第6話 思いがけない言葉
その日の午後、会わせたい人物がいるとフィルから言われて透花は応接室のようなところに案内された。尤も同じ建物内なので移動に時間はほとんどかからないい。
透花がいる建物は御子専用らしく、透花が現れてからはフィルの手配により使用人を厳選し、顔を合わせることがないよう調整してくれたそうだ。
最初に会った時に透花が混乱して顔を晒すことを拒否したせいで、手間を掛けさせてしまった。そこまでしてくれなくて良いと伝えたが、フィルからにこやかに問題ありませんと言い切られたため、今もその状態が続いている。
「少し変わった男ですので、不快に思われたら遠慮なく仰ってください」
その声に嫌悪感はなく、どちらかと言えば相手を庇っているような気がした。
(フィル様のお友達だったりするのかな……)
そう思うと少し緊張が和らいだ。そもそもフィルだって一国の王子様なのだから、これ以上緊張する相手もいないだろう。
そんな風に考えて、気を緩めすぎていたのかもしれない。
「フィル殿下の補佐役兼神官のジョナスと申します」
淡々とした口調で深く頭を下げた青年、ジョナスはフィルと同じぐらいの年齢に見える。
「透花と申します」
同じようにお辞儀をしかけて、フィルからの視線を感じたため会釈程度に留めた。誰に対しても頭を下げる必要はないと言われても、反射的に返してしまうのは透花が小心者であり、一般人だからだろう。
「ジョナス、トーカ様は繊細でいらっしゃるのだから重々言動には注意してくれ」
「承知しておりますよ。御子様、失礼いたします」
ジョナスがそう言い終わった途端に、薄緑色の瞳が視界に映る。俯いている透花の顔をジョナスが身を屈めて見上げているのだ。
「――っ!」
「動かないでください。目も逸らさないで」
鋭い声に下がりかけた足が止まるが、至近距離でこの瞳を見られているのかと思うと恐ろしくて頭が真っ白になる。
「――この、無礼者が!!!」
透花が悲鳴を上げるよりも先にフィルの怒鳴り声が響き、ジョナスの姿が視界から消えた。
一瞬遅れて何かが壁にぶつかる鈍い音と呻き声に、透花が恐る恐る顔を上げると入口近くにジョナスが倒れていて思わず目を丸くする。
この一瞬で移動できる距離ではない。
「トーカ様、申し訳ございません!お側にありながらお護り出来ず、お詫びのしようもございません。あの男は早急に処分いたします」
「い、いえ。ちょっと……驚いただけですから」
怖かったとはいえ、顔を見られただけなのだ。それなのに処分という言葉やフィルの気配に不穏なものを感じる。
「トーカ様を怯えさせるなど言語道断です。ましてや至高の宝玉のような美しい瞳を汚してしまった罪は許されるものではありません」
(え…………)
思いがけない言葉に透花は耳を疑った。自分の瞳が綺麗だと言われた気がしたが、聞き間違いだろうか。
「痛ってえ……、酷い言われようですね。瞳を見なければ御子であることの確認は出来ないというのに……」
頭をさすりながら立ち上がるジョナスに目を向けると、フィルは透花を背後に隠すように前に立った。
「そんな大事なことは先に言え。騙し討ちでトーカ様を傷付けるとは、いくらお前であっても容赦出来ない」
「事前に話したら拝謁を断られるのが分かっていましたからね。一応お伝えしておくと、その御方が御子であることは間違いありませんが、魔力が欠乏状態にあるようです」
ジョナスの言葉に素早く振り向いたフィルは、どこか焦っているように見える。
「っ、トーカ様!ご体調が優れないのではありませんか?!ご無理をなさってはいけません。失礼いたします」
「ひゃっ?!フィル様、私、無理なんかしていません。どこも悪くないですから!」
断りを入れるなり抱え上げられると、フィルの強張った表情が視界に映る。反射的に手で顔を覆いかけて、先程のフィルの言葉を思い出す。
(フィル様は、この目が気持ち悪いと思っていないの……?)
「御手に力が入らないのですね。必ずお救いいたしますから、どうかご安静になさってください」
中途半端に持ち上げた透花の腕を見たフィルから悲壮な顔つきで告げられた。変な誤解を与えてしまったと慌てて透花が否定する前に、呆れたような声が掛かった。
「慢性的な欠乏のようですが命に別状はありませんし、普通に生活していれば元の状態に戻りますよ。許可なく御子を抱き上げる殿下のほうが俺より無礼ではないですか?」
その言葉に雰囲気が少し和らいだものの、それでもまだ安心できないのかフィルの表情は硬い。
「……フィル様、誤解させてしまってすみません。少し……いえ、何でもないです」
嬉しかったと言いかけて、透花はその言葉を呑み込んだ。フィルはただ失礼がないようにそういう言い方をしただけかもしれなかったし、御子への崇敬からそう思い込んでいるだけかもしれない。
「御心を悩ませていることがあれば何なりと仰ってください。とりあえずあれを庇う必要はありませんし、御子への不敬行為は私自身も含め厳重に罰を与えますので」
自分も対象に入れるあたり、フィルはとても真面目な性格なのだと思う。敬われる立場でもなく、罰を与えるようなことなど何もされていないが、このままではいけない。事の発端の一部は透花の言動にあるので、言わずにいようと思ったことを口にすることにした。
「あの……フィル様は、私の瞳が気持ち悪くないのですか?」
ひゅっと息を呑む音が聞こえて、透花は身を固くした。やはり先ほどの言葉はただの社交辞令だったのだろうか。
「……誰が、そのような讒言を口にしたのですか?」
感情を押し殺したような声とともに突風に髪が煽られて視界が鮮明になる。目を細めた冷ややかな顔に滲んでいるのは怒りだろうか。
目が合うと悲しそうに眉を下げて、持ち上げていた透花の身体をソファーへと下ろす。
「清涼な泉のように透き通ったアクアマリンの瞳は神聖で貴きお色ですし、太陽のように温もりのある琥珀色の瞳はトーカ様のお優しい人柄が滲みでているようです。トーカ様の瞳は称賛しかあり得ない至高の美しさです。どうかこれだけはお疑いになりませんよう。ご不安でしたら私が毎日、何度でもお伝えさせていただきますので」
真摯な声と透花を見つめるフィルの瞳が陶酔したように蕩けている。それを理解した途端、顔から火が出そうなほどに熱い。
「……俺、もう戻っていいですか?」
耐え切れずに顔を覆った透花の耳に投げやりなジョナスの声が届いたが、すぐに顔を上げられそうにないほど、透花は羞恥に悶えていた。
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