第37話 ある令嬢の後悔
その日、ヘレナは珍しく早い時間に目を覚ました。
(お城に行きたかったな……)
ヘレナに同情的な叔母夫婦だったが、流石に王家主催のパーティーにヘレナを連れて行くことは出来なかった。そもそも招待状がないので仕方がないのだが、本来であればヘレナにも招待される資格があったし、こんな風な思いをする必要はなかったことを思えば胸が痛む。
「フィル殿下はまだ騙されていらっしゃるのかしら。……お労しいことだわ」
ほんの二月前まで両親と兄とともに幸せに暮らしていたのに、それは一人の少女によっていとも簡単に壊されてしまった。
御子に不敬や暴行を働いたとして母が牢屋に入れられたのだ。それと同時にネイワース侯爵家は伯爵位へと降爵させられ領地の一部を没収、兄は辺境に飛ばされてしまった。
何よりもショックだったのは、父が抗議もせずにそれを粛々と受け止めたことだ。
『お母様がそんなことするはずがないわ!きっと誰かに陥れられたのだわ。そうよ、きっと御子様は何か気に入らないことがあってお母様を――』
頬に痛みが走り、ヘレナは気づけば床に倒れ込んでいた。
『滅多なことを言うな。御子様に罪はない。母親を信じたい気持ちは分かるが、それだけのことをメリルはしたのだ』
父に打たれたことで、ヘレナは逆に母の無実を信じるようになった。長年一緒にいた妻をあっさり見捨てたのは、権力に屈したからに他ならない。そうでなければ面識もない御子様が無実などとどうして断言ができようか。
ヘレナも最初は御子に対する憧憬を抱いていたが、教育係となった母から話を聞く限りあまり良い印象を受けなかった。
母はやんわりと言葉を濁していたが、要約すれば不出来なのに努力もせずただフィル殿下に甘えてばかりの子供としか思えない。
『ヘレナにはいつか御子様のお友達になってもらうかもしれないわ』
母の力になれるならと思ったし、もしかしたらフィル殿下にもお会いできるかもしれないと期待に胸を膨らませていた矢先のことだった。
父は引継ぎのため領地へ戻らなければならず、ヘレナもそれに同行する予定になっていた。だがそうなれば、母の無実は晴らせない。社交シーズンを理由に王都に留まりたいと訴えれば父は難色を示したが、叔母が味方をしてくれたことにより叔母夫婦のところに預けられることになった。
だが母が罪人となり降爵したばかりのネイワース家の令嬢であるヘレナが夜会に出掛けるのは外聞が悪い。母の無実を訴えたくてもどうすれば良いか分からず、塞ぎこむヘレナを気遣って叔母がお茶会を開いてくれた。
これまであまり交流がなかった子爵家や男爵家の令嬢たちもいたが、みな労りの言葉を掛けてくれ、親身になってくれたのだ。
彼女たちに相談すれば、多くの令嬢は同情的な言葉を掛けてくれ、やはり自分が間違っていないのだと確信を深めた。
何とかしてフィル殿下にお伝え出来れば良いのだが、王族に直接接触できる身分でないことが恨めしい。
昨晩の王家主催のパーティーは好機だったが参加できる伝手などなく、代わりに様子を見て来ると請け負ってくれた友人たちの話を待つしかない。
(どうにかして御子の悪事を明らかにしなければ、お母様を助け出すこともフィル殿下の目を覚まさせることもで出来ないわ。ああ、早く午後にならないかしら)
そんなことを考えていると、ノックの音と同時に部屋のドアが開けられた。不作法に眉を顰めると、狼狽した様子の侍女が声を詰まらせながら告げた。
「お、王子殿下が、第一王子殿下がお見えです!お嬢様にお会いしたいと」
「っ、すぐに着替えるわ。手伝ってちょうだい」
お待たせするわけには行かないが、見苦しい恰好を見せるわけにもいかない。フィル殿下が先触れもなしにやってきた理由を考えることもなく、ヘレナは待ちに待ったチャンスと期待に胸を躍らせていた。
応接室に足を踏み入れれば、美しい瑠璃色の瞳がこちらに向けられて、鼓動が高まるのを感じる。デビュタントの日に挨拶して以来、これほど間近にフィル殿下の姿を拝見する機会を得られなかったのだ。
「早朝からすまない。ある噂の真偽について確認のため訪問させてもらった。ヘレナ嬢、協力してもらえないだろうか」
「それは……御子様に関すること、でしょうか?」
思いがけず到来したチャンスにヘレナは声を上ずらせたが、今のフィル殿下に打ち明けても大丈夫だろうか。たとえ真実であっても耳を傾けてくれる余地がなければ、母と同じ末路を辿ることになるかもしれない。
願望と保身の間で揺れ動くヘレナにフィルは真剣な表情で告げた。
「その通りだ。いつ、誰から、どんな内容だったかを具体的に教えてほしい。結果次第では国の根幹を揺るがす事態になりかねない。心して答えてくれ」
国の根幹、それは御子の必要性に疑問が生じているということではないか。それにフィル殿下は御子の噂がどこから生じたのか把握されていないらしい。
(だったらここで私が全てお伝えすれば、フィル殿下は褒めてくださる?いいえ、もしかしたら私のことを気に入ってくださるかも……)
「ええ、全てお話しいたしますわ」
それからヘレナは、御子の本性と母の無実を切々と訴えた。途中で叔父が何度か口を挟みかけたが、フィル殿下はそれを制止し、真摯な態度でヘレナの言葉に耳を傾けてくれたのだ。
「ヘレナ嬢、君の発言は非常に重要な意味を持つ。その言葉に嘘偽りはないだろうか?」
「全て真実ですわ。あんな娘が御子様のはずがありませんもの」
その時ようやくヘレナは叔父の顔色が思わしくないことに気づいた。
「愚かさは言い訳にならない。ペルニー伯爵、異論はないな?」
「……まだ子供なのです。どうか、どうか寛大なご判断をお願い申し上げます」
苦しそうな叔父の声にフィル殿下の視線が鋭く酷薄なものに変わる。
「そう思った私の判断が、今の結果に繋がった。もう二度とあの方を危険に晒すわけにはいかない。――ヘレナ・ネイワースを拘留せよ。本人の自供により国家反逆罪および不敬罪は明らかだが、交友関係を洗いだすために使用人たちからの証言を取れ。令嬢の部屋に物証も残っているはずだ」
乱暴に腕を引かれてヘレナは悲鳴を上げるが、庇うどころか誰もが険しい眼差しを向けている。
(どうして……?)
「口は禍の元とはよく言ったものだ。陛下と同等の身分である御子を、勝手な憶測で貶めるなど許されることではない。このような妄言を真に受ける者がいると思うだけで吐き気がする」
苛烈な口調にひゅっと喉が鳴る。フィル殿下を救うために証言しただけだったのに、どうしてそんな負の感情を向けられなければならないのだろう。
反論の言葉は凍てつくような眼差しにより声にならず、ヘレナは荷馬車へと押し込められた。
(私はどこで間違ったのかしら……)
これから待ち受ける未来から目を逸らすように、ヘレナはそのことばかり考えていた。
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