第16話誕生日といえばケーキでしょう!
誕生日にはやっぱりケーキがなくちゃ! リンリンの頭の中は今そんな考えで埋め尽くされている。
前菜のくりぬいた南瓜の器の中に蒸してすり潰した南瓜と軽く炒めた玉ねぎ、そして春雨を和えた南瓜サラダを入れ、食べる前にお好みで絞る用の青蜜柑の櫛切りを器の縁に添えて横には車輪に仕立てた小さな饅頭を置いた南瓜馬車、湯(スープ)は茄子と豆腐といんげんの具の上にふわふわに泡立てた卵を浮かべたふわふわ卵湯と立て続けにすんなり決まったのだが、残る点甜がリンリンを悩ませていた。
自宅で最後に過ごした十五歳の誕生日、祖父はいつものように商店街のなじみのケーキ屋に予約していた子犬の形をしたわんわんケーキを買ってきて、蝋燭を十五本灯してくれた。
さすがに十五本ともなるとケーキの上は大渋滞で消すのも一息では無理だったが、笑いながら何度も消すとき食卓の上には笑顔があふれ、今でも寝台で目を閉じるときあのしわくちゃの笑顔が時折浮かぶ。
ケーキ用の小さな蝋燭などここにはないからそれは無理として、あの楽しく幸せな雰囲気を皇太子にも味わってほしい。
そうは思うのだが、この国にケーキで誕生日を祝う習慣などない。
そもそもケーキがない、見たことが無い。
自宅で手作りケーキを作ったことは何度かあるが、ここにはベーキングパウダーもバターもない。バターはマヨネーズと同じ振り振り戦法で山羊乳から作れるとして、問題はベーキングパウダーだ。饅頭のように酒粕や残り生地を使って発酵させるというのも何か違う。
それで作ったら、謎の饅頭パンもどきが出来上がってしまいそうだ。
薄い餅(ビン)にジャムを塗り重ねてミルクレープ風にするという手もあるが、いくら手軽なものでいいと言われたとはいえそれでは余りに手抜きではないか、もっと他にないものか。
うんうんと考え込んでいるうちに、中学時代に所属していたクッキングクラブの顧問の先生が調理の合間にしていた雑談をふと思い出した。
「この前バターとベーキングパウダーをうっかり切らしてしまったのよね。でもどうしてもパウンドケーキが食べたかったものだから、メレンゲで代用して作ってみたらちゃんと出来たわ」
パウンドケーキ、いわゆるお誕生日ケーキとはちょっと違うかもしれないが、可愛くデコレーションをすれば皇太子にも祝宴の参加者たちにもお祝いムードを楽しんでもらえるかもしれない。
祖父のノートの裏表紙に、先生が教えてくれた作り方を頭をひねって思い出しては書き留めてゆく。お菓子作りは正確な計量が命、そこまでしっかり覚えていないため不安は残るが、美味しくそして楽しい誕生日を実現するため、リンリンはケーキを完成させるために仕事以外の全ての自分の時間をつぎ込む覚悟でこの挑戦に臨む覚悟をした。
「小怡、卵白を泡立てるのを手伝ってほしいの!」
文字通りの細腕の小怡に頼むのは気が引けたが、夜の炊事場には男性料理人はもういない。
自分と小怡の二人でやるしかないのだ。
今回は皇太子の祝宴という特別な事情のため自由に使って良いことになった砂糖を加えながらぐるぐるぐるぐる交代交代に泡立て器で掻き混ぜるが、文明の利器に慣れ過ぎていたリンリンの弱い力と小怡のか細い腕の力ではなかなか泡立ってくれない。
楊玲を通じて宮廷御用達の小間物職人にリンリンの描いた図面を渡して作ってもらった少々無骨な竹製の泡立て器はかなり役に立ってはくれるが、やはり電動のハンドミキサーとはパワーが違い過ぎるのだ。
(こんなときにショウがいてくれたらなぁ。)ため息を吐きそうになるが、そんな暇もない。ぐるぐるぐる掻き混ぜ続けて腕が痺れそうになったころ、カタンと扉付近で物音がした。
ハッとして二人同時に振り返ると、そこには赤い炎に照らされてゆらゆらと揺らめく赤い顔がぼおっと浮かんでいた。
「ぎゃぁぁぁぁぁ!!」
「お化けぇぇぇぇ」
二人の金切り声が、御前房中に響き渡る。
「もぉ、うるさいわねぇ。この麗しい顔がお化けに見えたなんて失礼しちゃうわ」
赤い顔は、片手で耳を押さえて呆れ声を出した。
その正体は、小さな松明を持った陳流々だったのだ。
「ち、陳茶部長、すみません……」
「炎で照らされてて、顔が分からなくて……」
すっかり小さくなってしょぼくれた二人の前にすたすたと歩み寄った陳流々は、二人が掻きまわしていた椀を覗き込んだ。
「この白いでろでろは一体何なの?」
「あ、あのそれは点甜の材料で、本当はふわふわに泡立てたいんですけど力が足りないみたいで」
「ふぅん、貸しなさいよ」
ひょいと椀を持った陳流々はがしゃがしゃと力任せに椀を掻きまわし、その中身は飛び散りつつもむくむくと盛り上がりもったりと泡立った。
「簡単じゃないのよ」
「あ、ありがとうございます」
こうして何とか出来上がったメレンゲに竹ざるでふるった小麦粉と卵黄、油、細かく砕いた乾燥胡桃と青蜜柑の薄切りを加えて陶器の型に生地を流し込んで竈で焼いたパウンドケーキは、ものの見事に失敗した。きちんと膨らまずぺしゃんこの煎餅のようになっていたのだ。
食いしん坊でつまみ食い好きな陳流々ですらチラ見してからすぐに目をそらし、一口も口にしようとしなかった。
「あ、味は悪くないよ」
気を使って恐る恐る口に運んだ小怡の優しい言葉が、胸に痛い。
がっくりと肩を落としたリンリンは、寝台の中で顧問の先生の言葉、メレンゲ作りのコツについて教えてくれたことを必死で思い出そうとした。
(メレンゲ、メレンゲ、ハンドミキサーでちょちょいと作ってたから人力でやるのがこんなに大変だって知らなかった。お菓子作りが得意だなんて、この程度でよく言っちゃってたよ。恥っ、昔の私めっちゃ恥っ)
しかし、どんなにジタバタと恥ずかしがろうとも、それでメレンゲが上手く泡立つわけではない。
ここで頼りになるのは、自分自身の記憶、それのみなのだ。
まんじりとしないまま空が白み始め、少しうとうとしてまどろんだ浅い夢の中で誰かが手順良くメレンゲを泡立てている。
凝らした目の先に見えたのは、クッキングクラブの顧問の先生ではなく祖父の姿だった。
「りん、これ白身を泡立てて衣にして小海老の天ぷらを揚げると旨いんだぞー。ふわっとしてな」
そうだ! 祖父の作ってくれた小海老の天ぷら、あの時のあの白い泡はメレンゲだったんだ。どうして忘れてしまっていたんだろう。リンリンは飛び起きて思い出したことをささっとメモ書きした。これで大丈夫、パウンドケーキは上手く出来上がる。赤く充血した目をこすりながら、ノート片手にガッツポーズを決めていると【コケココッコー】と威勢の良い鶏の鳴き声が聞こえて来た。朝が来た、もう仕事の時間なのだ。
時折欠伸をしつつも、この日のリンリンは勇ましく実にくるくるよく働いた。
一日の仕事を乗り切れば、パウンドケーキをまた作ることが出来る。今度は失敗作ではなく、きちんとしたものが出来上がるに違いない。その自分への期待で胸が膨らみ、踊るような胸の高鳴りが眠気を吹き飛ばし、小さな体いっぱいにやる気を漲らせていたのだ。
昨夜遅くまで付き合わせてしまった小怡には休息をとってもらい、リンリンは一人で調理台の前に立つ。
メモ書きしたノートは持って来ていない。すべて頭に叩き込んだ。
気を付けなくてはいけないのは三つ、水分や黄身がほんの僅かでも混じってはいけない。卵白は良く冷やしておく。砂糖は少量ずつ、空気と一緒に混ぜる。
たったそれだけのことなのに、浮足立った昨日の自分にはそれが出来ていなかったのだ。
気を引き締めて、三つのルールを守ってメレンゲを泡立てる。
「はー、上手くいった」
腕はやはり疲れたが、昨日の失敗が嘘のようになめらかな白い泡が出来上がった。
昨日とは全く違う生地を陶器の型に入れて蓋をし、竈に入れてクッキングクラブのキャンプで作った飯盒パンのことを思い出しながら火箸で薪を掻きまわして火加減を調節する。火の粉が飛び散りそれが顔に向かってきようが熱さも気にならないくらい集中して、焼きあがるのをじっと見守った。
甘い香りが竈から湧き出して来たころに火箸で型を取り出し、蓋を開ける。
「やった! しっかり膨らんでる」
「あらー、なかなか美味しそうじゃなーい」
一人のはずのリンリンの背後から、聞き覚えのある甘ったるい声が聞こえる。
そろそろと振り返ると、やはり陳流々だ。
何故この人は、いつも足音も立てずに忍び寄るのであろう。首を傾げるリンリンをよそに、陳流々は、アツアツのパウンドケーキにポスっと匙を差し込み、そのまま口に放り込んだ。
「あふっ、でもなにこれ、やだーあたしこんなの初めてだわ。うん、いいわよこれ、青蜜柑の酸味と胡桃の香ばしさとふっくらした甘い餅? すべてが絶妙にしっとりと絡み合っているわ」
陳流々の称賛の声に、リンリンの頬は思わず緩む。
彼に褒められたことが嬉しくて心がとろけたというわけではない。これで皇太子の祝宴に、誕生日ケーキを出すことが出来るという喜びと達成感からだ。
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