第23話昼下がりの逢瀬

 劉翔は退屈していた。

 以前のように気晴らしのために気軽に夜の散歩をすること出来ず、扉の前には身辺警備の衛兵がずらり。

 勉強をすれば良いのかもしれないが、朱子(しゅうし、先生)から出された大量の宿題はとっくに終えてしまった。

 こんな時には思いっきり体を動かしたいところだが、暗殺未遂事件が起きてから武術の稽古はできず、一応の解決をした今でも御身の安全のためなどと理由をつけられ老師が不在の際の自己鍛錬は禁じられ、週四の稽古に減らされた。

 居室で木槍や木剣を使っての簡単な鍛錬では体がなまる。誰よりも強くあらねばならんのに。


(父上は戦に出るわけでもないのにというが、父上が不在の時にこの後宮で誰が母上をお守りするというのだ。それに……)


 劉翔の脳裏に、ぼわっとあの少女の姿が浮かぶ。


「うむ、リンリンも退屈してしておるだろう。呼ぶか」


 疑惑が晴れたリンリンは晴れて釈放されたが、体のことを考えて天子から一週間の休みを取るように命じられた。

 本当は一月と言われたが、それは長すぎるとリンリンが頑として譲らす短縮されたのだ。

 今は宮廷総料理長の部下が、後宮の御前房まで手伝いに来ている。

 何よりも料理が好きなリンリンのこと、きっと暇を持て余しているだろう。


 ショウは早速衛兵を通じて、下級宦官にリンリンを呼びに行かせた。


「あっ、そうですか。リンリン料理長を……かしこまりました」


 言いつけられた下級宦官は、ポッと頬を染める。

 これには理由があるのだ。

 あの暗殺未遂が起きた際、ショウはリンリンの疑いを晴らすため、そして彼女の身を守るために父である天子にとある秘密を打ち明けた。


「父上、我はあの者、リンリンとは昵懇の……いや契りを交わした仲なのです! 夜更けの御前房にてリンリンの手料理を幾たびも振舞われ体調を崩したことなど一度もありませぬ」


(契りを交わしたというのは少々大袈裟ではあったかもしれぬが、料理の手伝いをするという意味では契ったことに間違いはなかろう。)


 劉翔は夜の散歩や女人との許されぬ交流について天子に叱責を受ける覚悟で告白したが、それに対する返事は実に意外なものだった。


「はっはっは、まだ童だとばかり思うておったが、ぬしもそのような年になったか。朕がその年のころはまだ女人のことなどよりも、いかにして鬲斎を剣術で打ち負かせるかの方に興味があったな。ぬしは早熟だった高祖父の明倫帝の血を濃く引いているのかもしれんな! ふむ、この分では孫の顔を見る日も遠くなさそうだが、それは成人を迎える十八までは待つのだぞ」

「は、はい……」


 こうしてリンリンは、天子直々に皇太子劉翔の公式の愛妾として認められてしまったのだった。本人の全く知らぬ間に。

 天子と皇太子、二人だけの秘密の会話だったはずのそれは、陳流々の口によって女官、宮女、そして下級宦官までも広められた。

 こうしておけば、釈放後もリンリンにつらく当たったり罠に嵌めようとするものが現れないであろうという劉翔なりの策であった。


「あら、あの子よあの子」

「まぁやだ、まだ小娘じゃないの。おぼこい顔してやるもんね」


 下級宦官に付き添われ劉翔の部屋へと向かうリンリンを見て、口さがない女官たちがひそひそ話をし値踏みするようにじろじろと見てくる。

 しかし当の本人はまるでそのことに気付かず、代わりに頬を鬼灯のように赤らめるのはまだ年若い下級宦官のみだ。


「劉翔太子、リンリン様をお連れしました」


 衛兵をかき分け扉の中へリンリンを通すと、下級宦官は頬を赤らめたままぺこりと頭を下げてそそくさと去っていった。


「うーん、様とかって柄じゃないのに照れるなぁー、わぁわぁ、ショウ久しぶりーってそうでもないか。えっと、あのね、ここ数日迷ってはいたんだけどさ、私にとってショウはショウのまま変わらないって分かったんだ。だからね、二人の時は今までと変わりなくそう呼ばせてもらうね。あっ、ひょっとして劉翔太子殿下とかのがいい!?」


 くりくりした目をじっとこちらに向けてはにかんだような悪戯っぽいような愛嬌のある笑みを浮かべるリンリン、思うところはあったのであろうが、その態度は女友達ショウだと思っていたころと少しも変わらない。嬉しいが幾分物足りなくもある。


「呼びたいように呼べばよい。しかし、そなたに殿下などと呼ばれたら我は笑いが止まらなくなって困ってしまうな」

「あっはっはーそれはお腹がよじれて困っちゃうね。ショウ」

「困るであろう。だからそのままで良いのだ」


 ほんの少しだけ張り詰めていた空気が、一気にそこで緩んだような気がする。

 二人とも同じ思いだった。

 互い以外に誰もいない二人きりの御前房で楽しい夜を過ごしたあの日々が戻って来た。と言いたいところだが、あの時と違うのは扉の外で並んでいる衛兵たち。急に扉を開ければ、聞き耳を立てている者もちらほらいるだろう。

 リンリンが愛妾であるとの噂は、陳流々と関わりのない本宮殿の衛兵にまで広まっているという。

 屈強で下らぬ雑談などしそうにもない強面の衛兵にも噂好き、お喋り好きはいるものだ。


「ふむ、あれやこれや胸襟を開いて話したいものだが、扉の外が鬱陶しいな。リンリン、少々運動をさせることになるが良いか?」


 何かを閃いた劉翔は、リンリンを手招きし耳打ちした。


「うん、別にいいよー。ここのところ寝て起きてご飯食べての繰り返しですっごく退屈してたんだー体を動かしたい気分なの。えっと、壁に立てかけてある木槍とかで武術のお相手とか? うーん、私に出来るかな? えいやっ」


 リンリンは槍を持つ素振りで、めちゃくちゃな突きをする。

 その様子が愛らしくて可笑しくて、笑いをかみ殺しつつ劉翔はブンブン手を振った。


「ぶくっ、いやそうではない。ちょっとこの寝台の足を持ってくれ」

「こう? 何かひらひらの天蓋とかついててすごい立派な寝台だね。うーちょっと重いかも」

「ふむ、ならば手を添えて持とう。これをな、こうやって揺らすのだ」


 ギタン、バコン、ギコン、言われたとおりに共に寝台を動かすが、この行為に何の意味があるのかリンリンにはさっぱり分からない。


「ねぇ、ショウ……これ一体何の遊び」

「うむ、秘め事をしているように見せかけるのだ」

「秘め事?」

「ふむ、そなたはまだ知らんでも良いことだ。ついでにあぁーと声も出せ」

「へっ」

「早う、早う」

「あぁぁぁぁーあー」


 急かされたリンリンは、首をひねりながら慌てて声を出す。


 ギコン、ギシギシ、「ほれ、休むな。休まず声を上げよ」「あぁぁー」

「間抜けな声だな、まぁ良いか」

「あのー、これ何のために」

「まぁ詳しく知らんでよい。こうすればしばし静かになるのだ」

「ふーん」


 勘のいい、いやそうでもない子でも気付きそうなものだが、料理のことで頭がいっぱいで初恋も知らなかったリンリンにとっては、この行為は全く以て不可解な子供の思い付きの酔狂な遊びのようにしか思えなかったのだが、困ったことにその遊びが段々楽しくなってきてしまった。「ほれ、もっと悲鳴のように声を上げて見よ」こう言われた時には、「ああああぁー」とヨーデルのような叫び声を上げてしまったくらいだ。


「うむ、これくらいで良かろう」

「ぞう……」


 ついには声が枯れ、ゲホゲホと咳込むリンリンの背を「無理をさせたな」と優しく撫でながら、劉翔は自分の吐いた言葉が別の意味のように感じられて密かに耳を赤くさせていた。

 そして……扉の外でもガヤガヤとひと騒動が起きていた。


「真昼間から!」

「なんとお盛んな!」

「いやー、武芸だけでなくこちらもお得意とは」


 耳をそばだてて衛兵たちの騒ぎを確認した劉翔は、こくりと頷きリンリンの肩をポンと叩く。


「よし、これでしばし静かになるだろう。リンリン、散歩に出かけるぞ!」

「へっ、どこに」

「まぁ、我についてこい」

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