第21話 望んだもの
メリルの一件以降、フィルは以前のように透花を訪れてくれるようになった。そのことを嬉しく思ってはいるものの、今まで以上に過保護さを発揮するフィルにどうしてよいか分からないこともある。
「はい、トーカ」
差し出されたフォークとフィルを交互に見るが、手を引っ込める気配はない。
「フィー、本当にもう大丈夫だよ。日常生活で動かす分には問題ないってお医者さんも言っていたもの」
「それでも負担を掛けないに越したことはないだろう?僕のせいであんな怪我を負わせてしまったのだから、これぐらい気にしないで。ほら、しっかり食べて早く治そうね」
痛みはほとんどないのだが、右肩を動かさないようにと食事の際にはフィルから食べさせてもらっている。恥ずかしいのは勿論だが、手間を掛けさせてしまっていることが申し訳ない。
切り分ける必要がないものは左手で食べられると主張しても、手つきが危なっかしいようで却下された。
(一緒に食事をするほうが楽しいのに……)
街で一緒に昼食を食べた時ことを思い出せば、少し寂しい気がする。差し出されたトマトをもぐもぐと咀嚼していると、フィルが優しい眼差しを向けてくる。
慈愛に満ちた瞳は、まるで家族のようだと思う。元の世界で望んだものが当然のように差し出されていることがとても不思議で心地よくて、少し怖くさえある。
(多分、こんな風にすぐ不安になってしまうところが良くないんだよね。食べることに集中して……あ、そうだ!)
透花は自分の側に用意されていたフォークに果物を突き刺してからフィルのほうに差し出した。同じことをされればフィルだって気恥ずかしく思うに違いない。
驚いたように動きを止めたフィルに透花は自分の狙いが当たったと嬉しくなったが、次の瞬間には何事もなかったように口に入れて、にっこりと微笑んだ。
「トーカに食べさせてもらったからか、いつもより美味しく感じるよ。ありがとう」
あわよくば自分で食事が出来るかもと期待していた透花は、少しがっかりしながら与えられるままに口を動かしたのだった。
食事が終わる頃、ふわりと甘い香りがして振り向けば、ミレーがにこにこと笑みを浮かべながら何かを運んできた。
「トーカ様、まだお腹に余裕がおありでしたら召し上がってください」
熱々のアップルパイは、香りはもちろん、艶のあるきつね色の生地や少し形の崩れた柔らかな林檎が間違いない美味しさを主張している。
透花の表情から察したミレーは手早く切り分けてくれた。火傷しない温度に冷めるのを待っていると、街でアップルパイを食べた時のことを思い出した。
「トーカ、どうかした?」
何でもないと首を振ろうとしたが、今聞かなければ一生聞けないかもしれないと思いなおす。いざ口にしようとすると鼓動が早くなり、また間違えてしまったらと思うと怖くてたまらない。
だがフィルが急かすことなく待っていてくれたおかげで、透花は勇気を振り絞って訊ねた。
「あのね、街でご飯を食べたあと、何だかフィルの様子が変だった気がしたの。気のせいだったら良いんだけど、もしかして私が何か変な事言ったのかなってずっと気になってて……」
もしかしたらもう覚えていないぐらい些末なことかもしれない。そんな風に思っていたのに、フィルの反応は顕著だった。
口元を押さえて視線を彷徨わせるフィルは動揺しているように見える。蒸し返してはいけないことだったのかもしれないと血の気が引いた。
「ご、ごめんなさい。あの、やっぱりもういいの。変なことを言って本当に――」
「違うんだ!トーカは悪くなくて僕が、その……っ、僕だけトーカに……贈り物をもらえなかったから、がっかりしてしまったんだ……」
思わぬ言葉に透花はまじまじとフィルを見つめてしまった。いつもは何事にも動じない穏やかな顔も今は真っ赤に染まっていて、何だかとても――。
「……かわいい」
心の中で呟いたはずの言葉は何故かこぼれ落ちて、フィルは両手で顔を押さえたまま深く俯いてしまったのだった。
「フィー、ごめんね。えっと……アップルパイ、食べる?」
少し崩れてしまったアップルパイをフォークで差し出すと、フィルは顔を上げ無言で口に入れた。すぐに自分の前にあるパイを一口大にして透花に差し出してくるあたりフィルらしいが、未だに頬に赤みは残っている。
「あのね、本当はフィーにも用意するつもりだったの」
「……気を遣わせてごめん。自分の浅ましさが恥ずかしいだけで、トーカは何も気にしなくていいから」
こんなに落胆させてしまうのならちゃんと作っておけばよかったと透花は後悔した。今更準備しても気を遣ったと思われてしまうだけだろう。
どう誤解を解いたら良いのだろうと途方に暮れる透花を助けてくれたのはミレーだった。
「差し出がましいことを申し上げますが、トーカ様はフィル殿下に手作りのお菓子をお渡しするおつもりでしたよ」
「……僕に、手作りの菓子を……?」
信じられないものを見るかのような表情を浮かべるフィルに、透花は頷く。
「料理人さんたちが作るお菓子のほうが美味しいし、やっぱり渡しても迷惑かと思って止めてしまったんだけど――」
「そんなことないよ!どうしよう、嬉し過ぎてどうしていいか分からない……」
つい先ほどまで消沈していたのが嘘のように、瞳がきらきらと輝いている。
「今度、フィーにお菓子作っていい?」
「っ、ありがとう!でも怪我が治るまでは駄目だからね。いや、やっぱり厨房には危険物が多いから安全のためには許可するのは……」
くるくると変わるフィルの表情が可笑しくて、こらえきれずに笑ってしまった。
そんな透花を見て、ミレーやフィルが温かい微笑みを向けている。
そんな和やかなひと時は、ジョナスの持ってきた一枚の手紙によって急変することを透花はまだ知らなかった。
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