第31話 隣国の魔術師
『城壁を越えるとそこは室内だった』
有名な小説の冒頭部分のような感想が浮かぶ。目の前の状況にただただ驚くばかりだが、そんなことを考える余裕があるというよりも、現実逃避の一種なのかもしれない。
「姫さん、適当に座ってな。ちょっと疲れたから寝るわ」
「……あの、ここは何処なんですか?」
大きく口を開けて欠伸をする男に訊ねてみれば、きちんと答えが返ってきた。
「ん、宿屋だ。姫さんも自由にしていいけど、部屋の外には出るなよ。危ないからな」
どうやってここまで来たのかはさておき、もしかして自分は誘拐されたのだろうか。それにしては男の態度がおかしいし、逃げようと思えば逃げられそうな状況なのだ。
ベッドに寝転がった男は言葉通り仮眠を取ろうとしているようだが、透花としてはそのまま放置されては困る。
「あの……」
「リトだ」
恐る恐る話しかければ、ちゃんと言葉を返してくれるのだ。多少望んでいる答えとは違うが、名乗ってくれたので不快ではないのだろう。
「……リトさん、私」
「呼び捨てでいいし、敬語も使わなくていい」
何気ない口調だったが、身体を起こしたリトの雰囲気ががらりと変わる。先ほどまでは眠たそうに半ば閉じていた瞳は透花を観察するように見つめていた。
(……怖い人だ)
見透かすような瞳には老獪さが見え隠れして、言葉を間違えれば状況が確実に危うくなるような気がした。
「リトはどうして私を連れてきたの?」
「姫さんを気に入ったからって言ったらどうする?」
煙に巻くような返答で透花の反応を窺っている。ただ揶揄っているだけならそんな眼差しを向けないはずだ。
リトの目的は分からないし、それを知るべきかどうかも判断がつかない。
それでも透花は何とかしなければならなかった。
突然姿を消した透花をフィルはきっと心配しているだろう。
「リトは私に何かして欲しいことがあるの?お城に帰るためにはどうしたらいい?」
ただ訊ねるだけでは答えてくれないかもしれないと思ったが、リトの視線が僅かに動く。
「どうして帰りたいんだ?あんまり幸せそうには見えなかったけど」
「そんなことないよ。みんな優しくしてくれるし、楽しいこともたくさんあるもの」
庭で泣きそうなところを見られたせいか、リトは透花の言葉を信じていないようで無言で腕を組んでいる。
これまでの生活と比べれば雲泥の差と言えるほど、穏やかで充実した日々を過ごしているのだが、どうやったらリトに伝えることが出来るだろうか。
「姫さん、隣国に来なよ。優しい奴らも多いし楽しいこともたくさんある。俺の方が姫さんの教育係としても護衛としても役に立つと思うぜ?」
御子だと知っていて透花を連れ出したのだろうとは考えていた。だからこそ傷付けられる可能性は低いと思っていたが、リトの狙いが分からない。
何気ない言葉の中に散りばめられたヒントは、透花に気づいて欲しいのか別の目的があるのか。
(でもリトが本物なら、私も相応の振る舞いをしなければならない)
透花はカーテシーを取ると、頭を下げたまま告げた。
「このような機会にお目に掛かれるとは思いませんでした。ジェラルド帝国の筆頭魔術師、ザイフリート様」
「一応教育は受けているみたいだな。堅苦しいのは嫌いだから呼び方は変えなくていいぞ」
口の端を上げたリトは機嫌が良さそうに見えたが、本当のところは分からない。ジェラルド帝国の筆頭魔術師は膨大な魔力量とその器用さから世界最強とも言われている人物だ。
だが力の強い魔術師は得てして癖が強いらしい。
リトを見ていると納得してしまうとともに、何故連れてこられたのかが全く見当がつかなかった。
「リトは……御子の力が必要なの?私はまだまだ未熟だから役に立てそうにないのだけど」
「ただ顔を見に来ただけだが、ちょっと魔が差した。姫さんは本当に帰りたいのか?これでも立場は強いし、女神の愛し子が望むなら、どこでも連れてってやるぞ?」
軽い口調だが、もしも透花が頼めば本当に連れて行ってくれるような気がする。庭でも同じようなことを言っていたから、もしかすると透花を隣国に連れて行くことが目的なのかもしれない。
翻弄されてばかりだが、話しやすく憎めないところがあるので少しだけ気を引き締める。
「ありがとう。でも私がいたい場所は……ハウゼンヒルト神聖国だから」
フィルの顔が脳裏に浮かぶ。
(そばにいたいと思うのは我儘なのかもしれないけど……)
お世話になってばかりで、何も返せないまま他の場所に行くつもりはない。もし離れるとしてももっと役に立ってからだ。
「姫さんはああいう男が好みか。もっと見る目を養っておけ。俺のほうが断然いい男だぞ?」
「違っ、フィーはただの友達だよ!」
にたりとチェシャ猫のような笑みを浮かべるリトを見て、透花は自分の失言を悟った。
「ほう、そうなのか。俺は別に王子のことだと言ってないんだけどな」
(完全に遊ばれている……)
じっとりとした目で見つめるものの、リトはげらげらと笑っている。恥ずかしいやら腹立たしいやらで、透花は泣きたい気分だった。
「……もう、帰る」
「待てよ、ちゃんと送ってやるから。……ああ、俺が悪かった。調子に乗って揶揄い過ぎた」
じわりと涙が込み上げてきた透花に、リトは焦ったように声を掛ける。
その様子を見て溜飲を下げた透花は、好機を逃すことなく城に戻してもらうよう約束してもらったのだった。
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