第20話天子との謁見
釈放の日、リンリンを迎えに来たのは陳流々だった。
「あら、子羊ちゃんすっかり貧相になっちゃって、これじゃあ子羊って言うより毛を刈られてぶるぶる震えてる裸羊ね。これなら格子のすき間から自分でひょいって出れたんじゃないの」
変に優しい言葉よりいつもの軽口の方が、やけに胸に沁みる。
「さぁ、食べて力をつけなさいよ」ふところから出された饅頭、まだぬくもりが残っていて一口食むとはらりと涙が零れた。
「やーねー、べそべそと泣いているんじゃないわよ。晴れて自由の身になったんだから胸を張っていつもみたいにへらへら笑ってなさいよ」
陳流々はバシンと勢いよくリンリンの背中を叩くと、そのままひょいと持ち上げて自分の背中におぶった。
「えっ、いいですよーおんぶなんていいですから、降ろしてくださいー」
背中でジタバタと暴れるリンリンのお尻をぺしっと叩き、陳流々はそのまま廊下へとリンリンを連れ出した。
「あんたねー、その体じゃ歩けないでしょ。のろのろ這って降りるのを待つのは嫌よ」
「はい……ありがとうございます」
「礼なんかいらないわよ。あたしはもたもたすんのが嫌いなだけよ! 落ちると面倒だから、しっかり掴まってなさい」
口の悪さの中に見え隠れする優しさに感謝しつつ、リンリンは心の中で何度も礼をして意外とたくましいその背中にしがみついた。
そして、廊下を降りる道中でこの塔の中でリンリンが一番心配していたことについても知ることが出来た。
「そういえば小怡は宮廷医が治療したらすっかりぴんぴんしてたわよ。前より元気になったように見えたけど、一応故郷でしばらく休養するそうよ」
そして、その次の心配事も。
「まーこっちはどうでもいいんだけど、楊玲も今朝軟禁状態から解放されて自由の身になった途端にちょろちょろちょろちょろあっちこっち動き回っててどうにも目障りなのよねー。あの愚直一徹男、目障りだからどっかに移動でもすりゃよかったのに」
(良かった。楊膳部長の疑いも晴れたんだ)
ホッとしたリンリンは、陳流々の背中で少しまどろんでしまった。
「ほらー、さっさと降りなさいよ。背中が凝っちゃったわよ」
背中をバシバシ叩かれて目を覚ますと、そこは懐かしい後宮の使用人用の沐浴場だった。
「あんた埃まみれで薄汚いし、おぶってるときちょっと黴臭かったわよ。しっかり体を清めなさいよ」
いつもより大きな桶になみなみと張られた湯、温かな湯に腰までつかり体を清めながらリンリンはポロポロと涙を零した。(あぁ、本当に小怡が無事でよかった。)
着替えは置いてあるという陳流々の言葉に従って探してみると、いつもの仕事着ではなく上等な薔薇色の絹の漢服が用意されていた。
「うわぁ、すべすべ……ショウに貰った寝巻と同じで、肌触りが最高に気持ちいい」
ひょっとして冤罪だったことへの補償の品なのだろうか?首をひねりつつ外に出ると、廊下で陳流々が待ち構えていた。
「烏の行水じゃ困るけど、子羊、あんたちょっと長かったわよ。待ちくたびれたわ」
「あっ、すみません。けど、どうして終わるまで待っていてくださってたんですか?」
「あんたに会いたいっていう人たちがいるのよ」
顎でひょいと指図され後をついて行くと、陳流々はずんずんと後宮の中を横切り歩を進めてゆき内廷である後宮から天子が国政をつかさどる外朝の本宮殿へとつながる渡り廊下を渡り、後宮でも御前房周辺しか知らないリンリンは初めて本宮殿へと足を踏み入れることになったのだった。
初めて入った本宮殿、朱色の立派な柱や迫力ある虎の毛皮に目を奪われつつ、足元が沈み込みそうなほどふかふかの絨毯を一歩一歩踏みしめながらたどり着いた先は、漢白玉で昇り龍の描かれた本宮殿でも一番立派で大きな扉の前だった。
「謁見室よ。さぁ、とっとと入りなさい」
おずおずと中に入ると、玉座に腰掛けた冕冠を被り立派な髭を蓄えた中年の男性がまず目に入った。
「劉景皇帝陛下、天子様よ。お辞儀なさいな」
陳流々の合図で深々とお辞儀をし顔を上げると、その横に少年がいることに気付く。
天子の玉座の横に寄り添うように立つ美しい少年 背はかなり伸びているけどあの印象的な目元、見間違うはずはないショウだ。
「横におられるのは皇太子殿下、劉翔太子様よ」
(翔、ショウ、同じ名前……えっ、まさか皇太子様だったの!? っていうか、男の子だったの!! まさか、双子ってことはないよね? えっと、咽喉ぼとけとかあったっけ、っていつも首元に絲巾(スカーフ)巻いてたから分かんない……)
戸惑うリンリンの前で、劉翔太子はゆっくりと口を開き静かに言葉を述べ始めた。
「リンリン料理長、難儀であったな。此度の出来事の下手人は過日まで御前房に勤めておった平の手先となった料理人の一人であった。我を思っての行動とはいえ、衛兵たちがそなたを乱暴に扱ったようですまぬ。詫びねばならんな」
「いえ、滅相もございません、私が料理人のこと気付かなくて」
(平さん……やっぱり私が来たことで移動になったことを恨んでたんだ。でも、私に罪を着せるために、皇太子様を狙うなんて……っていうかやっぱりあれショウだよね。)
平に付き従わず御前房に残ってくれた料理人の中に犯人がいたことは衝撃的な事実ではあったが、それより何よりあの秘密の友人ショウが、皇太子として目の前に立っている事実がリンリンにとっては信じられないほどの驚きだった。声は以前よりだいぶ低くなってはいるが、天鵞絨のようななめらかな響きは変わらない。
直接問い質したいような気持も湧き上がってくるが、さすがにここであなたはショウでしょと言ってはならぬことは流石にリンリンにも理解できる。
じーっと凝視してしまいたくなる気持ちを抑え込み、また深々と床につきそうな勢いで頭を下げ続けた。
「いや、そなたが来る前に送り込まれていたのだ。責任はない頭をあげよ」
「はい」
ゆっくりと頭を上げると、目の前の劉翔太子がまるで笑いをこらえているような表情に見えてきて、やはり彼は双子の片割れなどではなくあのショウに違いないのだとリンリンは再確認した。
一方の天子は、冕冠から下がった真珠の飾りを指で弄びつつゆっくりとリンリンに視線を向けた。
「大儀であったな料理長。これからも仕事に励むように」
「はい、ありがとう存じます」
天子からの言葉はその一度きりで、何やら耳打ちされた側近の宦官伝いでリンリンは体を休めるためしばしの休息をとるようにとの勅令を受けたのだった。
「じゃあ、後宮に帰るわよ」
陳流々の言葉で「天子様、皇太子殿下、この度は謁見の機会をいただき誠にありがとうございました」と去り際の挨拶の言葉を伝えた後、また深々とお辞儀をしその場を立ち去ろうとするリンリンの背中を追いかけるように、劉翔太子は声を上げた。
「リンリン料理長、折角の馳走を全て食せず我も残念であった。前菜の馬車の見た目も愉快であったし、味も湯や主菜主食含め全て見事であった。遠目で見ることしかできなかったが模様を描いたふっくらとした餅と顔のようになった南瓜の器の点甜はまことに見事であったぞ。これからの料理も楽しみにしているぞ」
その言葉に、リンリンの目元からはじわじわと熱い雫が滲みだしてきた。
この料理を作るとき、先ずは祝宴の主役である皇太子殿下に喜んでほしいと思った。そして、ショウに食べて欲しい、どのような反応をするのか見て見たい。とも思った。
全て食べてもらうということは叶わなかったが、こうしてどちらにも料理を食べてもらい、点甜を見てもらうこともできた。
念願が叶ったと言えるのではないだろうか。
「殿下、有難うございます」
涙を隠すように俯いて振り返ったリンリンは掠れた声で礼を述べ、お辞儀してからゆっくりと今度は振り返らずに謁見室を後にした。
自室に戻るなり、リンリンは寝台の縁に掛けたままになっていたショウから貰った絹の寝巻に着替えごろりと横になった。やはりこれも補償の品であろうか、以前の薄布の代わりに羊毛の織物が掛けられていて、やわらかでとても暖かい。
こうしてちゃんとした寝台で眠れるのは久しぶりなのに、ぐっすりと眠りたいはずなのに目を閉じてもなかなか寝付かれない。
頭に浮かんでくるのは、御前房で共に料理を作り、食べ、笑いあった友であるショウ、そして紺碧色の漢服を着て凛々しい姿で天子の横に立っていた劉翔太子、皇太子の姿。ぴったりと二つの顔が重なっても、リンリンはあのショウを諦めきれない。正体が明かされてしまった今となってはお忍びでふらりと御前房に来ることなど、二度とないかもしれないというのに。
数日前、刻駆稀人の血統であるというあまりにも衝撃的な事実判明したばかりだというのに、すっかり頭から消え去っている。
今のリンリンにとってはそんなことよりも、大事な秘密の友達ショウに二度と会えなくなるかもしれないということの方が、重大事件なのだ。
「あぁ、ショウにお化けプリン食べて欲しかったな」
吐息交じりにポツリ呟いて寝返りを打ったリンリンの頭上を、まん丸に太った黄金色の月が小窓から明るい光を差し込んでふんわりと照らしている。
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