第12話注文の多すぎる明煌皇貴妃
残暑厳しい夏の終わり、これを乗り切れば食欲の秋到来とバテそうな体に鞭打ちくるくると働くリンリンに、予期せぬ仕事の依頼が舞い込んだ。
昼餉の支度が終わり、いつもの憂鬱な勉強時間がやって来て膳部長室に向かうと、待ち構えていた楊玲が目の前でするすると巻物を解いた。
「さて、リンリンあなた宛てに依頼が着ました。明煌皇貴妃がご夫人方や御付きの女官たちを招いて明日の午後茶会を催されます。そこで、あなたに点甜を作って欲しいとのことです」
「は、はい。承知しました」
明日とはまた急なことだ。しかし、料理長に就任してからもうじき四か月になる。
レパートリーも増えているし、数名の茶会用の点甜ならなんとかなるだろう。
リンリンは深く考えずに了承した。
「それで、明煌皇貴妃は今までにない新しい点甜をご所望です。清涼感がありながら体を冷やさぬものが良いとのことです」
「えっ……」
絶句するリンリンに、楊玲は尚も皇貴妃の要望をつらつらと述べ続ける。
どうやらあの巻物の全てに要望が書き連ねてあるらしい。
「先ず、皇貴妃と貴妃や妃そして嬪の点甜は分けること。ただし、見た目でその違いを明らかにわかるようにはしてはいけない。食べた明煌皇貴妃だけが分かるように、趣向を凝らすこと、そして味をつけず大きさは半分にしたものも一揃いつけること」
何という面倒な要望、これを明日までに用意しろというのか。
リンリンの頬から赤みが消え、血の気が引いてゆく。
「では、本日の夕餉の支度後にいつものように自由に御前房を使って構いませんから、今日の勉強はお休みにしましょう」
算盤が休み、普段なら小躍りして喜ぶところだがそれ以上に面倒な難題を押し付けられ、リンリンは足取り重く炊事場へと戻った。
(明煌皇貴妃……なぜこんな難問を押し付けるのかしら。今日の朝餉の羊肉の雲吞湯(スープ)がお気に召さなかったのかな、それとも……ただ単に無類の点甜好きなだけ!?)
どちらも違う、このような難題を使用人たちに課すのは明煌皇貴妃にとっていたって当たり前のこと、平常運転なのだ。
さしものリンリンも、皇太后の縁戚である趙将軍の息女が明煌皇貴妃であることや後宮のお后方の序列などについても陳流々からあれこれ聞いて理解してはいたが、そのお后方の複雑な人間関係までは何一つ知らなかった。
噂好きの陽気な陳流々も、自分の口からそんな話が漏れたとなっては我が身が危ないと思い固く口を閉じていたのだ。
明煌皇貴妃は側室であり正妻の皇后ではなかったが、皇后に次ぐ二番手という序列を越えて後宮の御妃たちを牛耳っていた。
本来なら一番重要視されるべきである彗瑠皇后は、劉喬帝、現在の天子の父である先代の劉孟帝の時代に戦を交えていた西方の銀星国から和平の証としてお輿入れした。
そんな事情や元来おとなしく読書好きで人と交わるのを好まぬ性質もあり、後宮内で孤立している
聖華皇太后も縁戚であり、明るく華やかでお喋り好きの明煌妃のほうがお気に入りで自室に呼ぶなど可愛がっていた。
御妃達もそんな雰囲気を感じ取り、皇貴妃のご機嫌を取ろうと周りを取り巻き付き従った。
明煌皇貴妃はそんな妃や嬪たちの媚びた目を馬鹿にしつつも、いつか寝首をかかれるのではないかという不安な気持ちも併せ持っていた。
劉孟帝の時代、艶やかな美貌で天子の寵愛を一身に集め、国始まって以来の美女と謳われた煌貴妃が就寝中に撲殺された。
美しい顔が潰され、見るも無残な有様だったという。
劉孟帝が遠征で留守にしていた晩のことだった。
寝所の見張りをしていた女官も宦官も、誰一人怪しい人影を見かけておらず、怒り狂った天子に命じられた兵たちにどんな拷問を受けても、その答えは変わらなかった。
結局犯人は見つからず迷宮入りとなったが、美しさと寵愛に驕り高ぶり他の御妃達を嘲り威張り散らしていた煌貴妃に対する恨みつらみが生霊となって襲ったのではないかと、宦官や女官たちの間でまことしやかに噂された。
そのいきさつについて詳しく知り、同じ煌という字が名に入っている娘に対し、趙将軍は妃達を配下にしても決して気を許すな、そして恨みを買わぬように立場をわきまえさせつつも気を配れととくと言い聞かせたのだった。
そのため明煌皇貴妃は、他の御妃達をあからさまに見下すようなことはしない。
けれど心の中では蔑む気持ちを抑えられないため、一見しては分からぬような格差をつけろとリンリンに命じたのだ。
勿論リンリンは皇貴妃の胸に隠されたそんな理由を知りようはずがなく、ただわがままな皇貴妃様だなと思い、点甜のアイディアをなんとかひねり出そうと苦心していた。
皇貴妃の分だけちょっと変えるというのは後から考えればいいとして、先ずはざっくりと何を作るか決めてしまわないとお話にならない。
(うーん、温かくてヒヤッとしたものだとアイスの天ぷらがあるけど、アイス……卵と乳があるからできないことはないだろうけど、作ったことないしなー似たものだと……)
貯蔵庫に入りめぼしいものを探していた時、パッと目に入ったものがあった。
よく熟れた桃だ。
(そうだ! これでシャーベットを作ろう! それを揚げ饅頭の中にいれれば、さっぱりとして冷たいけど周りの饅頭で体は冷えないだろうし!)
すり鉢で桃をすり潰し、乳を入れてよく混ぜて氷柱の上で冷やす。
その間に明日の朝餉用の饅頭の種を取り出し、形を作っておく。
そして、シャーベットが出来上がるまでの間、他の点甜について思案する。
「うーん、どうしようかなぁ……」
思わず独り言ちると、「何だまた夜更けの零食作りか」ふいに耳元でささやかれ、おまけにふっと息を吹きかけられた。
「びゃひゃぁぁぁ!」
悲鳴を上げて横を見ると、ショウが今にも吹き出しそうな顔をしている。
「何だその叫び声は、面妖な」
「あっ、ショウ! よく来てくれたよーすごく困っていたの」
首を傾げるショウに、リンリンは明煌皇貴妃からの難題を事細かに説明した。
「ふむ、それは難儀だな」
「そうでしょー、取りあえず一つは今作ってるんだけどね。お茶会で点甜一つってわけにもいかないでしょ、あっそういえば女官も招かれてるんだっけ、もしかしてショウも御呼ばれしてる?」
客人に情報を事前に漏らしたとあっては、こんなわがままな要望を出す皇貴妃のこと、どんなきついお叱りを受けるか分からない。
ショウが口を滑らすことがないことはわかってはいるが、味の感想を述べよなどと詰問されたときに何かほころびが出てしまうかもしれない。
リンリンはビクつき、背中を丸めて小さくなった。
「いや、我はそんな茶会があることも知らなかったわ、明煌皇貴妃と会うこともめったにないでな」
「そ、そうなんだー良かった」
これで一安心だ。
リンリンはショウに新作点甜の助言を受けることにした。
「今作っているのはね、桃の氷菓でね。これを饅頭でくるんで揚げようと思ってるんだーそれなら揚げ饅頭のホクホクで体は冷えないよね」
「うむ、聞いているだけで美味そうであるな」
「そーでしょー、でもさ他に何にも思い浮かばないんだよね。冷たいだけでいい、温かいだけでいいならじゃんじゃん思い浮かぶけどさ」
「そうか、体を温めるというなら我は生姜が思い浮かぶな」
「あっ、そうだよね! 生姜生姜」
ショウの一言で何かが閃いたらしきリンリンは、御前房の棚をがさごそと探り甕を二つ取り出すと、貯蔵庫から生姜と寒天を持ってきた。
「何を作るのか決まったのか?」
「うん、生姜のゼ、じゃなくて生姜の甘酒寒天を作ることにしたよ! それに温かい豆の蜂蜜煮を添えることにする」
「ほほう、そちらも美味そうだ」
ショウの助言により生み出された新たな点甜。
リンリンは早速生姜をすりおろし、寒天を甘酒と蜂蜜で煮溶かした。
水を入れず、濃厚な味わいにするつもりだ。
その間に冷えた桃の氷菓を持ってくると饅頭の皮に包み、煮立った高温の油で一気に揚げる。シャーベットが崩れないようにこちらも少量の寒天入りだ。
「さーいっちょあがりっ。ショウー食べてみて」
アツアツの揚げ饅頭をフーフーと息で冷まし、油紙で包んで差し出すとショウはそのままがぶりと被りついてしまった。
「あふっ」
「あーあー、舌火傷しなかった? もっと冷ましてから渡せばよかったね」
「らいじょうぶだ。すぐに氷菓が舌を冷ました。うむ、これは新しい風味だな、揚げ饅頭のこってりとした中にさっぱりと甘い桃の氷菓、良いと思うぞ」
「わー、良かった。でも明日はもうちょっと冷まして出すね……」
「ふむ、それが良かろう」
やせ我慢して熱さを辛抱してくれたショウの献身もあり、一つは完成。
後は生姜甘酒寒天だ。
ふるふるとした黄色の寒天の横に、揚げ饅頭の教訓により貯蔵庫で少し冷ました小豆の蜂蜜煮を添える。
「うむ、これも良い。体の芯がぽうっと温まるようだが、決して嫌な熱さではなく、ピリリとした刺激のある濃厚な寒天と豆がよく合う。これは乙だな、茶ともよく合うであろう」
「わー良かったー。ショウがいなかったら、これは思いつかなかったよー」
これで二つ完成、しかしこれで終わりではない。
後回しにしていた問題が一つある。
「あーでもねー、皇貴妃の分だけ他の人からは分からないように工夫をしないといけないんだ。どうしよう」
「それならば以前食したスモモの砂糖蜜を饅頭にいれればよいのではないか、寒天は色がついておるがふむ……それならば桃をくりぬいた中に寒天を入れ、皇貴妃の桃の器の下にだけ細工をすればよいのではないか」
「うわー、すごい、すごい、感謝だよー」
その鋭い着眼点にリンリンはすっかり感服し、何度も拱手と深々としたお辞儀を繰り返しショウに感謝する。
「よいよい、茶会の前に点甜を先に味わったほんの礼だ」
額を床にこすり付けそうなほどのあまりの感謝感激ぶりに照れたショウは、「まだ暑いな」と火照った顔を手で仰ぎながら御前房を後にした。
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