暖かな食事
「さて、見世物みたいになってしまって申し訳なかったね。良かったら夕飯でも食べて行かない?」
日が傾き始めた頃、ワークショップの片付けを手伝っていたナギサとオリヴィアに女性が声をかけた。
「是非!」
「良かった。片付けまで手伝って貰って悪いね」
三人でイーゼルや画材を台車の上に積み、それを押して女性のアトリエへ向かう。運河沿いの道から路地に入りしばらく歩くと細長い建物に辿り着いた。
「ここだよ。さぁ、上がって」
一階はガレージになっており、シャッターを開けるとイーゼルやタープなどが積まれている。全てワークショップの道具らしい。ガレージに台車を搬入した後に二階にある居室へ移動し促されるままにソファーへ腰を掛けた。
狭い家だが小ぎれいに整理されており、独り暮らしには困ら無さそうな家だ。建物一つ借り切っているようで三階をアトリエにしているらしい。
「そう言えば自己紹介がまだだったね。あたしはアンナ。所謂『売れない画家』ってやつさ」
アンナは珈琲を注いだティーカップを三つテーブルに置くとオリヴィアとナギサの対面にあるソファーに腰を掛けた。
「あたしはオリヴィア。こっちはナギサよ」
「二人で旅行かな?」
「……まぁ、そんなところね。ちょっと探し物をしているの」
「探し物?」
「自分探しの旅ってやつ」
オリヴィアが恥ずかしそうに言うとアンナはぽかんとした後に大声で笑い出した。
「そりゃあいい! 最高だね。で、その『探し物』は見つかったの?」
「うーん……」
今の所何とも言えない。ナギサが興味を示す物と言えばその中心には必ず「造形魔法」が存在する。ナギサの世界は未だ「造形魔法」を中心に回っているのだ。
それが本人の意思によるものなのか、それともリディアにそう作られた呪縛に縛られているだけなのか判断がつかない。
「ナギサはやりたいこと見つかった?」
「ん? そうだな……」
ナギサは珈琲を飲んでいる手を止めて考える。「やりたいこと」と言われるとどうしても物を作ることに帰着する。道を歩いている時。土産物を見ている時。無意識のうちに「ボクならこう作る」と考えてしまうのだ。
「ボクはやっぱり何かを作るのが一番好きかもしれない」
少しの間考えてナギサはそう口にした。
「……そうだと思った」
オリヴィアが言うとナギサは困ったような顔をした。
「誰かの作品を見ている時、ボクはどうしても『ボクならこうするのに』と思ってしまう。こうした方が美しいのにって。でも、それはいけないこと……なんだよね?」
「うーん……」
他人との価値観の違いを受け入れる。それは案外難しい物だったりする。ナギサのように秀でた技量を持っていれば尚更だ。優れた目を持っているからこそその人に「足りていない」部分が見えてしまうのだろう。
「あんたがマズかったのは、相手の了承なしに勝手に作品に手を加えたことよ。要するに『言い方が悪かった』ってこと」
「例えばだけど」と言うとオリヴィアはアンナの顔を見た。
「今日、アンナさんの助言を受けてどう思った?」
「そうだな、とても分かりやすかったよ。頭の中にスッと入って来たと言うか……。ボクはいつも作品を作る時に頭の中に立体を思い浮かべているんだけど、その方法に沿うような説明をしてくれたから理解しやすかった」
「そう。つまり相手の作品に対して言葉を添えるのは悪いことではないの」
オリヴィアが言うとアンナはうんと頷いた。
「相手の意見を無視して自分の意見を通すのはただの『押しつけ』になってしまうからね。大事なのは相手に寄りそう気持ちなんだ」
「相手に寄りそう?」
「ああ。『自分ならこうする』ではなく相手が何を求めていてどういう結末に帰着したいのかをよく考えるんだ。その上で自分の中にその壁を乗り越える為のより良い解決策があるならばそれを提案してあげればいいということさ」
「……」
「あたしの髪飾りを作る時にあたしに似合うか考えてくれたでしょ? それと同じよ」
ナギサはオリヴィアの髪飾りを作って時に「自分は何を考えていたのだろう」と思いを巡らす。どういう髪飾りがオリヴィアに一番似合うのか、オリヴィアが好きそうな造形はどれか、そして何よりどうすればオリヴィアが喜んでくれるだろうか。そうだ、そんなことを考えていた。
「……なるほど。相手のことを考える、か」
合点がいった。自分が作りたいものではなく相手が求めているものを考える……かと。まるで欠けていたパズルのピースがカチリと嵌った時のように目の前が明るく開けたような感覚だ。
「それさえ分かればきっともっと素晴らしい職人になれるよ」
アンナはそう満足そうに笑うと珈琲を啜る。
「……ありがとう」
そう言って微笑むナギサの顔をオリヴィアは嬉しそうに眺めていた。
「さて、夕食にしようか。手伝って貰っても良い?」
「はい!」
キッチンに移動して夕飯を作る。
「料理の経験は?」
「あたしはたまに家で作るわ」
「ボクは料理したことないな」
「分かった。じゃあナギサは一緒に食材を切るところから始めよう。オリヴィアはパスタを茹でてくれる?」
「分かったわ」
アンナとナギサが野菜の下ごしらえをしている間にオリヴィアは言われた通りパスタを茹でる。たっぷりのお湯を沸かし塩を入れ、リボン型のパスタを三人分用意した。
「そう、上手い上手い」
玉ねぎやナスなどの野菜を切り、ニンニクやホールトマト、ひき肉と一緒に炒めてソースを作る。赤ワインやケチャップ、香辛料などを入れながらナギサは「料理ってこんなに複雑なんだね」と舌を巻いた。
「パスタは茹で上がってるわよ」
ソースが出来たらパスタと絡めてバジルを上に乗せれば完成だ。
「あとは作り置きの総菜があるから保冷庫から出して運んでくれ」
机の上にサラダ、作り置きのタコのマリネ、三人で作ったパスタを並べる。
「簡単な物で悪いね。本当はスープもあれば良かったんだけど」
「十分よ! 急にお邪魔して申し訳ない位……」
「良いんだよ。いつも一人だからね。大勢で食べるのも楽しいじゃないか」
他愛ない会話をしながら一緒に食卓を囲む。それがとても幸せなことであるとオリヴィアも良く分かっている。
ナギサが来るまで自宅ではいつも一人で食事を取っていた。冷えた料理を温めなおし、時には自分で調理をして誰と会話をすることなく黙々と食事をする。それが当たり前になっていたのだ。
「そうね。良く分かるわ」
オリヴィアが言うとアンナは何かを察したのかにこりと笑って
「さ、食べよう。デザートもあるよ」
と言った。熱々のパスタを口に運ぶ。なんてことのない家庭料理だったが、それが何よりも美味しく感じた。
「おいしい」
オリヴィアは呟いた。決してお世辞で言っているのではない。「おいしい」と心から思ったのだ。
「ボクたちで作ったんだ。美味しいに決まっている」
ナギサが自信に満ちた顔で言う。
「確かにそうね」
「初心者とは思えない出来だよ。流石だね」
アンナはそう言ってくしゃっと笑った。
* * *
「食後はプリンがあるよ。オリヴィア、手伝ってくれ」
夕食を終えた後、作り置きのプリンがあるというのでオリヴィアはそれを取りに台所へ向かった。なにやら「飾りつけ」をするので手伝いがいるらしい。その間ナギサはリビングの本棚に並んでいる本を眺めていた。
「ん?」
ふと本棚の横にある飾り棚に目が留まる。飾り棚の上には写真立てがいくつか並んでいた。アンナの家族写真のようで男性と写っている物や小さな子供の写真などが並んでいる。ナギサはおもむろに写真立てを手に取った。
(この写真に写っているのって)
小さな子供が何人かで写っている旅行写真らしき物だ。その子供の中に見知った顔を見つけたのだ。
「……」
ナギサは台所でオリヴィアと作業をするアンナを一瞥すると何も言わずに写真立てを元の位置に戻した。
「出来たわよ!」
オリヴィアの声がしたので食卓へ戻る。机の上には生クリームや果物で飾りつけされたプリンが三つ並んでいる。かなりの力作だ。
「ありもので作ったけどなかなか立派だろう」
アンナの言う通り即席で作ったとは思えない出来だ。スプーンでプリンを掬う。固めの焼きプリンだ。口に入れると濃厚なカスタードが口の中で溶ける。甘すぎないので食べやすい。プリンの上や周囲には絞った生クリームが乗っており、飾り切りをした林檎が添えてある。
「このうさぎ、あたしが切ったのよ!」
オリヴィアが得意げに胸を張る。少し歪だが可愛らしいうさぎだ。プリンを食べ終えて珈琲を淹れて貰いリビングのソファーに座りながら三人で歓談をする。
旅行に来た理由や見て回った店の話、「花束ガラス」の体験をしたことや女神「ソフィア」の劇に感動したこと。アンナの展覧会の話やワークショップの話、おすすめの料理屋や穴場の観光スポットなど話題が尽きない。気付けばすっかり夜も更けてしまった。
「すっかり遅くなっちまったね。危ないからうちに泊まるかい?」
「送迎を頼むから大丈夫だよ」
ナギサはそう言うと音声通信魔法を使ってホテルまでの送迎を手配した。
「今日はとても楽しかったわ。ご飯もご馳走様!」
「こちらこそ。まだこの島に滞在するんでしょう? 帰る前にまた寄ってね」
アンナの言葉にオリヴィアの目が輝く。余程楽しかったようだ。ナギサに連絡が入る。送迎を頼んだ水上タクシーが近場の船着き場に着いたようだ。
「危ないから船着き場まで送るよ」
細い路地を進むと小さな運河に出る。運河の橋のたもとに明かりに照らされた水上タクシーの船着き場が見えた。
「じゃあ気を付けて帰るんだよ」
先に乗り込むオリヴィアの後ろ姿に向けてアンナが声をかける。
「では、これで。お世話になりました。おばさま」
ナギサはオリヴィアが船内に入ったのを確認すると小さな声でそう告げた。アンナは一瞬驚いたような顔をしたが、ナギサはニコリと笑うと船室へと姿を消した。
二人を見送った後家に帰ったアンナは少しだけ位置がずれた写真立てに目を留めると「はぁ」とため息を吐いた。
「しまった。隠すのを忘れていたか」
幼い頃にバカンスで訪れた地で撮った一枚の写真。従妹の三姉妹と一緒に写ったその写真をアンナは懐かしそうな顔で眺めていた。
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