オリヴィアの悩み
「この島に家を借りようかな」
翌日、朝食を食べているとナギサが唐突にそう言った。
「どうしたの、急に」
オリヴィアが驚いて聞き返す。
「いや、この島でのんびり作品を作るのも良いかなと思ってね」
この国には造形魔法が存在しない。それ故にナギサの造形魔法も他の職人達の「技」と同じように扱われる。それがなんとなく心地良かった。しばらくこの地で作品作りをしてみたい。そう思うようになったのだ。
「そう。それがあんたの『やりたいこと』って訳ね」
オリヴィアが言うとナギサは頷いた。
「ここなら造形魔法をもっと追求出来る気がするんだ」
「追求?」
「上手く言えないけど……もっと違う『美』を見つけられる気がして」
そう言って窓の外を眺めるナギサの瞳はキラキラと輝いている。
(ああ、本当に見つけたんだ)
オリヴィアはその瞳に宿った煌めきを眩しそうに見つめた。
「じゃあ、新しい家を探さないとね!」
「そうだね。朝食を食べたら早速探しに行かないと」
「えっ!」
「善は急げと言うだろう」
「そ、そうよね」と言いながら胸の奥にチクリと痛みを感じる。せっかくナギサが「やりたいこと」を見つけたんだ。喜ばないと。でも何故だろう。素直に喜べない自分が居る。
朝食を終えて出かける準備を済ませると、ナギサは
紹介された不動産屋へ赴くと事前に話が通っていた為すぐに希望に合う物件を何件か紹介して貰えた。ナギサが提示した条件は「大通りからそんなに遠くないこと」「工房スペースと住居スペースが別れていること」「日当たりが良いこと」だ。
一見簡単な条件に思えるが島に住宅地が密集している上に狭い路地が多いので「日当たりが良い」空き家を探すのがなかなか難しい。それでも数件紹介して貰えたのは幸運なことだった。
不動産屋に提示された建物の間取りを見せてもらう。一件目は路地を少し入ったところにある小さなアパートで、ワンフロア丸ごと居住スペースになっている2LDKだ。上層階で周囲の建物が低いので日中は陽が当たるらしい。
二件目は離島にある一軒家だ。目抜き通りからは若干離れているが一棟貸しなのが魅力的で周囲は静かな住宅地なので作業には集中出来そうだが、本島へ移動するのに船で30分以上かかるのがネックである。
三件目は運河に面した土産物屋の二階だ。日当たりは抜群で立地も悪くない。下の店舗も貸店舗らしく夜は土産物屋の女将が自宅へ帰るので生活音などを気にせず暮らせるのが魅力の一つだ。部屋は二部屋と狭いのが気になる部分か。
「どれも良さそうだけど、気になる家はある?」
「うーん、そうだな」
ナギサは少し悩んで三件目の詳細が書かれた紙を手に取った。
「ここかな」
不動産屋に紙を渡すとすぐに内見に連れて行ってもらえることになった。本島の大きな運河のすぐ側にある土産物屋で、日中は大勢の観光客で賑わっており騒がしそうだが何処へ行くにも立地は抜群だ。
土産物屋へ着くと事情を話して二階へ上がる。二階へは土産物屋の中を通らずに行けるのが有難い。階段を上がって鍵を開け、扉を開くと玄関とトイレと浴室に繋がる細い廊下がある。廊下の突き当りにある扉はリビングに繋がっており、リビングから寝室へ入る事が出来る。
リビングは広めでダイニングキッチンが備え付けられており、運河に面した窓も大きめで日当たりが良い。窓を開けると海風が入って来て風通しも申し分ない。
「いい家ね」
オリヴィアが言うようにかなりの好条件だ。
「うん、悪くない」
観光客の話声が聞こえては来るものの騒音という程でもないし、意外とリビングも広く感じるので住み心地は良さそうだ。
「大通り沿いだから家賃は少し値が張るけど、暮らしやすそうな家ね」
「そうだね。二人で住んでも快適そうだ」
「ん?」
「?」
「二人?」
「そうだよ。オリヴィアも一緒に住むんだよね?」
ナギサは当たり前のことを言っているような顔をしてオリヴィアを見つめる。
「ちょ、ちょっと待って! あたし一緒に住むなんて一言も言って無いんだけど!」
「そうだっけ。家から出たいって言ってたし、てっきり一緒に住むのかと思っていたよ」
そう言われてハッとする。確かにあの家から飛び出すチャンスだ。ナギサが説得すればあの母親は黙って頷くだろう。
でも、それで良いのだろうか。オリヴィアの中には「家を出て母親と離れたい」という漠然とした願望があるだけで、「家を出た後にこれがしたい」という確たることが無かった。
ただ家を出て、でもそのあとどうする? 自分で稼ぐ術もなく、世間のイロハも分からない上にやりたいことも無い。それなら家を出ても仕方ないのではないかと心の片隅で思っていた。
「あたし、学校もあるしここには住めないわ。ごめん」
「……そうか。分かったよ」
ナギサは沈黙した後に残念そうな顔をした。
* * *
結局ナギサは不動産屋と仮契約をした。一週間ほど猶予を貰い問題が無ければ本契約をするらしい。
(ナギサは本気だ。もしもナギサがここに引っ越したらあたしはまたママと二人きりの生活に戻るのね……)
不動産屋と話すナギサの姿を見ながらそんなことをぼんやりと考える。いや、今が特別なのだ。元に戻るだけじゃないか。
そう自分を納得させようとしても、一度楽しい思いをしてしまったらそう簡単には受け入れられない物だ。それ程この数日間は楽しかった。自分の価値観が変えられてしまう程に。
「オリヴィア、今から不動産屋に戻って書類を書かないと行けないんだけど……」
「分かった。あたしは適当に散歩しているわ」
不動産屋へ行くナギサと別れて運河沿いを散歩する。運河沿いの道は相変わらず蚤の市やパフォーマーで賑わっていて、それを眺めながらオリヴィアはぼーっとしていた。
頭から氷水を被せられた時のように楽しかった気持ちがさーっと引いて物悲しい気分になっている。オリヴィアは夢を見ていたのに突然現実を突きつけられたような絶望感に苛まれていた。
(思えばあたしは何も変わって無い)
ナギサは「やりたいこと」を見つけてあんなにキラキラと輝いた瞳をしているのに。「やりたいことを見つけてあげる」などと大層なことを言ったが、「やりたいこと」が無いのは自分の方なのだ。
(あたしは空っぽね)
ナギサのように優れた容姿も魔法の才能も無い。何もかも普通で秀でた部分が無いし、何がしたい訳でもなくただ毎日を消費しているつまらない人生。母親には疎まれているし父親は連絡すら寄越さない。冷たい日陰で凍えているような毎日だった。
そんな中、突然やってきたナギサは眩しすぎるくらい輝いて見えた。羨ましいと素直に思ったのだ。容姿端麗で凄い魔法が使えて……それでも接していくうちに抜けている部分や常識知らずなところ、「かわいい」ところが見えて来て案外「人間らしい」子なんだと安堵した。
心のどこかで「ナギサは自分と同じだ」と思っていたのかもしれない。彼女の境遇を聞いて、勝手に自分に重ねていたのかも。
(……ナギサは凄いな)
羨ましい。その気持ちは最初に抱いた「羨ましさ」とはまた別の物だ。嫉妬ではなく純粋に「羨ましい」と思った。
「お嬢さん、お花は如何かな」
唐突にそんな声が聞こえて来た。驚いてその声がした方を向くと大きなワゴンに花をたくさん積んだ花売りがニコニコしながら手招きをしている。
「綺麗。こんな所にお花屋さん?」
ワゴンに並ぶ花を眺めながらオリヴィアが尋ねる。
「ああ。あそこにソフィア様の祠が見えるだろう。お供え用の花を売っているんだ。花の売上は次回の芸術祭の運営資金に充てられるからお嬢さんも宜しければ一本どうかな」
花売りが指差した方を見ると木で作られた小さな祠が見えた。祠の周りには大量の花が供えられており、観光客が花を片手に列を作っている。
「商売上手ね」
オリヴィアがそう言うと花売りは苦笑する。
「ねぇ、ソフィア様ってどんな人なの? あちこちに祠があって随分と島の人達に慕われているみたいだけど」
「うーん、そうだな。……『島のお母さん』って感じかな」
「お母さん?」
「そう。本当に困っている時に悩みを聞いて温かく包み込んでくれるような包容感のある人って感じかな。神様ってよりも『みんなのお母さん』って言った方がしっくりくるというか。島にある祠も助言を受けた島民が感謝を込めて自発的に作った物なんだよ」
島民はソフィアを崇拝しているのではない。敬慕しているのだ。祠も宗教的な意味合いよりも姿が見えないソフィアとの「繋がり」を求めて作られた部分が大きい。そこはナギサの国の三女神と大きく異なることだった。
「……あたし、悩んでいることがあって。よそ者でもソフィア様は手を差し伸べてくれるかしら」
「もちろん。ソフィア様は優しいからね。きっと君の悩みを聞いてくれるさ」
オリヴィアは花を一本購入すると祠へ詣でる人達の列へ並んだ。自分の中のモヤモヤした感情を誰かに吐露したい。もしかして肉親であるソフィアなら聞いてくれるのではないかと僅かな期待を抱いていたのだ。
(ソフィア様、あたしは一体どうすればいいの?)
祠の前でオリヴィアはそうソフィアへ語りかけたのだった。
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