ソフィアの助言
その夜、オリヴィアは不思議な夢を見た。大きなお屋敷の談話室のような場所でソファーに腰を掛けて座っている。目の前には温かい珈琲と美味しそうなケーキが並び、向かいの席にはプラチナブロンドの髪を結いあげた老婦人が座っていた。
「……もしかして、ソフィア様?」
劇に出て来た通りのシチュエーションに思わずそう問いかける。
「ええ。初めまして、オリヴィア」
老婦人は優しい笑みを浮かべてそう返事をした。
「……」
島民が困った時に夢に出て来て「助言」を与える。言い伝えの通りだ。これは夢だ。もしかしてあまりに悩み過ぎてこんな夢を見てしまったのだろうかとオリヴィアは考えた。
「大丈夫。まずは貴女の悩みを聞かせて」
そんな考えを見透かしたようにソフィアが言う。
「……あたし、分からなくなっちゃって」
「あら、何が分からなくなっちゃったのかしら」
「ナギサは『やりたいこと』を見つけたのに、あたしには何もないの。ただ漠然と『家から離れたい』と思っていたけど、いざ出てみると何をしたらいいか分からなくて」
「貴女が家から離れたかったのは何故?」
「ママが居るからよ」
「お母様と仲が良くないの?」
「良くないも何も、最悪よ! ママはあたしのことが嫌いなの。あたしが『普通』なのが嫌なんだって。きっとママもあたしが居なくなった方がいいと思ってるわ」
顔を合わせれば「あんたなんか」と愚痴を吐き、自分の血統に縋りついて周囲にも迷惑をかけ続ける母親から離れたい。その一心だった。
「なるほどね。確かにそれは良くないわね。お父様はどうされているの?」
「パパはあたしが小さい頃に家を出てそれきり。あたしに怒鳴ってばかりのママに愛想を尽かしたのよ。本音を言えばあたしも連れて行って欲しかった。でもパパは一人で出ていった。お金は送ってくれているみたいだけど……」
「そうだったの」
ソフィアは驚いたような表情を浮かべた。
「他の親戚は? 頼れる人は居ないの?」
「ママは自分の親戚が嫌いなの。親戚にはあたしよりも魔法の才能がある子が沢山いるから嫉妬しているみたい。だからあたしが連絡を取れる親戚はいないわ」
「……」
自分で話しているうちに「孤立無援だ」と改めて思った。
自分で稼げる年齢でもないし家を出た所で行き倒れになるだけだ。とは言えナギサに着いて行けば学校を辞めなければならなくなるし、「ナギサに迷惑がかかる」と母親が騒ぎ立てるに決まっている。
「ナギサと一緒に住むという選択肢は無いの?」
「……あたし、学校に行かないと」
オリヴィアが言うとソフィアは苦い顔をした。
「こちらの学校に転校すれば良いじゃない」
「それじゃダメなの。ママに怒られるもの!」
「ヴィオラのことは私が説得するわ。それとも、今の生活が変わるのが怖い?」
ソフィアの問いかけにオリヴィアはハッとした。「家から離れたい」というソフィアにナギサは手を差し伸べてくれた。その手を取れば願いが叶うのに何故躊躇してしまうのか。
「……そうね。あたし、怖いんだわ。まだ自分でお金を稼げる年齢じゃないし、パパが送ってくれるお金はママが全部管理しているからママ無しじゃ食べていけないの。だからずっとママの顔色ばかり伺ってきて、それが当たり前になっていたんだわ」
家を出たい。しかし出ても行き倒れるのが目に見えている。だから耐えるしかなかった。
毎日小言や暴言を吐かれてもぐっと堪えて学校と家を往復するだけの日々。いざそこから抜け出せそうになっても「本当に大丈夫なのだろうか」と心の隅で思ってしまい足が竦んでしまったのだ。
「オリヴィア、今まで何も知らなくてごめんなさい。辛かったわね」
ソフィアはオリヴィアの横に腰を掛けるとそっとオリヴィアの肩を抱く。
「ヴィオラには私から話をするから安心して。貴女のお父様にもね。こっちへ来るならナギサと一緒に住んでも良いし、私の血縁者を紹介しても良いわ。信用出来る人だから学校のことも相談すればきっとなんとかしてくれるはずよ」
「ありがとう。でももう少し考えていい?」
「勿論。大事なことだからゆっくり考えなさい。ナギサにも相談してみると良いわ。一人で考えるよりも二人の方が案外良い答えを見つけられるかも」
「……そうね。そうするわ」
少し冷めてしまった珈琲に口をつける。
(美味しい)
心のうちを明かして肩の荷が下りたような気分だ。ほっとしたようなオリヴィアの顔を見てソフィアも安心したようだった。
「私も、昔は良く『地味だ』って親族に言われたものよ」
「そうなの?」
「ええ。だから親族の集まりに行くのが憂鬱だったの。特にあの三姉妹には会いたくなかった」
「三姉妹」というのはソフィアの従妹にあたるヴィクトリア、イーリア、リディアを指す。従妹という関係上顔を合わせる機会が多かったのだが、三姉妹は決まってソフィアを「地味だ」と詰った。
三姉妹の魔法が派手で卓越した物だったのに対し、ソフィアの魔法は見た目では分からない「地味」な物だったからである。親族もそれを否定することなく笑っていたのでソフィアはいつもいたたまれない気持ちになったのだ。
「三姉妹って、もしかしてナギサのママ?」
「そうよ。ヴィクトリアは一見おっとりしているけれど策略家で何を考えているのか分からない人だった。イーリアは想像力豊かで変わり者。姉妹の中では一番マトモな研究者タイプだったわね。リディアは負けず嫌いで人を見下すような所があった嫌な子よ。
三人とも顔を合わせると私を『地味』だと言って詰るから大嫌いだったの」
「なんかイメージと違うわね。ママの話だと三女神は素晴らしい偉大な女神って感じだったのに」
ナギサが来ると決まった時、母親は毎日うんざりするほどリディアの素晴らしさを語っていた。人ならざる魔法技術を持った偉大な女神。「ソフィアなんかと比べ物にならない女神の中の女神」だと口から唾を飛ばしながら熱弁を奮っていたが……。
「確かに『女神』としては偉大かもしれないわ。それだけの力を彼女たちは持っていたし。でもそれに中身が伴うかは別問題よ」
「つまり中身は『残念』だったって訳ね」
「……性格に難があると言った方が良いかしら」
「なるほど。でもそれを聞いて納得したわ。何故リディア様はナギサを『作った』のか分かった気がする」
ナギサの話を聞いてからずっと疑問に思っていたことがある。何故リディアはナギサを『産む』のではなく『作った』のか。もしもリディアが本当に夫を愛し子を望んだならば、オリヴィアの祖先のように人間に身を落とせば良かったのだ。
しかしリディアはそうせずに嘘を吐いた。「神と人との間に子は成せないから」という方便で夫を丸め込み自らは神の座についたままナギサを子供として『作った』のだ。
「最初からナギサを道具にするつもりだったんだ」
リディアにはナギサと夫に対する愛情なんて無かった。ただ造形魔法を広める為の道具としか考えていなかったのだとしたら。そう考えたら合点がいく。
「リディアが人間と子を成したと聞いた時は驚いたわ。プライドの高いあの子が『人間』と一緒になるなんて信じられなかったから」
ソフィアはそう言ってため息を吐いた。
「でも、彼女たちが異国でしていることを見てすぐに納得したの。リディアにとっての結婚は目的のための手段でしかないんだって」
「どういうこと?」
「彼女たちは異国を自分たちの文化で塗り潰したいだけなの。物騒な言葉を使うと『侵略』かしら」
まだ魔法が広まっていない国に渡って魔法を広め、既存の文化を破壊する。そして三女神に対する信仰心を植え付け神殿を建てる。
表向きは衰退し続ける文明に「魔法」という新しい技術を与えて「手を差し伸べる」という形を取っているが、じわじわと既存の文化との入れ替えを図り自分たちの文化と信仰へとすり替えていく侵略行為だとソフィアは語った。
「じゃあ、ナギサはその侵略行為の道具として生み出されたってこと?」
「……そうね」
(でも、そう考えるとナギサの言動や考え方にも納得がいくわ。造形魔法ばかりさせて学校に行かせなかったのも造形魔法を広める為だけに作ったから必要ないって考え方なんだ)
他人の作品に勝手に造形魔法をかけて「手直し」をし、自分の「美」の基準に則した物へ書き換える。例の事件で起きたこととナギサから聞いた父親の話を聞くとますます信ぴょう性が増す。
「だからナギサがこの国に来ると聞いた時、少し心配だったの」
「……そういう経験をしていたなら仕方ないでしょ」
「ふふ、そうね。でもそんな心配要らなかったみたい」
「そうよ! あの子はいい子だもの。皆はあの子の良さに気づいてないだけで、本当は凄くいい子なの」
最初は分からなかったけれど一緒にいるとだんだんと分かって来る。モノづくりにひたむきで向上心があって、でも苦手な所や人間くさいところもある。そんな彼女を理解しようともせずただ追い出した人々に腹が立つ。
「ナギサを元の場所に戻す訳にはいかないわね」
ソフィアの話を聞いてオリヴィアはそう思った。まぁ、元の国に帰ったとしても既に彼女の居場所は無いだろう。あまりにも「事件」のイメージが強すぎて受け入れられない可能性が高いからだ。それならばこの国で一から出直す方が良いと感じていた。それに……
「ナギサのことをぞんざいに扱うような人間が居る場所に帰す訳には行かないわ」
「そうね」
オリヴィアの力強い言葉にソフィアは頷いた。
「……ソフィア様、お願いがあるの」
「何かしら」
「ママの代わりにナギサの後見人になってくれない?」
オリヴィアは恐る恐る尋ねる。この島に移住するならば後見人を遠隔地にいるオリヴィアの母親にしている必要もないし、「女神」であるソフィアであれば他の者も口出し出来ないだろうと思ったからだ。
ナギサには信頼できる親族が必要だとオリヴィアは感じていた。
「勿論良いわ。ナギサだけで良いの?」
「……あたしの後見人にもなってくれるの?」
「当たり前でしょう。私達は血が繋がった家族だもの。頼ってくれないと寂しいわ」
「……ありがとう」
「決心がついたようで良かった」
ソフィアはそういうと穏やかにほほ笑んだ。途端に視界が揺れる。「あれ?」と思っていると身体が浮くような感覚に襲われた。
「もう時間みたい。手配が済んだらまた連絡するわ」
遠のいていく意識の中でソフィアの声が響いた。
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