第24話秘密の中庭

 さっきまでガタガタと揺らしていた寝台、劉翔がその後ろの棚を動かし小さな燭台をぐるりと回すと、そこに小さな隠し扉が現れた。

 言われるがままにその扉をくぐると、そこには細くくねり長々と続く通路があった。


「大きな声は出すなよ」シイーっと中指を唇に立てた劉翔にこくりと頷き、彼の持った蝋燭の火だけを頼りに通路をゆっくり歩いてゆく。

「転ばぬように、我の服の裾を持て」その言葉にも小さく頷くだけで、声は出さずに裾を持ちゆっくりゆっくりついてゆく。

「大きな、であって、声を出すなというわけじゃないぞ。息もしろ」そう言われるまで息までも止めていたリンリンは、ぷはぁと大きく息を吐き、それから思い切り吸い込んだ。


「はぁぁ、何か喋ったらダメダメって思ってたら、勝手に息も止めちゃってたみたい。苦しかったー」

「ははは、誠にそなたは愉快極まりないな」

「だって、ショウがぁ」

「我のせいにするなよ」


 声を潜め、笑いをこらえつつたどり着いた先、扉を開けるとそこには後宮の中とは思えないような緑と花に満ち溢れた光景が広がっていた。


「わぁ、すごい。こんな花園が後宮にあったなんて!」

「うむ、ここは父上と母上、そして我だけしか知らぬ家族だけの秘密の中庭なのだ。まぁ正確に言えば植物の世話をする爺もしっておるがな」


 リンリンの感嘆の声に、ショウは満足そうに何度も頷いた。


「わーそんな場所に私が来ちゃっていいのかな」

「問題ない。父上にも母上にも、そなたを連れてきて良いと承諾を得ている」


 天子だけでなく、彗瑠皇后もリンリンが劉翔の愛妾と認めているのだ。皇后の言葉では愛妾ではなく幼恋人となっているが。「あの素敵なお料理を作ってくれている料理長でしょう。まぁ、翔と年の変わらない女の子なのね、それは素敵ねぇ」天子とリンリンの話題になった時、皇后は嫌な顔一つせず息子に仲の良い友達が出来たように喜んでいたと劉翔は聞いた。

 嫁姑の問題は全くなさそうだと安堵する劉翔であったが、そんな事態になっているとは当人の一角であるリンリンはもちろん知らない。

 どんないきさつで自分がここに招き入れてもらえたかもつゆ知らず、久しぶりの自然の中で飛び跳ねるような勢いで大はしゃぎしている。


「ねーねーショウ、春じゃなくて残念なような気もしたけどそんなことないね。秋の花もとっても素敵だもん!」


 白と桃色の秋海棠、深紅の女王然とした薔薇、凛とした青紫の桔梗、色とりどりの花の合間を踊るように軽やかに舞うリンリンに「気に入ったものがあれば摘んでも良いぞ」と劉翔が声をかけると、リンリンは艶やかな薔薇の横ではなく野花のような白く小さな花の横にふわりと腰掛け、その野花で何やら編み始めた。


「ショウ、ショウ、こっちに来て」呼ばれるがまま横に腰掛けると、リンリンはその編んだものを劉翔の頭にそっと乗せた。

 それは、花冠であった。


「うん、似合う似合う。花の王様みたい」


 邪気のない顔でケタケタと笑うリンリン、この者にとっては自分は皇太子でも未来の皇帝でもなく、ただ一人のショウという人間であるのだ。

 その温かな感情を噛み締めるようにしてそっと肩を寄せると、リンリンは顔を覗き込み意表を突いた言葉を漏らした。


「あのさー、扉の前の衛兵さんたち、急にガヤガヤしてたでしょ。ひょっとして私たちがレスリ……格闘でもしてるのかと思ってたんじゃない? 急に入ってくるんじゃないかと冷や冷やしちゃったーでも直ぐにシーンとしたね」

「ははは、入っては……来んだろうな」


 一つ年かさであるのに初心で何も知らぬリンリン、微笑ましいとショウの心は一層ほのぼのと温もる。このまま肩を寄せ合い、温もり合うか。そうしておればそのうちこのリンリンも我が男であると意識するやもしれん。劉翔がより肩を寄せようとすると、リンリンの肩はすっと動き、「あぁっ!」と大きな声を上げた。

 肩透かしをされたことに消沈しつつリンリンが目を奪われた先を見ると、そこには小さな林檎の木があった。


「あれがどうかしたか?」

「あれっ、林檎、林檎だよね」


 リンリンは妙に興奮している様子だ。


「それがどうかしたか?」

「うんうん、実もいっぱいなってるね。わー食べたい!」


 やはり、このリンリンが何より気になることは、食物のことなのだ。

 劉翔はそっと顔を後ろに向け、はぁっと溜息を吐いた。


「ふむ、しかし我はあれを食したことはないな。果たして食えるのかどうか」

「大丈夫大丈夫、食べてみようよ!」


 リンリンはひょいひょいと木に駆け寄るとえいっと背伸びをして、赤く熟れた実の一つをもいだ。


「うーん、でも私もこういう小さい林檎は初めてなんだよね。どんな味か分からないし残したらもったいないから、一緒に食べよ!」


 何という提案、正気か! と思いつつもその誘いを断ることが劉翔に出来ようはずもないのだ。



「じゃあ、私はこっち、ショウはこっちね」


 言われるがままに、小さな林檎の端と端に同時に齧りつく。

 思わず瞑ってしまった眼を薄く開けると、向こう側のリンリンも目を閉じて林檎に齧りついている。小さなぷっくりとした唇は半開きになり、果汁がその端に滴っている。

 林檎越しに接吻をしているような心持ちになり、心の臓が破裂しそうにバクバクする。唇が気になって気になって、酸っぱいのか甘いのか林檎の味も感じられない。

 目の前のこの娘が天真爛漫な天女なのか、はたまた無意識の誘惑の悪女なのか劉翔には分からなくなってくる。


「そなたは中庭で木の実を食む子リスのようだな。頬が膨らんで目がくりくり」困惑を隠すように口から飛び出したからかい口にリンリンはぷーっと頬を膨らませ、ますます子リスのようになった。

 またあどけない表情に戻ったその姿を見て、握られた主導権が自分に戻ってきたような心持ちになって劉翔はほっと胸を撫で下ろし、「ショウったら、からかってばっかり」とぶんぶん振り回しているリンリンの腕をぎゅっと掴み、その手首に懐から出した腕輪をするりと嵌めた。


「これを身に着けていろ」

「えっ」


 嵌められた腕輪をまじまじと見ると、キラキラと輝く透明感のある紫色のそれは紫石英(アメジスト)の勾玉で作られていた。


「えっ、こんな高価なものもらえないよ。今までも手拭いやら寝巻やら貰ってるのに」

「この紫石英はな、寄ってくる邪気を払い災いから身を守る石と言われておるのだ。先日のような災難がそなたに降りかかれば心配で我の身がもたん! だからつけろ」


 外して返そうにも、劉翔はぎゅっと手首を握ったままでとても外せそうにもない。リンリンはそれに込められた温かな気持ちと共に有難く頂戴することにした。


「邪気を……ありがとう。心配してくれてたんだよね」

「ふん、そなたの料理を食せなくなるのは惜しいからな」

「ふふふ、それでも嬉しいよ。ショウはこの後宮で作った私の料理を初めて食べてくれた人だもの……でも何もお返しができないのはちょっと心苦しいかな」


 本心だった。この場所でリンリンが提供できるのは料理のみ、でもそれは自分の仕事でもある。それでお返しになるというのだろうか。

 そんなリンリンの気持ちを知ってか、ショウは俯いたリンリンの手をふんわりと優しく包み込み、ある願いを口にした。


「それならば、そなたに是非頼みたいことがある。実はな我の暗殺未遂事件後より母上の元気がない。食欲もないので、何か元気づける点甜を考えてほしい」

「それなら! 私にいい考えがあるよ」


 リンリンはパッと顔を上げ、林檎の木を指さした。


「あの林檎を使って作りたいものがあるの。あの隠し通路って御前房にも繋がってる?」

「うむ、貯蔵庫の裏に繋がっておるぞ」

「よし! じゃあ、林檎何個かもいで早く行こう!」


 今度はリンリンが林檎を持った劉翔の手首を掴むとグイグイと引っ張り貯蔵庫への道を急いだ。そして、ちょうど昼休みを取っている料理人たちに気付かれぬように手鍋と砂糖、それに箸を持ち出すとまた隠し通路を通って彗瑠皇后の居室へと向かった。


「彗瑠皇后陛下初めまして! 料理長のリンリンです」

「あ、母上、ごきげんよう」


 点甜のことで頭がいっぱいだからか、初めて会う皇后にも全く物おじしないリンリン、その後ろからおたおたした様子で顔を出した息子を見て、彗瑠皇后はくすくすと楽しげに笑っている。


「あー、やっぱり暖炉はある! すみませーん、ちょっとお借りします」


 リンリンは持ってきた手鍋にざらざらと砂糖を入れ茶用の水瓶から柄杓で水を少々拝借してその上にかけ暖炉にかざして溶かすと、箸に挿した林檎をその中に浸した。


「これで飴が固まったら出来上がりです! 窓辺にちょっと置きますね」


 突然風のように現れて勢いよく点甜を作った少女の姿とその一点の曇りもない笑顔を見て、彗瑠皇后は何故息子がこの少女に惹かれたのか分かるような気がした。自分もまた出会ったばかりのリンリンに魅了されていたからだ。

 リンリンもまた会ったばかりだというのに、少女のようでいてでも全てを包み込むような温かな母の顔を見せる皇后の前にいると、安心感に包まれるような自然体でいられるような不思議な繋がりのような気持ちを覚えていた。


「まぁ、パリパリとした飴の感触とシャキシャキの林檎、甘みと甘酸っぱさが同時に来てこれぞ甘露の味ね。ありがとうリンリン、こんな素敵な点甜はじめてよ」

「ありがとう存じます。彗瑠皇后陛下」

「うむ、美味だな。美味」


 甘い空気に包まれた柔らかな二人の空間に、取り残されまいと劉翔も割って入る。二人が仲睦まじくなるのは結構だが、のけ者にされるのはごめんだ。

 息子の慌てた割り込みに、皇后はまたしてもくすくすコロコロ鈴のような音色で笑う。


「リンリン、本当に可愛い子、私あなたのことすっかり気に入ってしまったわ。これからも私の息子、翔と幾久しく仲良くしてあげて頂戴ね」

「はいっ、勿論です。ずっとずっと仲好しです」


 こんな二人のやり取りを見つつ、(リンリンは母上の言葉の真意に気付いていない、意味が分かってないのだろうな)劉翔は一人苦笑するのであった。

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