ続くメインストリートを歩く。雑誌の中に広がっていた景色が目の前に広がっていることにオリヴィアは興奮しっぱなしだ。キョロキョロと辺りを見回しながら目を輝かせているオリヴィアを不思議な物をみるような目でナギサは眺めていた。
(随分と人が多いな)
流石観光地というだけありメインストリートは多くの観光客で賑わっている。
(これが『観光』か)
思えば、ナギサは生まれてこの方「観光」をしたことが無かった。リディアに「作られて」からずっと造形魔法での作品作りばかりしていたからだ。
工房での作業以外で外に出る用事と言えば展示会やブランドの販促イベントくらいで「私用」でどこかへ誰かと出かけようなどと考えたことが無かった。そんな発想すら無かったのだ。
町を歩く人々に目をやると皆楽しそうにウインドウショッピングをしたり食べ歩きをしたりしている。オリヴィアの様子を見るに彼女も「そういうこと」をしたいのだろうとナギサは考えた。今までしたことのない未知の体験。オリヴィアに誘われてナギサはその一歩を踏み出していた。
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