第9話 拒否反応
環境にもようやく慣れ、御子教育も順調に進んでいた矢先のことだった。
「本日は魔力の流れを体験していただきます。お手をお借りしてもよろしいですか?」
微量な魔力を相手に流すことで、体内の魔力を感じ取れるらしい。
透花の差し出した手にジョナスが指先を重ね、ほのかな温かさを感じた途端に、火花が散るような鋭い音がした。
「くっ――」
苦悶の表情で呻き声を漏らすジョナスに透花が呆気に取られていると、真剣な表情のフィルが駆け寄ってきた。
「トーカ様、お怪我はありませんか?どこか痛みや不調など些細なことでも変わったことがあれば教えてください」
「わ、私は平気だけど……ジョナス先生がっ」
左手を押さえたままジョナスが問題ないとでも言うように首を横に振る。
「少し、驚いただけです。恐らく本能的な防衛反応によるものでしょう」
同じ属性であっても魔力は人それぞれ異なるため、他人の魔力を流し込まれると稀に拒否反応を起こすことがあるらしい。こればかりは相性のようなもので、やってみなければ分からないそうだ。
「では私が代わりに行いましょう」
フィルから手を差し伸べられたが、透花はその手を重ねることに躊躇わずにはいられなかった。
「でも……相性が悪かったら、フィル様も傷つけてしまいます」
ジョナスは明言しなかったし、外傷も見当たらないが、いまだに左手を庇うような素振りを見せていることから、かなりの痛みがあったのではないだろうか。
「大丈夫ですよ。これでも鍛えておりますし、多少の痛みには慣れておりますから」
にっこりと完璧な笑顔にもかかわらずどこか圧を感じる。これは譲る気がない時の顔だと最近は透花も分かるようになってきた。
指先が触れるか触れないか程度に手を合わせると、フィルはその手をしっかりと握りしめる。
「フィル様!」
「慣れるまで少しこのままでいましょう。そんなに怖がらないでくださいね」
微笑みながら優しく子供をあやすように言われてしまい、透花は抵抗をやめた。もしかしたらこちらの世界では、外見と実際の年齢は異なるのだろうかと疑問に思ってしまうほど、フィルは透花を子供扱いする。
嫌ではないが、何だかそわそわしてしまうような不思議な気分だ。
「トーカ様、不快だったらすぐに仰ってください」
先ほどと同じような温もりが指先から伝わってきて、今度は大丈夫かもと思いかけた途端に、またバチッという激しい音が聞こえ、フィルの手が離れた。
「フィル様!っ、すみません!」
「トーカ様のせいではないですよ。ほら、何ともないでしょう?」
ひらひらと手を振るが、透花はフィルの言葉を信用していなかった。あんなに大きな音がしたのだ。きっと透花を慮って平気な振りをしているに違いない。
「先生、フィル様……ごめんなさい」
泣きそうになるのを堪えて透花は何とか謝罪の言葉を口にした。自分のせいで痛い思いをさせたのに、さらに迷惑をかけてはいけない。
「音が大きかったせいで驚かせてしまいましたね。これぐらい何でもないんですよ。それよりもトーカ様が悲しまれると私も胸が痛みます」
いつの間にか俯いてしまった顔を上げると、フィルは少し困ったような表情で透花に向かって腕を伸ばす。安心させようと頭を撫でてくれようとしたのだろう。
透花にもそれが分かっていたのに、肩がびくっと震えて無意識に後退っていた。
「っ、ごめんなさい!」
「トーカ様、お待ちください!」
透花は身を翻すとフィルの制止を無視して、駆け出した。
(心配してくれただけなのに……)
ろくに謝ることもできず、過剰反応してしまった挙句逃げ出してしまった。咄嗟に走り出したものの、行く当てなどなく部屋に閉じこもってうじうじと自分の行動を反芻している。
(また傷付けてしまうかもしれないと思った……けど、それが理由じゃない)
逃げ出したのは嫌われるのが怖かったからだ。意図的かどうかは関係なく、親切を仇で返すような真似をしてしまった透花が何よりもに気にしたのは彼らの反応だった。
もしも嫌われてしまったら、上手く出来ずに失望されてしまったら、また見放されてしまう。
どこまでも利己的な自分が恥ずかしくて情けなく、嫌でたまらない。
小さなノックの音に透花は悲鳴を上げかけて、口元を押さえた。今の自分はフィルに合わせる顔がない。どうしようと狼狽える透花だったが、入ってきたのはフィルではなかった。
「トーカ様、よろしければどうぞ」
いつもと変わらない穏やかな表情のミレーが透花に差し出したのは、ホットミルクだった。甘い香りとカップ越しに伝わる温かさに一口飲むと、じわじわと身体がほぐれていくようだ。
「フィル殿下は本日トーカ様とお会いすることを禁じられましたので、ご心配なくお寛ぎください」
ミレーの言葉に透花はどう反応していいか分からなかった。安堵する気持ちと不安な気持ちが心の中で揺れている。
「トーカ様を怖がらせてしまったとフィル殿下も反省しているご様子でした。ご不安なことやご要望がございましたら、このミレーに何でもお申し付けくださいね」
優しい言葉に耐え切れなくなった透花は、みっともなく泣きながらミレーに訴えた。
「違うの、フィル様は何も悪くないの!私が、私のせいで――」
しどろもどろで、まとまりのない透花の話をミレーは急かすこともなく辛抱強く聞いてくれた。
「フィル殿下とトーカ様、どちらも悪くありませんよ」
話を聞き終わったミレーは穏やかながら、きっぱりとした口調で告げた。
「でもっ!」
「トーカ様が逆のお立場でしたら、フィル様をお責めになりますか?」
否定しかけた透花だが、ミレーから静かに問われて言葉を詰まらせた。
「誰のせいでなくても他人を傷つけてしまうこともあるのです。トーカ様がご自身をお責めになるとフィル殿下はもちろん、私も悲しくなってしまいます。今は動揺されておられますので無理に考えを改める必要はありませんが、身体を温めてゆっくりとお休みください。時間が経てば心も落ち着いてきますから」
ミレーの言葉に完全に納得したわけではなかったが、心が少し軽くなったのを感じる。そんな透花の心境を感じ取ったのか、ミレーはふわりと温かい笑みを浮かべた。
そうなると気になってくるのはフィルのことで、透花に甘いフィルは落ち込んでいるかもしれない。だが直接謝りに行ってもきちんと話せるか自信がなく、まだ少し怖いと思う。
「ミレーさん、あの……フィル殿下にお手紙を書きたいの、文字が上手く書けなくて……」
「はい、お手伝いいたしますね。フィル殿下もお喜びになるでしょう」
そんな透花の願いをミレーは嬉しそうに快諾してくれたのだった。
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