第51話 裏切り
ジョナスが放火の知らせを聞いたのは、執務室を出る直前だった。フィルが戻るまで泊まり込みで城内に留まる予定だったが、どうやら正解だったらしい。
(それにしても放火とは……)
時に甚大な被害を及ぼす放火は重罪であり、御子専用の棟は王族の居住エリアと同義なのだ。嫌がらせの枠に収まらない愚行にジョナスは不穏な予感を覚えながら、現場へと急ぐ。
「御子様の安否は?」
「ご無事です。侍女とともに部屋におられます」
御子の部屋からは離れているものの、これだけのことを仕出かしたのだから目的が御子である可能性は非常に高い。
騎士の返答に小さく息を吐いて、現場の確認に切り替える。見たところ壁の一部と周辺が焦げているだけで、建物を全焼させるには火力が不十分だろう。
重罪の割には杜撰ともいえるやり方にジョナスは眉を顰める。
「今のトーカ様の警護体制はどうなっている?」
「はい、扉側に二名、窓側に三名の騎士を配置しております」
「は……?」
聞き間違えたのだろうかと思わず間抜けな声を漏らしてしまうほどだったが、最悪な状況を想像してぞくりと背筋が震えた。
「室内に誰も付き添っていないのか!?早急にトーカ様の下へ向かえ!」
「お、お言葉ですが御子様が怯えるとのことでしたので」
稚拙な言い訳を無視してジョナスは御子の部屋へと向かう。
『トーカを護ってくれ、ジョナス。お前にしか頼めない』
側を離れることを躊躇うフィルだったが、一刻も早くナナカを遠ざけるためにと同行を決めた。神官としても御子であるトーカの安全は優先事項である。だが主の想いと自分に寄せられた信頼に必ず報いなければとジョナスは心に誓ったのだ。
(それなのに、だ。もしもトーカ様に何かあれば俺はフィル様に一生顔向けが出来ない)
ただの思い過ごしであればいいと願いながら見えた扉の前には、騎士の他に見慣れない侍女の姿がある。険悪な雰囲気ではないが、何やら言い争っているようだ。
御子の部屋の前で何をと思わないでもなかったが、警護自体は行われていることに僅かに安堵を覚えたのは一瞬のこと。
「……お休みの邪魔をすれば私が叱られてしまいますから」
「そこはご理解いただくしかない。今夜のような状況でお一人にするのは危険すぎる。御子様には俺からも説明するからお側に付いていてくれ」
騎士の言葉は正当なもので、必死に拒もうとする侍女に不信感がよぎる。そもそもそのような理由があるのに、御子が侍女を叱るはずもないのだ。
「その侍女を逃がすな。トーカ様、失礼します!」
ノックと同時に扉を開け、息を呑む侍女に構わずに室内を横切って寝室に向かう。だが御子の姿はどこにも見当たらない。嫌な予感が当たったことに不快な感情が腹の底からせり上がってくる。
「……トーカ様をどうした?」
「存じ上げません」
この侍女が何らかの形で関わっていることは明白だ。早急に情報を引き出すためには、手段など構っていられない。騎士に拷問を命じようとしたとき、騎士に支えられたミレーが室内に入ってきた。
怪我をしたのか手の平からは血が滴り落ちているが、ミレーは気にした様子もない。感情の抜け落ちた顔は声を掛けるのが躊躇われるほど静かで、ジョナスは本能的な恐怖を感じた。
「意識を失う薬を盛られたようです。ご本人は意識を保つために割れたカップを握り締めて御子様の下へ向かっているところを発見しました。その……どうしても御子様の部屋に行くとおっしゃられて……」
ミレーを支えていた騎士が小声でジョナスに耳打ちしたことで状況を理解したものの、ミレーの行動をどう捉えてよいか分からない。そんなジョナスの困惑をよそに、足元をふらつかせながらも侍女の正面に立ったミレーは、無言で容赦ない平手打ちを浴びせたのだ。
「御子様を敬愛していた貴女だからこそ、トーカ様に仕えることを許可したというのにこれはどういうことなの、リラ?」
「……っ、あの方は御子様ではありません!私は本物の御子様のためを思って――」
呆気に取られたのは一瞬でリラと呼ばれた侍女は勢いよく話し出したが、ミレーは意に介すことなく再び手を振り上げた。室内に鋭い音が響くが騎士たちも無言でその様子を見つめるしかない。
ミレーの怒りがひしひしと伝わってきて、その行動を止められないことを誰もが察していた。
「御子様でなければ何をしてもいいと?貴女の仕事をいつも褒めてくれたトーカ様の優しさと信頼を裏切る理由になりますか?あの方自身が御子になりたいと望んだわけでもないのに、縁もゆかりもないこの国のために尽力しようとした少女に貴女は何をしたの?」
淡々とした口調だが容赦のない言葉に、リラの表情から頑なさが抜け落ち罪悪感が浮かぶ。もう一押しだと確信したジョナスは、懐から王家の印璽が押された封筒を取り出した。フィルから速達で届けられた手紙に書かれた事実を伝える。
「トーカ様こそが本物の御子様ですよ。ナナカ殿が御子の力を発動させたのは一度きりですし、昨日セルリシアの泉に祈りを捧げたところ、水かさが増えるどころか半減したそうです」
ナナカを御子だと断定したのは、年嵩の神官や貴族たちだ。可能性は低いがゼロではないとジョナスも考えていたものの、もう少し様子を見て判断するつもりだった。最終的には押し切られてしまったことを今更悔やんでも遅すぎる。
(トーカ様、どうかご無事で……)
真っ青な顔色で震えるリラから情報を引き出したジョナスは、御子の捜索へと頭を切り替えて指示を出し始めた。
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