化粧は魔法

「……これで良いの?」


 翌日、ホテルの部屋でドレスに着替えたオリヴィアは姿見の前でそわそわしていた。オリヴィアのドレスはワインレッドを基調とした物で、レースをふんだんに使って裾がふんわりと広がったプリンセスラインの可愛らしいドレスだ。レースで出来た七分丈スリーブが露出を抑えながらも少しだけ大人っぽく見せてくれる。


「ああ。似合ってるよ」

「……」


 同じくドレスに着替えたナギサを前にオリヴィアは思案した。


(元から美人だったけど、ドレスアップすると益々凄い)


 スレンダーな体型に合わせた黒いマーメイドラインのシンプルなドレスだが、それが余計にナギサの美しさを際立たせている。黒一色なのでプラチナブロンドが良く映えてキラキラと輝くのも美しい。


「そろそろヘアメイクをしてくれる人が来ると思うよ」

「えっ? ヘアメイク?」


 「ヘアメイク」という自分には縁遠い言葉を聞いたオリヴィアは思わず聞き返した。

 タイミング良くコンコン、とドアをノックする音が聞こえる。


「宜しく」


 ナギサに招かれて二人の女性が部屋に入って来た。


「知り合いの伝手でヘアメイクを頼んだんだ」


 どうやら女性たちはナギサが手配したプロのメイクアップアーティストらしい。「まさかこんなことになるなんて」とオリヴィアは焦りを隠せなかった。


「あたし、ちゃんと化粧したことがないんだけど……」 


 オリヴィアは化粧に興味を持つ年頃の娘だ。だが、生まれて一度も化粧をしたことがなかった。

 化粧に興味が無かった訳ではない。学校のクラスメイトが化粧をしているのは見たことがあったし、着飾ってみたいと思ったこともある。しかし、もしも自分が化粧をしているのを母親に見られたらと思うと怖くて手が出せなかったのだ。


(あたしが化粧をしたって知ったら、ママは何て言うだろう)


『あんたなんかが化粧をするなんて……!』


 そんな言葉が脳内に響き渡る。


(きっとそう言うに違いないわ)


 「色気づくな」と声を張り上げる母親の姿が容易に想像出来た。思わずぎゅっと拳を握りしめる。


「お化粧は魔法です」


 緊張している様子のオリヴィアに気づいた女性が優しく声を掛ける。


「魔法?」

「はい。誰でも違う自分になれる魔法、それがお化粧なのです」

「違う自分……」

「どうか私たちにお任せください」


 不安そうなオリヴィアに女性が優しく声をかける。もう一人の女性が大きなカバンに入れて持参したメイク道具を大きな鏡台の前に広げた。


(見たことがない道具ばっかり……)


 小さい頃に母親が化粧をしている所を覗き見たことがあったが、それとは比べ物にならない位大量の化粧品にオリヴィアは面食らった。


(化粧って、こんなに道具が必要なの?)


 口紅一つとっても何本も用意されている。可愛らしいピンクから真っ赤な口紅、「そんな色も使うの?」と驚いてしまいそうな色もある。なんだか自分が知っている「化粧」とは違う未知の物のような気がして、鏡に映ったオリヴィアの顔はにわかに強張った。


「お嬢様はお若いのであまり濃い化粧でなくても大丈夫でしょう。お召し物がワインレッドなので暖色系に致しますね」

「は、はい!」


 肌を整え下地を塗り、粉をはたく。それだけでいつもとは違う自分になっているのが分かってドキドキしながら鏡を覗いた。

 頬に紅を差しサーモンピンクのアイシャドウをつける。血色を良く見せるよう少しオレンジがかった口紅を付けるとまるで愛読している乙女小説に出てくる主人公のようだ。


「髪の毛は如何致しましょう」

「あ、これを……」


 ナギサに貰った髪飾りを見せると女性は「分かりました」と言って微笑んだ。顎のラインまである癖のあるボブヘアを櫛で梳かしハーフアップにする。結った所に髪飾りを留めて一通りのヘアメイクが終わった。


「まぁ! 良くお似合いですよ」

「……」


 鏡に映っているのが自分だとは思えないオリヴィアは何度も何度も近くに寄ったりくるりと回ってみたりしてそれが自分であると確認をする。


(おめかしって、楽しいかも……)


 今までお洒落をしてどこかへ出かけようなどと思ったことが無かったが、こうしてみると悪くはないかもしれない。こんなお姫様みたいな服を着て良いんだと少し嬉しくなった。


「お嬢様、素敵です」


 背後からそんな声が聞こえて振り向くとちょうどナギサのヘアメイクが終わったところだった。


「わっ……」


 ナギサを見たオリヴィアは思わず声を漏らした。映画に出てくる大女優ですら霞んでしまいそうな端正な顔立ち。プロの手によるメイクはその魅力を最大限に引き出している。

 長いプラチナブロンドの髪をうなじの部分で一つに纏めてオリヴィアから貰った花束ガラスで作った髪飾りで留め、そこから三つ編みにして流している。それがなんとも色っぽい。


「まるでソフィア様のよう……」


 オリヴィアのヘアメイクを担当していた女性がほうと見惚れている。


「この装身具もお願いしていいかな」


 ナギサが用意した装飾品を身に着ける。オリヴィアの装飾品はガーネットのような赤いガラスをメインに据えた真鍮製のチョーカーと同じ色合いのイヤリングだ。指輪は以前作った物が良いとオリヴィアが言ったのでそのようにした。

 ナギサの装飾品はサファイアのような青いガラスを基調とした細めのネックレスである。短めの「プリンセス」と呼ばれる長さで作ってありダイヤに見立てた透明なガラスも随所に組み込まれていて華がある。多面カットして煌めくガラスを指輪に仕立て、ネックレスと同じ青いガラスでイヤリングを作った。


「お二人とも素敵です!」


 ヘアメイクを終えた女性たちは「いい仕事をした」と満足感に満ちた顔をしている。


「ありがとう」


 鏡に映る自分を見てナギサは満足そうに微笑んだ。

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