第32話 素晴らしく厄介な感情

事前にドレスの色も身に付ける装飾品も聞いていたのに、実際に見ると全く違う。


(日に日に可愛らしくなるようだ)


口づけを落とすと僅かに頬を染めながらも、感情のこもった声で装いを褒められて嬉しくなる。少しだけぎこちないのは互いの色を纏う意味を知ったからだろう。


深みのある青は大好きな夜空の色だと告げられた時は少し残念に思えたが、自分の瞳が同系統の瑠璃色であったことに感謝したものだ。

そんな思考に気づいて、フィルは小さく息を吐いて自分を戒める。


(少し独占欲が過ぎるな……)


過保護だと苦言を呈されることは気にならないが、過ぎたる執着は相手にとっても良くないだろう。


だが、そんなフィルの内心を知らずにふわりと微笑んだ透花は愛らしく、心がそわそわと落ち着かなくなる。

そんな姿を見せれば良からぬ者に連れ去られてしまうのではないか、そんな考えが脳裏に浮かんだものの、まさかそれが現実のものになるとは思ってもみなかったのだ。


無事挨拶も終わり頃合いを見計らって退場しようと考えていたところ、デイジーがやってきた。大事な弟の婚約者である彼女とは幼い頃から交流があり、本当の妹のように思っている。公爵令嬢としてまた将来の王妃候補として教育を受けていたデイジーは、公私の区別はもちろん、常に周囲に与える影響を考えて行動できる女性だ。


そんなデイジーが僅かとは言え怯えと不安が混じったような瞳を浮かべていることに気づき、見過ごすことは出来なかった。

快く送り出してくれたトーカには感謝しかないはずなのに、あっさりと了承してくれたことが少し寂しい。


(何を子供のようなことを……)


トーカの側を離れることに不安はあったが、既に周囲への牽制を行っていたし護衛と侍女も控えている。

まずはデイジーの不安を解消するほうが先決だ。


ダンスを踊りながらデイジーはパーティーの直前でエリックと喧嘩したことを打ち明けた。


「あの方が……他の令嬢に微笑みかけておりましたの。それがとても幸せそうで、わたくしが嫉妬してしまって口論に……」


優雅な微笑みを浮かべているのに、その声は血を吐くように苦しげだ。


「エリックは君のことを心から大切に想っているよ。いまだに私を警戒しているぐらいだからね」


励ますように微笑みかければ、それに答えるように小さく頷いて微笑んだ。

兄弟のいないデイジーは六歳年上のフィルによく懐いていたが、あくまでも兄としてである。


お互い想い合っているのは確かなのに、当人たちは気づいていないらしい。他の令嬢に微笑みかけていたのは、恐らくデイジーのことで惚気ていたに違いないとフィルは確信していた。


(だがそうなると、エリックの姿が見えないのはおかしい……)


最初は体調不良だろうかと考えていたが、デイジーを不安にさせるのが分かっていて伝言を頼まないはずがない。

ステップを踏み場所を入れ替えると、視界の端にトーカの姿を捉えた。


(いつかトーカとこうして踊れたら楽しいだろうな)


「フィルお兄様のそんな表情、初めて見ましたわ」


ヘーゼル色の瞳に先ほどまでの翳りはなく、どこか面白がっているような節さえある。感情を表に出さないよう教育されているのは王族であるフィルも同様だ。ましてやフィル自身が意識していなかったことを指摘されて、ステップを踏み損ないそうになる。


「ふふ、フィルお兄様ったら重症ですわね」

「デイジー、どういう意味だ?私は至って正常だが……」

「恋とは素晴らしく厄介な感情ですわ。頑張ってくださいまし」


したり顔で告げたデイジーはそれ以上何も言わずに、そのままダンスを終えた。デイジーをベルーネ公爵の下に送り届けて、フィルは会場を見渡すがトーカの姿はない。

休憩室に戻ったのかとそちらに向かえば、言い争うような声が聞こえた。


「っ、そこを通してください!御子様をお一人にするわけには――」

「だから、お前なんかが御子様の指導役だというのが間違いだって言ってるんだよ!あの平民に取り入って手にした立場のくせに弁えろ」

「弁えるのはどちらだろうか。ロッティ子爵令嬢を御子様の教育係に任命したのは私だが?」


先ほど他の令嬢に注意したばかりだと言うのに、どこまで愚かなのだろうか。顔を真っ青にした令息を護衛に命じて退場させる。いくつか周知徹底が必要だが、今はそれよりも優先すべきことがあった。


「ロッティ子爵令嬢、トーカ様はどちらに?」

「お化粧室に一人で行かれたため、少し遠くで待っておりましたところ庭の方へ向かわれました。追いかけようとした矢先に先程の令息に出会い、申し訳ございません」


ひどく嫌な予感がして早足で庭に向かうと、トーカの側に黒装束を身に纏った不審な人物が立っている。

楽しそうな笑い声が耳に届き、何故かひどく狼狽する自分がいた。


「トーカ様!」


遠目からでも肩を震わせたのが分かる。フードに覆われて側にいる男の表情は見えなかったが、その口元が弧を描いたかと思うとトーカを抱き上げた。


ざわりと肌が粟立つような感覚は怒りとも恐怖とも違う、焦燥感に駆り立てられる。

だがトーカがいる以上攻撃は出来ず、風魔法を使って拘束しようとしたが何かに弾かれたように魔法が霧散した。


「トーカ!」


トーカを抱えて城壁を飛び越えた男を追うが、その姿はどこにも見当たらなかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る