第21話劉翔の密かな奔走

「まさか。あの者が、リンリンがそんなことをする筈がない」


 暗殺未遂の一報を受けた劉翔が漏らしたのは、自分の身を案じる言葉ではなかった。

 あの日、退屈しのぎにふらりと出かけた夜の散歩で出会った少女料理人。

 ひょんないきさつで試験用の料理の手伝いをすることになったが、三度の毒見後の冷めきった食事しか知らなかった劉翔にとって、あつあつ出来立ての料理を明るく朗らかで気の置けない友人のように自分に接するリンリンと共に食すあの御前房での日々は、至福のひと時だったのだ。日中の勉強や武術の稽古の時にも時折思い出しては夜の楽しみに思いを馳せ、夕餉は軽く済ませて腹を減らしておくほどだった。


(衛兵や高官どもは楊玲が自分の息がかかった者を御前房に引き入れ我の謀殺を図ったなどと言うておるらしいが、そもそもリンリンは東北の茶屋での総菜が評判になって呼ばれたのであり楊玲の独断などではないのだ。)


 どう考えても、リンリンがこの毒入り点甜に関与しているとは思えない。

 いつものように女装して御用房の料理人達や下男下女に探りを入れようかとも思ったが、自室の扉の前にも衛兵がずっと待機しているうえ、よしんばそれを撒いたとしても今は自分の顔を知っている衛兵や宦官達が後宮内のあちこちで目を光らせていて、自由に身動きが取れない。


「陳流々を呼べ」


 劉翔は扉の外のいかめしい顔つきの衛兵に、茶部長である陳流々を呼ぶように申し付けた。

 すると、彼はまるで待ち構えていたかのように廊下の先からひょこっと顔を出したのだ。


「劉翔太子、そろそろ呼ばれるんじゃないかと思いまして待機しておりました」

「相変わらず抜け目がないな、まぁ良い呼びに行く手間が省けた。中へ入れ」

「はいはーい。お邪魔いたしますー」

「陳流々、そちに頼みたいことがある」

「はい、存じております。子羊、リンリンの無実を証明なさりたいのですね」

「話が早いな」


 皇太后のお気に入りである陳流々であるが、鬲(レキ)将軍の命で密かにこの後宮での諜報活動もしている。

 鬲将軍とは天子の乳兄弟であり腹心の友、そして最も信頼を置く部下である。

 鬲将軍と陳流々の出会いは、劉翔の誕生する二年ほど前まで遡る。


 流々は大陸内を芸事をしながら旅してまわる流浪の民の一族として生まれた。しかし、両親と早くに死に別れた後ははぐれ民として一人で放浪し盗みを働いて生き延びていた。

 そして、流々はあるとき砂漠の中に見たこともないほど立派な宿営地を見つけた。「どんなお大臣が来たのやら、しめしめ当分銭にも食い物にも困らなさそうだぞ」数多の護衛の目をすり抜けて侵入した流々がお宝の入っていそうな絹の袋に手を伸ばしたその時……「このわっぱどこから入って来た!」大男に後ろから羽交い絞めにされてしまった。人の気配に敏感な逃げ足の速い流々にとって、こんなことは初めてだった。

 その大男が鬲将軍、流々が侵入したのは天子の宿営地だったのだ。


「す、すまねぇっす。は、腹が減って」


 適当な言い訳で逃げようとするが、男の腕の力は少しも緩まない。


「お前、素人ではないな。この浅黒い肌に栗色の巻毛、そして大きな目玉さては流浪の民か」


 流浪の民は表向きは旅芸人だが、その誠の姿は諜報を生業とする一族である。そのことは国の最上部しか知らないはず。流々はそこで初めて自分がとんでもないところに盗みに入ったことに気付いた。

 もう自分もここまでか、天子のところに盗みに入った罰として手首を斬られて、いや首を刎ねられるのかもしれないなどと悪い考えを巡らせたが、意外にも鬲将軍はそのどちらもしなかった。

 それどころか、護衛の目を軽々とすり抜けたその手腕に目をつけ咎めるどころか諜報部員として働くように命じたのだ。

 そして、流々は鬲将軍の縁戚である陳氏の養子になり教育を受けその後宦官として後宮入りすることになった。養子に出した後も鬲将軍は折を見ては土産の菓子を携えては流々のところを訪れ、数多の地域の愉快な話をしてくれ武術の稽古をつけてくれた。

 そして、宦官になることが嫌になったらすぐ言え他の道を探すと意思も尊重してくれた。

 流々は胸の内だけで父と慕う鬲将軍の役に立ちたいという思いから、宦官となりこの後宮で天子とその家族のために間諜として働くことを決意したのだ。


「えぇ、ところで頼みごとがあるというのであれば……」

「見返りか」


 劉翔は母方の祖父、西王からの贈り物である緑明石を差し出した。


「あら綺麗! では、早速サクサクと仕事して来ちゃいますねー」


 にんまりホクホク顔の陳流々はひったくるようにして劉翔の手から緑明石をもぎ取るとさっさと懐にしまい、部屋を後にした。

 その風のように消えゆく後姿を見つめながら、劉翔ははぁっとため息を吐いた。

 陳流々は忠臣である。鬲将軍のそして彼の仕える天子とその家族に。だが、贈り物好き、宝飾に目がないのもまた事実なのだ。


 そして、数日後に真相は判明した。

 御前房の料理人、平の元で一番長く働いていた梁(りょう)の帽子の中から小怡の口の端についていたものと同じ鈴蘭の実を粉にした赤い毒と一通の文が見つかったのだ。

 それはこの暗殺を無事にやり遂げれば、趙将軍の屋敷に呼び寄せて副料理長にしてやるという平からの念書だった。

 ことが済んだ後に捨てればいいものを、余りに杜撰そしてその理由も実に甲斐ないものだった。証拠を残したのは、副料理長にしてやるという平の言葉を証拠として残しておきたかったのだと取り調べの際に梁は言った。

 互いに信用など一切していない間柄だったのだ。

 リンリンの出世を妬み、自分が追い出された恨みを晴らそうとした平による犯行、ということで一応の解決は得、楊玲とリンリンは自由の身となったのではあるが、ことはそう単純ではなかった。


「私はある方に命じられただけです!」牢に入れられる直前、平はそう叫んだ。取り調べの時に真実を話すとも、しかし翌日牢番が見に行ったとき、平は毒を飲んで息絶えていたのだ。自害ということで片づけられたが、衣服は牢に入れられる時に確認されていたはずだというのに。その日、取り調べをするはずだった法官は、趙将軍の娘婿の一人だった。

 趙将軍から招聘された平、そして法官、そこかしこに趙将軍の影が見え隠れしているのに肝心の証拠がない。梁はそれについては何も知らず、真実を知る平の口は永遠に封じられてしまった。

 忸怩たる思いの劉翔であったが、そんな中でもリンリンの無実が証明されたのは一筋の光明であった。


 リンリンの潔白、これは事件に関与した梁の証言からではなく、陳流々の機転により証明された。

 昏倒する前に小怡が口にした点甜、皆が慌てている間にその全てを保存し宮廷医の元に持ち込んでいたのだ。

 宮廷医は数日かけて南瓜とイチジクの蒸豆腐、そして青蜜柑の餅を調べに調べ鼠に与えたりして毒物が一切入っていないことを確かめた。

 つまり、劉翔が緑明石を与える前に自身で既に動いていたということだ。

 後にその事実を知った劉翔は、「あわよくば宝石も欲しいというやつの思惑に、我がまんまと引っかかってしまったということか」と苦笑を漏らしたが、リンリンの無罪という喜びもあり特に咎めるようなこともしなかった。

 しかし、小怡が何故点甜に混入していなかった鈴蘭の実の毒を口にしたのかという問題、それが陳流々の調べによって解明されたとき、劉翔の胸には趙将軍の問題とはまた違う影が差したのだ。


 小怡は恋をしていた。

 御用口で卵と乳を受け取るときとちらりと一瞬だけ凛々しい横顔裏門を守る門番の衛兵、声をかわすどころか目が合ったこともない、一瞬みられるだけそれだけで幸せな秘めた恋。

 しかしその視線に目ざとい下級宦官が気付き、梁がその噂話を立ち聞きし恋心を利用した。

「顔色が悪いと門番が気にかけ漢方を俺に渡してくれと」それを信じた小怡は漢方に混ぜ込まれた毒を毎日毎日、知らず知らず飲まされていた。そして祝宴当日、「これは滋養にいいから天子様や皇太子殿下の点甜に振りかけろ」梁は紙に包んだ混ぜ物なしの赤い粉を渡してきた。しかし小怡は入れなかった。リンリンが丹精込めて作り上げた点甜の味が損なわれるのを恐れたからだ。

 彼女が昏倒したのは、体内に少量ずつ蓄積された毒によるものだった。恋心を利用され、毒の実験台にされた上に毒見の代役になったのを梁にこれ幸いととらえられ暗殺の実行犯に仕立て上げられそうになっていた小怡は、自身の友情に従ったことにより図らずも最悪の事態を避けることが出来たのだった。

 知らなかったとはいえ、毒見役自身が関与していた。そして裏にある趙将軍への疑義、これらは天子の信頼のおける側近、そして今は趙将軍の副官としてつきその動きを探っている鬲将軍、陳流々と楊玲という僅かな者しか知らず、彼らにも箝口令が敷かれている。


 陳流々と楊玲には決してリンリンに悟られぬようにと固く口留めし、料理人には陳流々の手配で諜報に優れたものが入り目を光らせている。

 二度とあんなことは起こさせない。


 リンリンは休養しているだけだと思っているが、小怡はもう後宮には戻っては来ない。

 年明け早々、小正月の行事前にあの密かに恋焦がれていた門番のところへ嫁に行くのだ。

 その後門番は役人として、小怡の故郷の村に赴任することになっている。

 騙されて加担しただけではあるが、良心の呵責に耐え兼ねリンリンに真相を打ち明けてしまうのを避けるためだ。

 傷つけたくはない。


「友が去って寂しいのなら、我が友であろう。家族が必要であるならば我がそれにもなろう」


 この後宮でリンリンを守り抜く、決して一人にはさせない、劉翔は固く決意した。

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