第14話 甘えと諦め

「それでは失礼いたしますわ」


優雅な笑みを浮かべてメリルが立ち去ると、力が抜けた透花は椅子に沈み込んだ。


「トーカ様、お疲れ様でございました」


気遣うようにお茶を淹れてくれたのは、側に控えていてくれたミレーだ。情けないところを見られたと思うものの、取り繕う余裕も今の透花にはない。


「ネイワース侯爵夫人は社交家だと聞いておりますが、少々配慮に欠けるようですね。教師役には別の方をお願いするよう、フィル殿下にお伝えいたしましょうか?」


ミレーの言葉に透花は首を横に振った。


「大丈夫です。夫人には十分気を遣っていただいたのに、私が上手く返せなかっただけだから」


流行りのドレスやアクセサリーなどの話題には付いていけず、好みの食べ物や趣味などを聞かれても思いつかない。元の世界のことを訊ねられても要領を得ない説明しか返ってこない透花に、徐々にメリルの反応が芳しくないものに変わっても無理のないことだった。


「フィル様には内緒にしてくれませんか?ネイワース侯爵夫人にまだ何も教えてもらってないのに、別の方をお願いするのは申し訳ないです」

「承知いたしました」


駄目もとで頼んだのに、ミレーは躊躇いもなく了承したことが透花には意外だった。


「フィル殿下からトーカ様のご命令を最優先するように申し付かっておりますので」


ベールを付けているにも関わらず、ミレーは透花の疑問を読み取ったように答える。先ほども透花が限界だと察して、さり気なくメリルの退室を促してくれたのだ。

メリルと上手くやっていけるか不安はあったがミレーがいるなら心強い、とその時の透花は思っていたのだった。



「恐れながら申し上げますが、フィル殿下がいらっしゃると御子様が緊張なさるのではないでしょうか?」


透花の進捗度を確認し終えると、メリルは困ったように眉を下げて告げた。緊張するのはフィルよりも、まだ面識の浅いメリルのほうであり、初めての講義であるためだ。

フィルがこちらに視線を向けるのが分かったが、透花が否定すればメリルに恥を掻かせてしまうだろう。


迷っているとメリルはさらに言葉を重ねた。


「フィル殿下も公務でご多忙かと存じますわ。御子様のことがご心配なのは分かりますが、この時間はわたくしにお任せくださいまし」


そんなメリルの言葉に透花はハッとした。フィルの仕事が御子の世話係だとしても、王子という立場上それだけであるはずがない。


(ネイワース侯爵夫人がそう言うのも当然だわ……)


気づかなかったことを後悔しながら、透花はフィルの方を向いて言った。


「フィル様、私は大丈夫ですから」


躊躇うような素振りを見せたものの、最終的にフィルは恭しく頭を下げて出て行った。


「まずはこちらの問題を解いてみてくださいまし」


メリルから受け取った問題用紙を見ると、過去に習ったものばかりなので透花がどれくらい理解しているか図るためのテストだろう。選択式になっているため文字が書けなくても問題ないことに安心し、透花はつまずくことなく回答を埋めていく。


だが全てを解き終わり採点をするメリルの表情は固く、ふぅと小さな溜息が落ちた。


「もう一度最初からやり直したほうが、却ってよいかもしれませんね。わたくしがしっかりお教えいたしますので、ご心配なさらないでくださいまし」


座学には自信があったため、透花はすぐにメリルの言葉を理解できなかった。だが大部分が間違っていたと遠回しに言われたことに気づいて呆然としてしまった。


「少し休憩にいたしましょう?お茶を淹れてきてちょうだい。わたくしにはローズティーをお願いね」


入口近くで控えていたミレーは透花の意向を確認するかのように視線で問いかけてきたため、小さく頭を下げてお茶の準備を頼んだ。


「御子様、ベールを外していただけますか?」


ミレーが扉を閉めた途端に、メリルから低い声で言われて透花は固まった。


「フィル殿下は直接仰らないのでしょうが、御子様がそのようなことでは困りますわ」


呆れたようにため息を吐くメリルに、透花は既視感を覚えた。同級生の母親や学校の教師たちの言葉が重なって、僅かに息が苦しくなる。


「目を合わせずに人と話すなんて失礼なことなのですよ。国王陛下であれば分かりますが、御子様はまだ何のお役目も果たしていないではありませんか」

「す、すみません……」


メリルの言うことは尤もだ。フィルが許可してくれたことに甘えてベールを付けて過ごすことが当たり前になっていた。


(それでも……ベールを外すのはまだ怖い)


「――痛っ!」


視界が鮮明になり、眉を顰めたメリルと目があった。その手にはベールがあり、痛みを感じたのは外された時に髪が引っ掛かったせいだろう。


「まあ……変わったお色ですのね」


観察するようにじろじろと見られて、透花は堪らず顔を伏せた。元の世界ではともかく、こちらの世界でこんな対応をされたのは初めてだ。許可なくベールを取り上げられたことで、透花は不安と動揺を覚えていた。


「嫌だわ。まるでわたくしが弱い者いじめをしているようですわ。御子様のためによかれと思ってのことですのに」


鈴の音が鳴るように美しい声が悲しそうに染まるが、そこにはちくりと針を刺すような嫌な響きがある。


「フィル殿下がわたくしを教師役に選んだのは、御子様の我儘を正すためですのよ?」


息が止まりそうになるくらいの衝撃に、透花は呆然としたまま顔を上げた。優越感の滲む瞳には僅かに哀れみが浮かんでいる。


「御子様には常識を身に付けていただかないといけませんわ。フィル殿下もお立場上仕方がないとは言え、さぞご苦労されたことでしょう。フィル殿下のためにもしっかりと学んでくださいまし」


フィルが本当にそんな風に思っていたのだろうか。そんな疑問はやっぱりと納得する声にかき消された。


(私なんかが人から好かれるわけがない)


どれだけ優しくされても、嬉しそうな笑顔を向けられても、心の底ではずっとそんなはずがないと思っていた。


(これでいい。これが普通なんだから)


胸がしくしくと痛む気がしたが、甘えていた反動なのだと透花は諦念とともに受け入れた。

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