第25話 不思議な感情

魔法で枝を揺らし花びらを降らせれば、トーカはあどけない表情を浮かべて瞳を輝かせている。

『フィー、ありがとう。すごく……綺麗だね』

初めて見る心からの笑顔に胸がきゅっと締め付けられるような、それでいて満たされるような感情に心が揺れる。



母上がトーカを連れ出した後、父上からお叱りを受けた。


「御子様を一生鳥籠に閉じ込めておくつもりか」

「人聞きの悪いことをおっしゃらないでください。トーカ様がこちらに来た当初のことは陛下もご存知でしょう?ようやく少し打ち解けてくださるようになった矢先にあのような目に遭わせてしまったのです。慎重を期して当然かと」


他人の視線に怯え、不安そうに身体を縮こませている姿を思い出すだけで胸が痛む。あの夜、精彩を欠いた瞳を見た時には心臓が凍りつきそうなほどの衝撃を受けた。トーカが受けた苦痛を思えば間に合ったとは到底言えないが、最悪の事態を免れたことだけは幸いだっただろう。


自分がいなくなれば、と告げた言葉にトーカがどんな行動に出ようとしていたのか想像に難くない。危うく失いかけたことを考えれば、これぐらい過保護のうちに入らないとフィルは思っている。


「不幸な境遇であっても御子様は幼子ではない。手を引くのは容易だが、共に歩むのであれば一人で立てるよう見守ることも必要だ。それに――」


不自然に言葉を切った父上に訝しげな視線を向けると、何やら言葉を探しているようだ。珍しいこともあるものだと思いながら無言で待つ。


「……囲い込みは良くないだろう。御子様も年頃の女性だそうだが、意識しておられないようだし、あまり性急に事を運ぶと上手くいかない可能性が高くなるぞ」

「…………父上、そういうのを下衆の勘繰りと呼ぶのでは?」


無意識に凍り付くような声が出て、恐らく自分の眼差しも同様だろうなと他人事のように思う。以前ジョナスからも同じようなことを言われたが、今回のほうが酷い。


「っ、だがあれは世話役の範疇を超えているだろう?!エリックにさえあれほど甲斐甲斐しく世話を焼いていなかったし、どれだけ甘い眼差しを向けていたか自覚がないのか?!いや、お前の瞳と酷似したネックレスを用意している時点でそれはないよな……」

「あれぐらい普通ですよ。ネックレスもトーカ様にお似合いになるものをご準備しただけで他意はありません」


尊敬している父だが、何とも的外れな指摘に思わずため息を吐くと、あちらも同じように深い溜息を漏らしていた。呆れているのはこちらのほうなのだが。


(そんなことよりトーカが心配だな)


母上が御子であるトーカに何かするとは考えていないが、ただでさえ緊張していたのだ。ネイワース侯爵夫人と同年代の母上に怯えていないだろうか。


「……そろそろ迎えに行ってまいります」

「あれで無自覚とは……自覚した時はどうなるんだろうな」


背後で父上がぽつりと何か呟いていたが、意識を別のことに向けていたフィルの耳には届かなかった。


温室に到着すると思いの外和やかな雰囲気が流れていたが、トーカの目が腫れている。母上に対して尖った口調で問いかけてしまったものの、あっさりとあしらわれてしまった。


未だに涙の跡が残る頬に触れればいつもより体温が高いようだ。やはり側を離れるべきではなかったと悔やむフィルだったが、トーカは穏やかな表情を崩さない。

もっと学びたいというトーカの言葉に、母上からの話が何だったのか見当がついた。


「私も知らないといけなかったの。フィーが守ってくれるのは嬉しいけど、ちゃんと知って判断できるようになりたい」


澄んだ瞳の中には強い意志が宿っていて、トーカが真剣にそう考えているのが分かる。


(まだ先のことだと思っていたのに……)


そんなトーカの変化をどこか眩しく感じながら、フィルは自分の思い込みを反省した。

いつまでも怯えてばかりの子供ではない。父上の方が正しかったというのは忸怩たるものがあるが、トーカが望むのであれば自分はそれを叶える手伝いをするまでだ。


折角だからと連れて行った桜の木に、トーカは驚きながらも喜んでくれた。これまでにない不思議な心の動きに気を取られかけたが、すぐに穏やかなひと時に意識が傾く。


(トーカには幸せになって欲しい)


柔らかな表情で桜を眺めるトーカを見ながら、フィルはそんなことを考えていた。

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