第15話町中華、後宮を席捲す?
こちらでは芙蓉蛋と呼ばれているかに玉を作り、アツアツの葱油で炒めた炒飯の上に乗せる。若干アレンジを加えたリンリン流の天津丼。結局別々に出すのではなく、双方を合体したあんかけ炒飯の天津丼を作ることにしたのだ。
とろみをつけた鶏がらベースに葱とカニ味噌入りの濃厚なあんをその上にたっぷりかけて仕上げると、涎が垂れてきそうなほど香ばしい匂いが鼻の奥と胃腸を心地よく刺激する。
菅沼飯店ではカニカマを使用してリーズナブルな価格で提供していたのだが、この御前房には週に二度、海沿いの町から新鮮な海鮮物が届けられるため、本物の蟹が贅沢に使用できるのだ。しかも、今はこの大陸の蟹が一番旨いとされる秋、皇太子の誕生日は一番脂がのっていてねっとりと甘い身と新鮮な卵の絶妙な共演が楽しめることだろう。
リンリンはワクワクしながら両手をテキパキと動かす。
(あー、めっちゃ贅沢、本物の蟹のかに玉とか爺ちゃんが見たら、ひっくり返っちゃうよーりん、そんなとんでもない暴挙はやめなさいー! ちゃんとカニカマ使いなさいって)
尤もこの場所でカニカマを作ろうなどと試みれば、蟹風味のエキスなどがあろうはずもなく本物の蟹の汁を使った一からかまぼこを作ることになり、様々な数多の白身魚、そして手間をふんだんにかけたそれこそ贅沢すぎる一品になるのであろうが、そんなことはちらりとも脳裏によぎらずリンリンは目の前の料理に一点入魂の様相を示している。
ただ食べたいだけかもしれないが。
食欲を刺激する香りといかにも旨そうな湯気に心を奪われているのは、小怡も同様だ。
二人は無言で匙を持ち、丼の端と端からかっかっと天津丼に食らいついた。
「はー、美味しかったー。夜の賄いあんまり食べられなくてちょうど小腹が空いていたんだよ」
一粒の米も残らずきれいに空になった丼の前で、二人の少女料理人は腹を押さえる。
満足げに漏らした吐息は、この料理が皇太子の祝宴のために試作されているとはすっかり失念していそうな満たされた食欲の幸福感で満ち満ちている。
「あっ、これきっと皇太子さまも気に入ると思うよ! 十四歳って食べ盛りだもの。故郷の弟もこういうがっつりしたご飯大好きだもん」
今やっと本来の目的を思い出したかのような小怡の言葉に、リンリンもハッと我に返って呼応する。
「そうだよね! 私は弟はいないけど、成長期の男の子はガッツリしたものが好きだもんね!」
夜更けの食欲に負けた自分たちを誤魔化すように、二人は目を合わせてくすくすと笑い合う。
「うんうん、でも主菜はがっつりしたお肉とかじゃないんだよね」
「そうなんだよね、前の試食試験の時の海老の卵油和えのことを陳茶部長がぺらぺらあちこちでお喋りしてたみたいで、それを聞いた皇太子さまが興味持ったみたい」
「わー、すごいすごい、リンリンったら偉い人にまで届く噂をされるなんてすっかり有名人なんだね」
「えー、違うよ。海老が有名になっただけだよ」
「何それー」
目を輝かせて自分のことのように歓喜する小怡と照れてとぼけるリンリン、楽し気な雰囲気はまるで結局通うことのなかった高校での友人と楽しく語らって部活動をしているような気分になって、リンリンはとても楽しかった。
頼りがいがあってうっとりするほど綺麗で、すごく近くで心と心が触れ合っているように思えるときもあれば、雲の上に飛んで行ってしまうようなすごく遠くに感じるときもある一緒にいると憧れに似た感情なのか少しドキドキする秘密の友達ショウ、そして同じ場所で同じ高さで物事を見ているような身近な存在、中学の時に遠くに引っ越してしまった幼馴染みのみゆちゃんとどこか似ていて、知り合って半年余りなのに長い友人のようで一緒にいるとホッとする小怡。こんな二人の大切な友人がリンリンにはいるのだ。
どちらも今のリンリンにとっては、掛け替えのない大切な存在だ。
(皇太子様のお誕生日の祝宴とあれば、女官もきっと宴席に招待されるよね。そしたらショウもこの料理を食べてくれるんだ。)
今は会うことが出来ないショウ、この料理を口にする姿もどんな感想を漏らすのかも自分は目にすることはできない。けれど、やっぱりリンリンの料理はおいしいなって思ってもらいたい。
この場にいないもう一人の大事な友人にも思いを馳せ、リンリンは思いを新たにした。
(皇太子様に美味しいと思ってもらえるように、そして祝宴に出たすべての人にもそう思ってもらえるような人が喜ぶ顔を想像できる料理を作ろう!それが私にできる一番のことなんだ。)
美味しい料理を食べたときの笑顔、お腹いっぱいになった時の幸せそうなふくふくの顔、幼いころから見続けていたお客さんたちの様々な笑顔がリンリンの脳裏に次々に浮かぶ。
今はこの後宮で暮らす人々にあの笑顔になってもらうことが、リンリンの役目なのだ。
「ねぇ、小怡、やっぱり主菜ももう一つ作ろうと思うんだーがっつり目のやつ、それに前菜や点甜も新しく考えたい。引き続き力を貸してもらえるかな」
「もちろんだよ! 言わなくてもわかってるでしょ」
一も二もなく小怡は了承してくれた。
こうしてリンリンはこの日二つ目の料理、主菜の二品目の試作に取り掛かった。
作るものはもう浮かんでいる。
小怡としていた雑談で、すぐにこれがいいと決めた。
ピリ辛の中華手羽先だ。菅沼飯店の表メニューにも裏メニューにもない。
りんの誕生日やクリスマス、行事ごとにはいつも祖父が作ってくれたがどんなに頼まれても店では決して出さなかった菅沼家の特別な家庭料理なのだ。
始めは店で出していたのと同じ唐揚げにしようとも思ったのだが、炒飯と一緒では油が重くなってくるかもしれないし、それよりなにより後宮という大きな家庭ともいえる場所でりんがずっと食べて来た家庭の温かで特別な誕生日メニューを出して皇太子にも食べてほしいと思ったのだ。
この後宮において、皇太子が母の手料理を食べることなど先ずないのだろう。
今までの祝賀の儀の料理も晩餐会仕様のゴージャスなご馳走がずらりと並んでいたのだろう。けれど、皇太子は自分への伝言でそのような料理は望まないと言ったのだ。
ひょっとしたら、家庭の味そんなものへの郷愁のようなものがあるのかもしれない。
ならば家庭的で、けれど特別なこの祖父直伝の手羽先が一番ふさわしいのではないのだろうか。
リンリンは自分が受けて来た祖父からのたっぷりの愛情をこの料理に注ぎ込むようにして、懸命にピリ辛手羽先作りに打ち込んだ。
以前ショウに手伝ってもらい甘酒用の米麹を使って作った自家製の豆板醤とニンニク、酒と蜂蜜を混ぜたものを胡麻油で片栗粉をまぶしてから軽く焼いた手羽先に塗り、中華鍋で蒸し最後にもう一度焼き、仕上げに炒った白胡麻をぱらぱら。これを炒めた空心菜の上に盛り唐辛子卵油で皿を縁取れば、色味も鮮やかな特製ピリ辛手羽先お誕生日バージョンの完成だ。
「わー、皮がパリパリで噛むと肉汁がじゅわっとする。辛すぎずにちょうどよくピリッとして甘みもコクもあってこれもとっても美味しいね。空心菜に唐辛子卵油をつけても美味しいしどんどん箸が進んじゃう! さっきもうお腹いっぱいで大満足だったのに、まだ全然食べられるよ」
卵油振り、豆板醤塗り、空心菜炒めを手伝いつつ料理の出来上がりに興味津々だった小怡はまたしても細い体に見合わぬほどの旺盛な食欲でむしゃむしゃと手羽先を平らげる。
その食べっぷりが実に小気味よくて、自分が味見するのも忘れリンリンはどんどん小怡の皿に手羽先を乗せ続けた。
「気に入ってくれて安心したよー。さぁさぁどんどん食べて」
「やだリンリンったら、もう後は寝るだけなのにこれ以上食べたら私明日の朝起きたら牛になっちゃってるかもしれないわ」
「あはは、そりゃいいね。明日からは山羊じゃなくて牛のお乳を朝餉に出せるようになるね」
「もー、変なこと言わないでよ。それに牛の乳って飲めるの?」
宮廷や後宮で用いられる農産物を栽培し家畜を飼育している御料牧園でも南方の国から仕入れた乳牛は飼われているのだが、乳の生産量が少ないため普段の食事には使用されず主に薬用として使われていた。
庶民の間ではそんなことも知られておらず、乳といえば山羊の乳のことなのだ。
「飲める飲めるーそれより小怡ったら牛になるって言った後にモーだって! アハハもう牛になっちゃってるよ」
「バカバカッ」
「冗談冗談、明日もどうせ忙しいから動いてたら今日食べた分くらいすぐに消費されちゃうよ」
「うーん、それならいいんだけど」
「それに小怡って折れそうに細いからもっともっと食べた方がいいんだよ。まぁできればこんな夜中じゃない方がいいけど、って食べさせてる私が言うことじゃないよね」
「本当だよ!」
「あははごめーん」
忙しさのせいか、元々痩せぎすだった小怡の体はより細くなったように見える。
以前はちょうど良かった寝巻も、少しダブついているようだ。
(うらやましい、とか思っちゃだめだよね。あんまり細すぎても体には良くないだろうし、でも……)
夜の試作と試食のせいか以前より少々むっちりしてきたような自分の頬を指できゅっとつねりながら、リンリンはふぅっとへの字になった唇から吐息を漏らした。
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