第30話 胸の苦しさ
「わわわ、私なんかが王族専用の休憩室を使用するなんて……畏れ多いですっ!」
「ごめんなさい。フィル様が心配そうなのでメグさんと一緒に待っていると伝えてしまいました」
そわそわと落ち着かないメグに詫びれば、メグはソファーの上で垂直に弾むような勢いで顔を上げて否定した。
「いえっ、トーカ様のせいではなくて、むしろ社交をしなくて済むので助かってはいますが、場違い感が半端なくて居たたまれないだけですので、気にしないでくださいっ!」
社交の邪魔をしてしまっただろうかと内心気になっていたので、透花はほっと息を吐いた。貴賓室としても使用されるため、室内に揃えられた品はどれも高級品でメグの気持ちは分からないでもない。
「会場に戻りますか?実は……フィル様のダンスを見てみたくて……」
大人しくしておいたほうがフィルも安心だろうと思ったが、部屋にいるようには言われていないし、一人にならなければ問題ないだろう。
「まあ、それでしたら是非参りましょう。フィル殿下はダンスもお上手ですから、見ているだけでも楽しんでいただけるかと思いますよ」
途端に笑顔になったメグの表情は優しい。緊張しやすい彼女だが、透花のことは気に掛けてくれているようで、こういう時の判断力は早いのだ。
室内にいた侍女や騎士に伝言を頼み、二人で会場に戻った。透花に気づいた周囲から視線を感じるものの、先程の一件で警戒されているのか声を掛けられることはない。
「まもなく始まるようですよ」
控えめに流れていた演奏が止まり、人々の視線が中央のダンスホールへと注がれる。中央へと進むフィルとデイジーの堂々として気品を感じられる立ち振る舞いに自然と感嘆が漏れた。
曲が始まると流れるようなステップと、柔らかなターンにふわりとドレスの裾が舞う。
繊細で優雅な動きは美しく、微笑みあう男女は親密さを感じさせる。
(王子様とお姫様みたい……)
フィルは第一王子であり、デイジーは公爵令嬢で第二王子の婚約者なのだから、その感想は間違いではない。あちらが本物なのだという実感が湧いて、自分が恥ずかしく思えてきた。
綺麗に着飾ってもらって外見だけはお姫様みたいになったが、中身はただの一般人なのだと思い知らされる。見惚れてしまうほどに美しい光景なのに、胸が苦しくなるのは何故だろう。
「メグさん、すぐに戻りますので」
「トーカ様、一緒に……」
同行してくれようとするメグを笑顔で制して、透花はお手洗いに向かった。少しだけ一人で頭を冷やす時間が欲しかったのだ。
(デイジー様にフィーを取られたみたいで嫌だったのかな……)
過保護だと言いながらいつの間にかフィルに依存していたのかもしれない。変わろうと決めたのに、鏡の中の自分は情けない顔をしている。冷たい水で顔を洗いたかったが、化粧をしてもらっているので濡らすわけにはいかない。
だがこんな表情で戻ればフィルを心配させてしまう。
夜風に当たれば少しは気が紛れるだろうかと、透花は庭のほうへと向かった。
月明りが照らす庭に出ると喧騒が遠ざかり、ひんやりとした冷たい風が頬に心地よい。
(何だか懐かしいな)
家族が寝静まったあとに夜空を見上げるのが透花の習慣だった。怖いことも悲しいことも夜空を見ると心が凪いで少しだけ頑張れるような気がしていたことを思い出す。
フィルの側にいる時も同じような気持ちになれるから、眠いのを我慢して夜中に起きている必要はなくなった。
(少しフィーから離れないと嫌われちゃう……)
ただでさえ透花は鈍いのだから、手遅れになる前に自分から行動しなくてはならない。少し距離を置くだけ、そう思うのに鼻の奥がつんとする。
かさりと何かが動く音がして、透花はそちらに顔を向けると木の上にいる人物と目が合った。
夜闇の中でもきらりと光る黄金色の瞳は梟を連想させる。そのせいかその人物がすぐそばに降り立っても怖いとは思わなかった。
「ずいぶん不用心だな、姫さん」
「すみません。あの、お姫様ではないです」
つい口癖で謝ってしまうと、男は呆れたように鼻を鳴らした。
「不審者に謝るよりも、悲鳴を上げるなり、逃げ出すなりしないと駄目だろう。警備も甘いが、姫さん自身に危機感がなさすぎる」
訂正したのに姫さんと呼び続ける男を改めて観察すると、黒装束に身を包み、顔もフードとマスクで覆われていて確かに不審者らしい装いで、鮮やかな瞳が透花をまっすぐに見つめている。
(悪い人には見えないけど……)
脅迫や暴力を振るわれるような気配があれば、即座に逃げ出していただろう。だが親切に忠告をしてくれた相手を不審者として報告するのも気が進まない。
「夜会の最中にどうしてこんなところに来たんだ?」
「ちょっと風に当たりたくて、抜け出してきました」
正直に話すと、その瞳がいたずらっぽく弧を描いた。
「攫ってやろうか?」
「え……?」
「さっきも泣きそうな顔してただろう?姫さんが望むならここから連れ出してやるよ」
見られていたのかと恥ずかしく思ったが、自分のことを不審者だと言いながらも気遣いを見せる男の言動のちぐはぐさが可笑しくなって笑い声が漏れた。
「トーカ様!」
切迫したようなフィルの声が聞こえて、透花は思わず身体を震わせた。心配を掛けてしまっただけでなく、もしかしてダンスの邪魔をしてしまったかもしれない。
申し訳なさにぐっと胸が苦しくなったが、突然の浮遊感に顔を上げると男の顔がすぐそばにあった。
「一緒に逃げるぞ、姫さん」
「え……待っ……」
男は透花の返事を待つことなく、透花を抱えたまま軽々と城壁を飛び越える。
突然の事態に呆然とする透花の耳に自分の名を呼ぶフィルの声がいつまでも残っていた。
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