第3話 御子との対面

ハウゼンヒルト神聖国は女神の祝福を受けた土地だと言われている。

かつて世界が魔物に滅ぼされそうになった時、女神の祝福を受けた子供が魔物と瘴気を浄化して世界を救った。それからというものこの地に現れ世界を浄化する女神の愛し子を、人々は御子と呼び崇めるようになった。


そんな御子に仕え不自由なく過ごせるようにと集った人々が興した国がハウゼンヒルト神聖国だ。

周囲の国に取り込まれてしまいそうなほど小さな国だが、魔物が発生する森に面しており、また御子が現れる土地に対する畏敬の念から、周辺諸国はハウゼンヒルト神聖国を不可侵領域と定めた。


ハウゼンヒルト神聖国も国土を広げる意思はなく、いつか現れる御子のために女神に祈りを捧げながら国を維持している。

そんなハウゼンヒルト神聖国の第一王子として生まれたフィルは、幼い頃から御子に対して並々ならぬ想いを抱いていた。


崇拝と憧憬が入り混じったような感情だったが、まるで物語の登場人物に恋をしているようだと友人であるジョナスから揶揄われたものだ。御子がいつ現れるか分からないのである意味そのような存在ではあるが、フィルは自分が御子に会えると信じて疑わなかった。

何故かと言われても、ただそんな確信にも似た予感があったからとしか言いようがない。


(早く、会いたいな)


御子に関する書物を読み漁り、いつ出会っても良いように必要な知識や力を身に付け、まだ見ぬ御子に想いを馳せる。

御子のために存在している国なので、御子の世話は王族の責務でもある。御子の心身が健康でなければ浄化の力にも影響を及ぶのだから、その責任は重い。


ハウゼンヒルト神聖国が御子を不当に扱ったり、御子が十分にその力を発揮できる環境にないと判断されれば、連合条約に基づき連合国のいずれかが御子を保護することが出来る。ハウゼンヒルト神聖国にとってそれは国の存続意義に関わるため、王族にとって御子は最優先事項であり、過去の知識や経験を受け継ぐべく教育が施されるのだ。



御子顕現の知らせが届いた時、フィルは逸る気持ちを抑えられずに城内を駆けた。礼儀作法など構う余裕もなく祈りの間に辿り着けば、部屋の中央に薄い光の膜のような球体が揺らめいていた。


遠巻きに見つめていると、不意にそれはシャボン玉が割れるように跡形もなく霧散して、そこには一人の少女が横たわっている。


(この方が、御子様……)


やっと会えたことへの歓喜が胸に湧き上がる。部下を部屋の入口に待機させ、驚かさないよう慎重に近づくと、御子は眠っているようだ。

僅かに身じろぎした御子に息を詰めて見守っていると、その表情が幸せそうに緩む。


(良い夢でもご覧になっているのだろうか)


であれば邪魔をしてはならないが、このままでは風邪を引いてしまうかもしれない。葛藤するフィルだったが、幸いにも御子はすぐに目を覚ました。

何かを探すように彷徨う瞳が、こちらに向けられた時の衝撃を何と表わしたら良いのだろう。


(なんて美しい瞳なんだ……)


湖のように透き通った淡い青と温かみのある琥珀色のオッドアイに、フィルは呼吸を忘れてしまうほど魅入られてしまった。だがそれも僅かな時間で、フィルは御子の声ですぐに我に返ることになる。


「っ、嫌!見ないで!」


怯えを含んだその声は、もはや悲鳴に近い。呆気に取られたのは一瞬で、まずは御子の願いを叶えるべく、フィルは部下に命じつつも自分も頭を下げた。


(異性に顔を見せてはならない土地もあるのだったな。だがそれにしては……)


不快というよりも恐怖と切実さを滲ませた瞳が脳裏に浮かび、フィルは唇を噛みしめた。あんな表情をさせてしまうつもりはなかったのだ。

自分の失態を悔やんでいると、怯えたように謝罪を口にする御子の声が聞こえてきて視線を落としたまま顔を上げれば、地面に頭を擦りつけんばかりに低頭する御子の姿に絶句してしまった。

尊きお方になんてことをさせてしまったのだと必死で声を掛けるが、御子は身体を強張らせて否定の言葉を繰り返す。


誤解をしていることは明らかだったので、とにかく御子を落ち着かせて事の経緯をお伝えしなければならない。

そうして抱き上げた身体は軽く、こんなに軽くて大丈夫なのか心配になる。

儚ささえ感じさせる御子を守らなければと上着を掛けて隠せば、少し落ち着いたのか身体の強張りが僅かに解けたように思う。


(トーカ様はもしや……)


嫌な想像を振り切ってフィルは慎重に部屋へと運んだ。



「トーカ様、お飲み物を用意してまいりますので、少々お待ちくださいませ」


ソファーの上で上着を被ったままだが頷いたのが分かり、フィルは部屋の前で侍女を待った。


「ありがとう。あとは私が引き取ろう」


元乳母のミレーは僅かに驚いた表情を浮かべたが、心得たように一礼して下がる。察しの良さに感謝しながらフィルはノックし、少し間を開けてから部屋に入った。


先刻までと同じように上着を被ったままだが、少し位置がずれている。ノックの音に慌てて被りなおしたのだろう。

自分の判断が間違っていなかったことを確信したフィルは、手早く紅茶を入れると御子の正面に腰を下ろす。本来であれば直立したままか、膝をついて接するところだが、彼女はそれを望まない気がする。


「トーカ様、お口に会うか分かりませんが、よろしければお召し上がりください。私は目を閉じておりますので」

「…………ありがとうございます」


微かな衣擦れの音の跡で、控えめな声が聞こえた。

目に見えなくとも音と気配から察せられることもある。


(恐らくトーカ様にとって、この状態の方がご負担はないようだ)


「美味しい……」


思わず漏れたような小さな呟きに、フィルは口元を緩めた。少しでも心を和ませてくれたのならば何よりだ。


「ご負担でなければ、このまま状況をご説明させていただきますが、いかがでしょうか?」

「は、はい。お手数おかけしてすみません……」


申し訳なさと不安が混じったような声に、フィルは少しでも安心させようと言葉を選びながら、御子について語った。

御子の始まりからその御力、顕現方法、ハウゼンヒルト神聖国の成り立ちまで、できる限り分かりやすくまとめて説明したが、徐々に空気が重くなっているような気がしてならない。


「申し訳ございません。私にはそんな力はありません。その……これは何かの手違いだと思います。どうか、お許しください」


話を聞き終わって御子から出たのはそんな言葉だった。

祈りの間に現れたこと自体が御子の証である。だが頑なに否定する御子の言葉に異を唱えるのも不敬だろう。


「お、王子殿下におかれましては、私のような者にお気遣いいただいたのに……どう、お詫びしてよいか……本当にっ……申し訳ござ……」

「トーカ様!トーカ様のせいではございません」


掠れた声に嗚咽が混じり、フィルは思わず立ち上がるが、目を閉じた状態では身動きが取れない。だが御子が泣いているのにぼんやりと突っ立っていることなどできず、勘を頼りに踏み出せば脛にテーブルの角が当たり、ぐっと奥歯を噛みしめる。


「ひっ、すみません!私なんかのこと、気にしないでいいですから、目を開けてください!」


(――絶対に嫌だ)


目を開ければ御子の言葉を肯定することになる。誰よりも尊く至高の存在である御子を軽んじるようなことがあってはならない。

脛を犠牲にしたものの、おかげでテーブルの位置が分かり、記憶を頼りにフィルは御子の前に跪いた。


「殿下!だめです、そんなこと。お怪我に障りますから――」


御子であることを理解してもらうのは後でもいい。害意がないことを伝えて不安を取り除くつもりが逆に怯えさせてしまった。自分の浅はかさを悔やみつつ少しでも安心させたい一心でフィルは懇願するように告げた。


「トーカ様、御手に触れる許可をいただけないでしょうか?」


差し出した手に指先が触れると、その手を両手で包み押し戴くように額に当てた。


「我が忠誠、我が身を貴女に捧げることを誓います、トーカ様」


正式な騎士の誓いではないが、その言葉に偽りはない。王子という立場などよりも、御子のほうが立場は上だということを示すためであり、味方であることを理解してもらうためだ。


「で、殿下……?今のは何を、どういうことなのですか?」

「どうかフィルとお呼びください。貴女の騎士としてこの身を捧げるための誓いです。生涯に一度、主と決めた方だけに行なう特別なものです」


手を引こうとする御子に気づかない振りをして、両手を握り締めながら自分の意思が伝わるようにと願う。


「そんな大切なこと、私なんかに……」


震える声が御子の困惑と動揺を物語っていて胸が痛くなる。自分が御子の負担になっているのではないか。

そんな考えがよぎったが、それでも御子に仕え守る役目を他者に譲るつもり気になどなれない。


「もしもトーカ様の騎士に相応しくないとお思いでしたら、私をトーカ様の下僕にしていただけないでしょうか?」


焦ったフィルは気づけば、そんなことを口走っていたのだった。

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