第52話 森の中
ガタンと固く大きな音と浮遊感、そして身体に伝わる振動で透花は意識を取り戻した。
(ここ……どこ?)
真っ暗な視界は何も見えずぼんやりしているうちに、意識を失う直前の記憶がよみがえり、息を呑んだ。ガタガタと耳元から伝わる音からして馬車に載せられているのだろう。
(私……誘拐された?)
きっとあの隠し通路から外に運ばれてしまったのだ。揺れともに身体が転がるが両端に何か物があるらしく、肩をぶつかり鈍い痛みが広がる。
後ろ手に縛られているようで身体を動かせそうになく、口元には布のようなものが覆われていて声を上げることも出来ない。
誘拐されたという事実をはっきりと認識したところで、恐怖が込み上げてくる。
(……きっと大丈夫。わざわざ運ばれているぐらいだから、すぐに殺されてしまうことはないはずだもの)
そう自分に言い聞かせるが、もしも透花がいないことに誰も気づいていなかったら、気づいたとしても透花を探すための人手を割いてくれるのだろうか、などと嫌な想像ばかり浮かんでしまう。
(このままフィーに会えなくなったら……)
最悪な想像にぞっとして透花は別のことを考えようとするが、一度考えてしまった不安は容易に離れてはくれない。涙が滲み息苦しさを堪えていると馬車が止まった。
(目的地に着いたということ……?)
透花は息を殺して耳を澄ませるが、僅かに扉の開閉音が聞こえるだけだ。怖くて堪らないが自分の身を守れるのは自分しかいない。深呼吸をして気持ちを落ち着かせているとすぐ側で声が聞こえて、その近さと内容にぎくりとする。
「やっぱり処分しておいたほうがいいんじゃないか?」
「それだと意味がないと言われただろう」
不穏な会話に身を竦めていると、不意に衝撃を感じて息が詰まった。
「おい、起きろ!」
乱暴な呼びかけと共に閉じた瞼から明るさが伝わってくる。不安を感じつつも言われたとおりに目を開けると、侮蔑を浮かべた二人の男が透花を見下ろしている。
そのうちの一人には見覚えがあり、先日ミレーを怒鳴りつけ危害を加えようとしていた騎士だった。
(誘拐には菜々花も関わっているの……?)
刺さるような視線は嫌悪というよりは憎悪に近い。そんな激しい感情を向けられることに恐怖と同時に困惑を覚えた。ほとんど面識がない相手に何故これほどまでに憎まれているのだろうか。
そんなことをぼんやり考えていたのがいけなかったのかもしれない。
見覚えのある騎士が僅かに動いたかと思うと、鳩尾に衝撃が走り視界がぐるりと揺れた。息苦しさに思わず身体を折ると拘束された部分が食い込んで、別の痛みにくぐもった呻き声が漏れた。
「御子様の痛みを少しは思い知ったか?長年虐げられた痛みはこれぐらいでは到底足りないがな」
「おい、万が一残った時に面倒だからそれぐらいにしとけ」
(っ、残った時………?)
菜々花が自分と立場を入れ替えた形で騎士に過去のことを伝えたのだと察した。だがこれ以上の暴力を止めようとした男の言葉が妙に引っかかる。
「これがいなくなれば、フィル殿下もすぐに目を覚まされるだろう」
「これまで分不相応な暮らしをさせてやったんだ。最後ぐらいは役に立ってもらわないと」
ひゅっと空気を切り裂く音がして、両腕の拘束が緩んだ。戸惑いながらも絡まった縄を解き口に押し込まれた布を取れば、男たちは馬車に戻りその場を後にした。
「……え?」
置き去りにされたとはいえ、呆気なく解放されたことに透花は当惑するしかない。ゆっくりと立ち上がれば鳩尾が鈍い痛みを訴えたが、動けないほどではなさそうだ。
周囲を見渡すと昼間なのに鬱蒼と茂った木々に覆われているせいか、妙に薄暗い。
(それに……何だか空気が重い?)
息苦しさは男に蹴られたせいかと思ったが、そういう訳ではないような気がしてきた。嫌な感じという漠然とした気配だが、良くない場所だと思った途端、不自然なほどの静けさに思い当る。
普通の森であれば、鳥のさえずりや虫の声など様々な音が聞こえてくるはずだ。では普通じゃない森とは何か。
背中を伝う汗が透花の脳裏に浮かんだ最悪の事態を後押ししているようだ。
(もしかして、ここは神域の森なの?)
豊かな恵みをもたらす森だが、中心部は神域となっており立ち入り禁止となっている。神域であることはもちろん、何がきっかけで瘴気や魔物が現れるか分からないからだ。
そして神域が、こんな風に重く嫌な気配が満ちた場所であるとは思えない。
かさりと落ち葉を踏む音に振り返れば、キツネのような動物がこちらを見ている。ただし透花の知っているキツネの倍ほどの大きさがあり、目つきも恐ろしいほどに鋭い。
観察できたのはそこまでで、不意に飛び掛かってきたキツネのような動物に反射的に手を前に出せば、キャンと悲鳴が上がった。
(浄化の力が有効なら、この子はキツネじゃなくて魔物だ!)
咄嗟に力が使えたことに小さく息を吐いたが、魔物はまだ遠くない距離にいて警戒したように姿勢を低くしながらも透花の様子を窺っている。背中を見せれば襲い掛かってきそうで透花もそのまま魔物から目を離せない。
長い間見つめ合っていたような気がしたが、実際には数分程度のものだっただろう。魔物がひらりと草陰に身を隠してそのまま遠ざかっていく。ほっとしたのも束の間、遠吠えのような声が聞こえてきた。
先ほど魔物が消えた辺りから響いたことに気づくと、透花は慌ててその場から駆け出した。魔物の生態は分からないが、仲間を呼んでいるのだとしたらまずい。
痛む身体を庇いながら、透花は安全な場所を求めて走り続けた。
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