魔法と手仕事
「うちはほとんど観光客が来ないので、普段は二階で作業をしているんですよ」
そう言って男性――店主のサンドロは寂しそうに笑う。珈琲を淹れて貰っている間、ナギサとオリヴィアは工房に並べてある男性の作品を見学していた。
「こんなに綺麗なのに?」
細かい彫刻がなされた装身具を眺めながらオリヴィアが言う。
「大通りから少し離れた裏通りですからね。周りに他の店も無いので普段から人通りが少ないんです。その雑誌に掲載されたのが不思議なくらいですよ」
サンドロは珈琲をテーブルに運ぶと二人に席に着くよう促した。
「どうしてうちの店に興味を?」
「……」
サンドロの問いにナギサはしばらく考え込む。自分でも何故この店の記事に目を引かれたのか分からないのだ。ただ、掲載されていた作品に目が留まった。そして目を離せなかった。それだけだ。
「見たことが無い彫り方だった」
ふと思いついたことを口にする。
「ボクの国には無い彫り方だったから……かな」
「なるほど。異国の方でしたか」
意外だったのか、サンドロは僅かに目を見開いた。
「それならば飾り彫りについて少し説明をしましょうか」
サンドロは作業机から作りかけの作品がついた彫刻台を持って来ていくつかの仕事道具と共にそれを見せながら「飾り彫り」について説明を始めた。
「この彫り方は『飾り彫り』と言って我が国で古くから使われて来た彫り方なのです。装身具を蝋や彫刻台で固定して手に持ったタガネで彫り進めていくのですが、貴女の国では違う彫り方なのですね」
そう言って彫刻台を回しながら手に持った持ち手付きのタガネで彫って見せる。
「実際に見たことはないけれど、確かタガネを叩いて彫り進めるんだ」
「ああ、確か東方の国々にはそんな風な彫り方があったような」
サンドロは作業机の横にある本棚の中から何冊か彫りの図案集を持ち出して広げた。本には様々な国の「彫り」の図案が描かれており、その中にナギサの国の「彫り」も掲載されていた。
「お花の模様が多いのね」
図案集を覗き込んだオリヴィアが言う。ナギサの国の彫りは「梅」や「桜」、「松」など植物をモチーフとした図案が多いのが特徴だ。その華やかさから職人が少なくなった今でも愛好家には根強い人気があり、伝統工芸ということもあってか彫金の専門学校ではほぼ必須科目と化している。
「植物モチーフは人気があるからね。特にこの『桜』っていう花は女性に人気だからボクもよくモチーフに使うんだ」
「サクラ? 初めて聞いたわ」
「そうか。えっと……」
ナギサは側に置いてあった紙を手に取ると造形魔法を使った。何の変哲もない紙は淡い光を帯びると糸のようにほどけ、桜の花の形へと変化していく。ナギサは完成した紙の花をオリヴィアの掌の上にそっと乗せた。
「こんな感じの花で実物は薄い桃色をしているんだ」
「へぇ……。確かに綺麗な花かも」
二人のやり取りを見ていたサンドロはナギサの魔法に目を丸くしている。何せ目の前で紙が液体のよう溶けたかと思えば美しい花に姿を変えたのだ。サンドロには一体何が起きたのか理解が出来なかった。
「お嬢さん、今のは一体……」
困惑するサンドロにナギサはにこりと笑みを返す。
「造形魔法って言うの。こんな魔法見たこと無いでしょ? この指輪もナギサが造形魔法で作ったのよ」
オリヴィアはそう言うとナギサに貰った指輪を外してサンドロに見せた。サンドロはオリヴィアから指輪を受け取ると「おお」と感嘆の声を上げる。
「これをお嬢さんが?」
「うん。簡単な物だけど」
「簡単……そうですか」
一見金で作られたシンプルな平打ちの一粒石リングだが、指輪の外周にぐるりと一周入れられた彫りは見事だ。アラベスク模様を彷彿とさせる緻密な幾何学模様が全くブレの無い美しい線で彫られている。模様の大きさも均等でバランスが良く見栄えが良い。
(これを『簡単』に作ったとは……)
サンドロは小さな指輪を手にした何か考え込んでいる。先ほどナギサを初めて見た時に感じたことに確信を得たようだった。
「造形魔法と言いましたか、凄い魔法ですね」
「ありがとう」と言ってオリヴィアに指輪を返すとサンドロはナギサに向かい合う。
「うん。この国には造形魔法は無いんだね」
「そうですね。この国で『魔法』と言うと生活魔法を指すものですから。少なくとも私は見たことがありません」
古くからの生活を愛し、生活を少しだけ豊かにするための最低限の「魔法」のみを取り入れる。
「まだ資源に余裕があるというだけですよ」
サンドロはそう言葉を継いだ。魔法を使うための『魔力』とは新しいエネルギー資源である。既存のエネルギー資源が枯渇しつつある現代において人間社会が衰退の一途を辿りつつあることを憐れんだ神々が「代替案」としてもたらしたものが「魔法」と「魔力の活用」なのだという。
ナギサの国は特にエネルギー資源の枯渇が顕著だったため、既存の燃料を使わずに「魔力」を使えば動く魔道具が爆発的に普及した。その勢いは衰えを知らず、おそらく今後ほとんどの機械が魔道具に置き換わるだろうと言われている。
一方サンドロやオリヴィアの国は比較的資源に余裕があるため旧来の生活を続けている土地が多い。転移港に頼らず電車を走らせ、島には船で移動をする。昔ながらの建物が建ち並び、今でもそこで人々が生活をしている。
この国の人にとって「魔法」とは古くから生活の一環だった。それこそ少し便利な「生活の知恵」のようなものだ。昔から存在する物だからこそ、余程資源に困るようなことが無い限りは今の生活が続くのではないかとサンドロは語った。
「そもそもナギサの国の人たちとは考え方が違うのよ。魔法は確かに便利だけど、便利だからと言って全部魔法で解決しちゃおうなんて思わないわ。だって私達にとって魔法は『目新しいもの』じゃなくて『昔から当たり前にあるもの』だから」
「生活が便利になるのだから魔道具を使った方が良いじゃないか」
「そういうことじゃなくて……なんて言ったら良いのかな」
オリヴィアがヤキモキしているとサンドロが助け舟を出す。
「こういう生活が好きなんですよ」
「……」
「好き」という言葉を聞いて昔知人に言われたことを思い出す。手仕事祭に参加をしている職人は「手で作るのが好きだからあえて造形魔法を使わない」と知人は言っていた。それと同じことなのだろうか。
「……『好き』だから、もしも造形魔法を使えるようになっても手で作り続けるのかい?」
「……そうですね。貴女に見せて頂いた魔法はとても素敵です。同じように装身具を作れるようになれば、きっとこの工房だって必要無くなるでしょう」
サンドロは雑多に物が散らかった工房を見渡しながら言う。
「しかし、私やこの町の人間は自分の手で作ることが好きなんです。薪をくべて火を起こし暖を取る。金属を叩いて形にして磨いたり削ったりして装身具を作る。気が遠くなるような時間をかけながらじっくりと一本一本線を引いて模様を彫って行く。
その工程一つ一つは面倒かもしれないけれど、納得の行く作品が出来た時の達成感は何物にも代えがたいものがあります。もしも造形魔法を使えるようになったとしても、やはりその魅力には抗えないでしょうね」
「……なるほど」
「例えばですが、この町の職人に貴女の指輪を見せるとします。彼らはきっと『造形魔法を使いたい』と思うよりも先に『造形魔法に負けたくない』『この指輪よりも凄い物を作ってやる』と思うでしょうね。職人魂とはそういうものです」
「ふむ」とナギサは考える。「便利だから取り入れよう」ではなく「負けたくない」という対抗意識が先に来るのかと。極みに達した造形魔法に手仕事の技で敵うとは到底思えない。何故彼らはそこを認めようとしないのだろうと不思議に思った。
「そこまでキミたちを惹きつける『手仕事』って一体なんなんだろう」
ナギサはぽつりと呟いた。分からない。何が一体そこまで彼らを惹きつけるのか。
「お嬢さん方、時間はありますか?」
何か思いついたような顔をしたサンドロは手紙が山のように積まれている中から少し大き目の封筒を探し出して机の上に置いた。中には二枚のチケットと冊子が入っている。
「運がいい事に明日から『
「芸術祭?」
「毎年この時期にソフィア様への感謝を込めたお祭りをしているんです。本島と離島で職人達が店を出したり出し物をしたりするので観光として回るだけでも楽しいですよ」
「面白そう!」
冊子に載っている案内図を眺めながらオリヴィアが目を輝かせる。
「あっ! でも、学校があるから帰らなきゃ……。日帰りのつもりで来ちゃったし、ママにも煩く言われそうだし」
「それならボクがおばさまに連絡しておくよ」
しょんぼりと俯くオリヴィアにナギサが言う。
「え?」
「オリヴィアは芸術祭に行きたいんだろう。だったら行けばいい」
「でも、学校が!」
「ボクのやりたいことを見つけてくれるだろう?」
「……あんた、結構強引ね」
ニコリと笑みを浮かべるナギサにオリヴィアはため息を吐く。もう何を言っても無駄だと悟ったのだ。
「おじさん、このチケット貰っても良いかな」
「もちろん。私が持っていても宝の持ち腐れになりそうなので。お嬢さん方の探し物が見つかりますように」
店を後にする二人の若者を見送った後、サンドロはソフィアの祠へ赴き祈りを捧げていた。伝承の中のソフィアと同じプラチナブロンドの髪を持ったナギサの顔が頭に浮かぶ。もう一人の少女も色は濃いが似たような髪色をしていた。
見目だけで判断するのは良くないとは思っていたが、ナギサの魔法を見てサンドロは「もしかして」と思った。二人がソフィアの加護深きこの島へやって来たのも何かの縁だろう。そしてそんな二人が自分の工房へやって来たのも……。
(ソフィア様、どうかあの二人の良き旅路を歩めるようお見守り下さい)
願わくば彼女たちが「探している物」が見つかりますように。そう祈らずにはいられないのだった。
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